第52話 前菜

 キャンプ地はお昼を迎えている。


 撮影を一旦中断して陸地に戻ってきた飛竜は、良吉が湯煎したレトルトカレーを食べ始めている。

 湖の岸辺に腰掛け、利央と梓紗に挟まれながらのことだ。水辺のすぐ傍だからか気温は低く感じられ、風もあるので屋外の暑さは苦にならない。


 ちなみに。

 キャンピングカーには冷蔵庫が備え付けてあるが持ってこられる食材の量に限りがあるためお昼はあえてレトルトで、冷蔵庫の貯蔵が火を噴くのは夜である。


「私、レトルト食品って初めて食べました」

「ふぁっ!? 若菜ちゃんそれマジ!?」


 さて、利央のとんでもカミングアウトに秋吉姉弟が目を見開いている。


「……レトルト食品が初めてってホントかよ」

「給食などで知らず知らずのうちに食べていた可能性はあります。しかしレトルトであることを認識しての食事はこれが初めてです」

「ブルジョワ……」

 

 さすがは上流階級である。


「ふむ、意外と悪くないものですね」


 レトルトカレーが気に入ったようで、利央はもぐもぐと早いペースで食べ進めている。

 どことなく小動物チックなその光景を横目に、飛竜はすでに完食済みだ。


「ひーくん早いね? 足りないならホレ、あたしのどーぞ♡ はい、あーん♡」

「いやいいって……」

「遠慮すなすな♡」

「むぐ……」


 梓紗のスプーンを強制的に口内へと押し込まれてしまった。

 小食の梓紗は時折飛竜に食事の大半を譲ってくる。

 その後も自分のカレーを飛竜に与え続けた梓紗は、


「――さてとっ、あたしもクリエイター活動じゃい! あっちで弾き語り配信してくる!」


 と力強く立ち上がってみせた。


 最近の梓紗は自分のチャンネルを開設して顔出し配信を行っているらしい。

 一応、キャンピングカーにギターを始めとする機材を積んできたようだ。

 ポータブル電源もあるので、音の調整が済めば問題なく配信出来るのだろうが、


「おい待て……スク水のままやるのか?」

「へっ、使える武器はなんでも使うんだよぅ☆」


 ニヒルに笑いながら梓紗は準備に向かってしまった。


(……僕とは正反対だな……)


 利央の露出で再生数を稼ごうとはしない飛竜。

 身体を張ってでも羽ばたこうとする梓紗。


 とはいえ、梓紗のやり方が間違いかと言えばそうではない。

 武器を最大限利用するやり方はむしろ正しい。

 本人の気質的にも、ひっそりと地味にやるよりは賑やかにやる方が性に合っているのだろう。


「――むすむすむすむすむすむす……!」


 ところで、利央がなぜか不機嫌そうに頬を膨らませていた。


「……どうした?」

「身内であーんをするだなんて破廉恥極まりないのではないでしょうかっ」

「あぁ……はい」

「私もやりますっ。はいあーんですっ。むすむすっ」

「お、落ち着け……親父さんに見られたらタダじゃ済まないってことを忘れるな」


 宗五郎はキャンピングカーの傍で良吉と歓談しながらランチ中だ。

 この岸辺とは離れているが、遮るモノがないので丸見えである。


「でしたら今は我慢しますが……夜、お願いしますよ?」


 夕飯なら闇に紛れてあーんがしやすい、ということだろうか。


「……ていうかそんなにあーんがしたいのか?」

「むすむすむすむすむすむす……!」


 ぽかぽかと叩かれた。

 いちいち野暮なことを聞くな、という意思表示のようだ。


(……ま、僕としても本音を言えばされたいし)


 ひとまず夕飯の時間を楽しみに待ちながら、今は午後からの撮影に備えて20分ほどテントで昼寝をすることにした。



   ※



「――うお、なんか今日めっちゃ人来るや~ん」


 さて、昼寝から目覚めた飛竜は梓紗の配信風景をぼけーっと眺めている。

 ミニチェアに腰掛けてギターを構えるスク水梓紗はどうやらウケが良いようで、今日の配信には人が集まっているようだ。


「君ら分かりやすいな~。いつも多くて数十人程度なのにこの格好になるだけで数百人とかアホちゃう?w」


 と言いつつ気分は良さそうである。


(……姉ちゃんが配信者として成功してくれれば、僕のチャンネルにも相乗効果が生まれる可能性があるか)


