第54話 ダンスちまった

 人生で初めて修羅場に遭遇した日はいつですか? というアンケートがもしあった場合、飛竜は間違いなく今宵のこの時間を指し示すことだろう――。


「――さあ、こんな時間にゴムボートで何をしていたのか言いたまえ」

「えっと……それは……」


 岸辺で待ち構えていた宗五郎の威圧感に、飛竜はもちろん利央も気圧され気味なのは言うまでもないことだった。

 まさかスタンバっているとは思わず、完全に意表を突かれている。


(……でも何をしていたのか訊いてくる辺り、親父さんはボート上での出来事を把握しているわけではなさそうだ)


 つまり誤魔化すことは可能だ。

 しかしどう誤魔化すべきかが問題だ。

 撮影していた、と誤魔化すのは簡単だが……、


(……完成した動画に夜のボートシーンが入ってなかったら怪しまれる)


 そして今のところそんなシーンを入れる予定はない。

 追加で撮ればいいのかもしれないが、そんなことのために余分な尺を取ってショート動画が間延びするのは避けたい。


(男を見せるときが来てしまったのかも……)


 娘さんと仲良くさせていただいています、と正直に告げた方が案外ダメージは最小限で済むのかもしれない。

 しかし最悪……座敷牢行き。

 そうでなくとも、利央との接触禁止令などが出されてしまうかもしれない。

 もしそうなれば利央を悲しませてしまう。

 それを思えば、やはり今はまだ隠しておく方が無難だろうか。


「秋吉くん……私は君が利央と少し仲良くし過ぎなんじゃないかと疑い、この暗視双眼鏡で様子を窺っていた。この双眼鏡をもってしても光源が足りなすぎて正直何かモゾモゾしていることしか分からなかったが、よもやゴムボートで利央といかがわしいことをしていたんじゃあるまいな……!?」


 宗五郎からはゴゴゴゴ……と凄まじいオーラが噴出しているように見えた。

 正直に言ったらこの場で処されそうな勢いである。


「わ、私のわがままです」


 そのときだった。

 利央が庇うように一歩前に出たのである。


「なかなか寝付けませんでしたので、気分転換がてら夜の遊覧に連れて行っていただいたんです」

「無灯火でか?」

「……自然の雰囲気を十全に味わいたかったものですから」

「しばらくのあいだモゾモゾしていたのはなんだ?」

「それは、その……」


 モゾモゾ……すなわち情事の誤魔化し方に詰まる利央。


(かくなる上は……全部打ち明けないにしても僕が利央さんに軽くお触りしました、くらいは言ってしまうべきか……)


 そうでなければボート上での不自然な動きは誤魔化せない気がした。

 軽いお触りという白状の仕方ならば、この場で叱られる程度の、大目に見てもらえる可能性はあるだろう。


(よし……)


 ところが、そんな風に腹を括った飛竜が泥を被る寸前、


「――あ、モゾモゾしてたのはあたしのせいでーす」


 思いも寄らぬ救いの声がひとつ木霊してきた。

 宗五郎の背後からだった。

 そう、梓紗である。


(――っ、なんで姉ちゃんが……)


 予期せぬ登場とその意図の読めなさに混乱する飛竜をよそに、宗五郎もそちらを振り返っていた。


「……モゾモゾしていたのは秋吉くんのお姉さんのせい?」

「そーです。今若い子たちのあいだで水神ダンスっていうのが流行ってるんですよ」


 梓紗はいけしゃあしゃあとデタラメを言い始める。


「水場で深夜に人知れず踊ると夢が良い方向に進むっていう、まぁ要するにお百度参りとかそういう系のお祈りの一種なんですけど、それをあたしが2人に紹介したので2人はこんな夜更けに湖上でモゾモゾ躍っていたんだと思います」


 まごうことなき大嘘。

 梓紗の真意は分からないが、どうやらなぜか飛竜と利央を庇ってくれているらしい。


 若者のトレンドなんて微塵も知らないためウソに疑問を持てない宗五郎は、梓紗の言い分に神妙な表情を浮かべ始めている。


「夢のために祈りを捧げる水神ダンス……そういうのがあるのか」

「あるんですねーそれが。ダンスを踊る水場がデカければデカいほどいいんで、ゴムボートで湖に繰り出して踊るのはベストオブベスト。まぁそんなこんなで、若菜ちゃんのお父さんが目くじら立てるようなことを2人はしてないと思いますねー」