 何しろBGMとして楽曲を提供されている。

 逆にショートフィルムの概要欄から梓紗のチャンネルに流れ着く人も居るようだ。

 まさしく相乗効果と言える。

 

 飛竜はそんな姉のバイタリティーに負けじとアフター動画撮影を再開することにした。


「――そういえば今作にオチはあるんですか?」


 森の散策シーン撮影を始めている中、利央がふとそう問うてきた。


「本編の血だまりラストカットのような。それとも平和なショート後日談として終わるんです?」

「いやオチはあるよ。山の中にパトカーのサイレンが木霊するんだ」

「あ、主人公ちゃんは捕まっちゃうんですか?」

「捕まるかどうかは描かないけど、主人公がナイフを取り出すカットで終わり」

「むむっ、良いところで終わらせ過ぎでは!?」

「想像の余地を残したいからさ」


 飛竜はとにかく議論が起こるシナリオを撮りたいと思っている。

 つまらないオチなし話は今後も用意しないつもりだ。


「――よし、こんなもんかな」


 散策シーンの素材を撮り終えた頃には、日が傾きつつあった。


 湖のほとりに戻ると、良吉たちが足の長いコンロを用意していた。

 そう、今夜はバーベキューである。


「あ、そうだ利央さん……肉をワイルドに囓る絵が欲しいんだけど、あとで多少汚れる食べ方してもらっても大丈夫?」

「はい、もちろんです。私に出来ることは可能な限りやらせていただきます」


 しかしタダでとは言わないようで、


「ただしあーんの件、忘れたとは言わせませんので」

 

 飛竜はもちろん忘れてなどいなかった。

 あーんが対価だというのであれば、お安い御用にもほどがある。


「――おーしっ、じゃあみんなじゃんじゃん食ってな!」

 

 やがてバーベキューが始まった。

 良吉が肉奉行となり取り仕切っている。


 肉の種類は牛、豚、鳥、魚と勢揃い。

 利央には早速魚をワイルドに囓ってもらうことにした。

 なぜ魚かと言えば、午前に撮った釣りのシーンと辻褄を合わせるためだ。


「――はいカット。完璧」


 キャンピングカーから少し離れた薄闇の中、貞子ヘアーに乱れた姿で焼き魚の開きを素手でむしゃぶりつくように食べてもらった。

 上流階級の利央にとっては人生で初の食べ方だったと思うが、良い意味で汚らしい食べ方で実に良かった。


「むふん。では次は飛竜くんが約束を履行する番ですね? ――はい、あーんです」


 あーんの契約。

 食べさしの焼き魚をそのまま飛竜に差し出してくる利央。

 こんな食べかけでもいけますか? と飛竜を試しているかのようなイタズラめいた表情だった。


 舐めるな、と思った飛竜は、キャンピングカーの方を警戒しつつそれに齧り付いた。

 良い焼き加減で脂の旨味と塩味が上手いことマッチしていて美味しい。

 それがより美味しく感じられるのは、利央に与えられたモノだからだろうか。

 

 利央は満足そうに微笑んでいる。


「むふん。飛竜くんの今の食いつきっぷりを見て、昔我が家で飼っていた1メートルのウツボを思い出しました」

「なんちゅうモン飼ってたのさ……」

「とりあえずあーんが出来て良かったですけど、今夜のメインディッシュを考えればこんなのは前菜ですかね」


 あーんを前菜扱いするメインディッシュとは、午前に約束した『湖上でのお戯れ』を指すのだろう。

 日中のボートでは出来なかったことをヤる。

 良吉たちが寝静まったあとに、である。


「……一応聞いとくけどホントにヤる?」

「愚問ですね。私たちは割り切りで性を貪る関係性ですよ? むすむす」


 もはや何も割り切れていないが、飛竜は自分の名実が整うまでは関係を押し進めないことにしているし、利央はその意思を汲んでくれている節がある。

 

 ごっこ遊びのようなモノだが、今はまだ割り切り。

 それに付き合ってくれる利央に感謝しつつ、


「そうだよな……貪れるときに貪り合うのが僕らだ」


 そう言って目を合わせ、頷き合い、2人はそのときに備えることにしたのである。

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