「なるほど……ちなみにその水神ダンス、踊り方はなんでもいいのか?」

「あ、はい。踊りさえすればジャンルは不問です」

「ならば私も若者の流行りに乗ってくるとしようか。お百度参り的な意味があるというなら、利央の将来でも祈ってこよう。それがエモいというヤツだろう?」


 慣れない若者言葉を用いながら飛竜たちが乗っていたゴムボートに乗り込むと、宗五郎は盆踊りをしながら闇夜の湖上に姿をくらましていったのである。


「だ、駄目だ……まだ笑うな……」


 梓紗が吹き出すのを我慢するような表情でそう呟いている。

 飛竜と利央はリアクションに困っていた。


「……姉ちゃん、なんのつもりだ?」


 宗五郎があしらわれても危機が去ったとは思っていない。

 むしろ梓紗のムーブが不気味だ。

 庇ってくれたのはありがたい。

 しかしこの動きは飛竜と利央が何をしてきたのか知っているからこその動きとしか思えないのである。


「なんのつもりも何も、あたしがこうしなかったらヤバかったんじゃない? ねえ――不純異性交遊のお二人さん?」


 やはり分かっていたようだ。なぜそれを察したかは定かではないが、そこはひとまず置いておく。


「……なんで利央さんごと庇ってくれた?」


 言うまでもないことだが、梓紗はブラコンだ。

 ブラコンにしてみたら現状は由々しき事態だろう。

 飛竜に手を出した利央だけを切り捨ててもおかしくはないはずなのだ。


「まぁ、解散を経た今のあたしは己を研鑽するためによりロックな生き方をしたいと思ってるかんねー。弟を蝕む悪い虫はメチャ許せんよなぁって感じではあるけども、かといって若菜ちゃんを困らせて貶めるのはロックじゃないじゃん?」


 そんな理由で、と思ってしまうが、わざわざお清楚な音大に進学してバンドを組むという意味不明な縛りをロックと抜かしていたのが梓紗だ。ロジカルな理由を求めてもしょうがないのかもしれない。


「姉ちゃんは……僕と利央さんの裏事情を容認してくれる、ってことか?」

「それはまだどうかな?」


 梓紗は利央に試すような視線を送っていた。


「若菜ちゃんはひーくんにふさわしいどころか、ひーくんの方が釣り合ってないくらいの家柄だけど、まあだから不思議だよね? なんで若菜ちゃんってひーくんにお近付きしてんの?」


 それはある意味鋭い質問で、その答えを飛竜も未だに知らない。

 利央は今年の春セフレの契約を持ちかけてきた。

 それまでは別に親しくもなかった。なぜ好意を持たれているのかが分からない。

 飛竜の夢が叶ったら飛竜に迫った理由を教える、と以前遊園地に出掛けた辺りで言っていたので、きちんと何かしら理由はあるのだろうが。


「まぁ、色々あるんです」


 利央は静かに応じていた。


「なんか悪いこと企みながらひーくんに接近してる?」

「いいえ、何かを企んでなんかいません。私がなぜ飛竜くんに親しみを抱いているのか、という疑問に対する答え以上のモノを隠しているつもりはないです」

「ふーん。じゃあ若菜ちゃんはきちんとひーくんの味方ではあるんよね?」

「もちろんです。むしろ私は飛竜くんの味方でしかありません」


 力強い返事だった。


「そっか……ならまぁ、一応信用しといてあげる」

「ありがとうございます」

「ただしもし万が一、ひーくんに不利益被らせたら覚えといてね?」


 少し怖い顔でそんな言葉を言い残した梓紗は、それから「じゃあおやすみひーくん♡」と180度違った態度できびすを返し、自らの寝床に戻っていったのである。


「ふぅ、なんとか助かりましたね」

「あ、うん……」


 飛竜はこの時間、メンタルがまったく安定していなかった。

 宗五郎の待ち伏せ、梓紗の襲来、利央の伏せられた秘密の再認識。

 めまぐるしく動いた状況に多少呆然としている部分がある。


「利央さんは……無理して僕と一緒に居るわけじゃないんだよな?」


 なんとなくそんな風に訊ねてみると、利央はむすっと頬を膨らませてみせた。


「当たり前です。何度だって言いますけど、それは絶対です。私は好き好んで飛竜くんの傍に居ます」

「そっか……僕を選り好んでセフレ契約を持ちかけてきた理由はまだ教えられない感じ?」

「モチベはたくさんあった方がいいと思うんですよ。知りたければ、夢に向かって邁進してきっちり名実を成しましょう。むすむす」


 とのことで。

 改めて頑張る理由が出来た気がした。

 無論、それがなくても宗五郎の威圧を封殺するために名実は成さなければいけないわけだが。


「そういえば……親父さんはこのままでいいのか?」


 水神ダンスという真っ赤なウソに乗せられて今も湖上で踊っているはずだ。


「まぁそのうち戻ってくるでしょうし、私たちは順番にシャワーを浴びて寝ましょう」


 そんなわけで、利央はキャンピングカーのシャワールームに向かったものの、


(……いや、騙しっぱなしで終わるにしても、親父さんを無駄に疲弊させるわけには……)


 飛竜は宗五郎を気遣い、水神ダンスを止めることにした。

 パンイチになってジャバジャバ湖面を進んでみると、宗五郎は割と浅瀬にとどまって盆踊りを舞っていた。


「親父さん……遅いんで戻りましょうよ。水神ダンスなんて所詮迷信なので」


 迷信どころかウソなのだが、それはさすがに教えられない。


「秋吉くんよ、神への祈りや催し事を迷信などとのたまって切り捨ててしまうのは実にロマンのないことだとは思わんかね?」

「え? まぁ、それは……」

「わざわざ来てくれたならちょうどいい。君も今一度舞いたまえ」


 そう言って飛竜の手を掴んでゴムボートに引き上げると、宗五郎は盆踊りを強要してきた。


「ちょ、ちょっと……」

「さあほら、君の夢が叶うように踊るぞ」

「は、はい……」


 断るに断れず、こうして飛竜はこれから30分ほど湖上で盆踊りを舞うことになった。ミイラ取りがミイラになるとはこのことだろう。

 地獄のような時間ではありつつ、宗五郎を騙している自分への罰のようなモノだと思えば、それを受け入れるのはやぶさかではない飛竜なのであった。

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