第90話 やっぱり
「……ここがヴィダルムスーンの日本支社か」
週末。
CM案件を受託した飛竜は、詳しい話を聞かせてもらうためにヴィダルムスーンの日本支社を訪れていた。
まだ中には入っておらず、ガラス張りのビルを見上げている形だ。
「改心前の榊みたいなヤツが出て来ないことを祈りたいもんだ」
「それに関しては大丈夫かと」
一緒に話を聞きに来た利央がそう呟く。
ちなみに優芽も一緒だ。
「? なんで大丈夫って言えるんだ?」
「じきに分かると思いますよ」
「そうよ飛竜くんっ。この案件は変なことにはならないわっ」
優芽まで断言するように言ってくる。
そんな2人の態度に少し引っかかりを覚えつつも、飛竜はひとまず気を取り直してエントランスに足を踏み入れた。
受付で用件を告げると、広報担当を呼ぶから少し待ってて欲しいと言われた。
「あっ――あなたたちがSTRの皆さん? かぁ~、若いね~。みんな高校生くらいじゃない?」
1分ほどで広報担当らしき綺麗な女性がエントランスに現れた。
清潔感にあふれた黒髪ショートポニテのお姉さんである。
髪の毛が綺麗なのは、やはり自社製品の影響だろうか。
「さてと、はじめまして。広報担当の
そう言われ、飛竜たちは彼女のあとに続いた。
こぢんまりとした会議室に通されたところで、穂乃花から名刺を渡され、自分たちはそういうのを持ってないことに気付いて、作っておかなきゃな、と思った次第である。
「まず今日は学生の貴重な休日を捧げてくれてありがとうね」
「いえこちらこそ。まだ大したことのないSTRを抜擢していただいて感謝しかないです」
「大したことのない、なんて謙遜しちゃって~。始めてからひと月足らずでチャンネル登録者数が5万を超えているんだから凄いのよ君たち。それにショートフィルム第一弾に関しては数十万再生されているわけだしね」
「ありがとうございます。ところで、今回はショートフィルム第一弾の主人公ちゃんをウェブCMに使いたい、ってことでしたけど、ブランド的に問題があったりはしないんですか?」
お洒落で大人な雰囲気を大事にしているであろうヴィダルムスーンのイメージに、自分たちが合っているのかどうか。
「大丈夫。そこは心配しないで。上層部としてもお高く止まったブランドで居たいわけじゃない、ってことで、私が企画書を出したらすんなり受け入れてもらえたの」
とのことで、その辺に問題はないらしい。
「で、早速本題に入らせてもらうんだけど、肝心のCMはDMでもお伝えした通り、STRらしいホラー色を交えたシャンプーのCMにしたいと考えているわ」
「ホラーとシャンプー……意外と相性は良い気がします。お風呂やシャワーの場面で怖いシーンを挟んでくるホラー映画とか枚挙に暇がないですからね」
「そうそう。ちなみに制作する映像面に関しては君たちにすべてお任せするから」
「え? ……僕らに任せる?」
「そう。こちらは映像制作に関してはもちろん素人だし、かといって専門のCM制作会社に頼んだらなんのためにSTRを抜擢したのかが曖昧になる。せっかくだから君たちの色を全面に出したCMにして欲しいってことね。もちろんある程度のレギュレーションは提示させてもらうけど」
「なるほど……それは滅茶苦茶嬉しいです」
こちらを私物として扱おうとしていた改心前の榊とは正反対の態度と待遇だ。
誠意を感じられるので、頑張ろうという気になれる。
「あ、それとね、今日は日本に帰ってきてるオーナーが顔を出しに来てくれるみたい。社内にはもう居るはずだから、ぼちぼちかなとは思うんだけど」
穂乃花がそう呟いた直後に、
「――穂乃花ちゃん、ウチやけど~」
そんな言葉と共にドアがノックされたことに気付く。
どことなく関西訛りのある女性の声で、雰囲気としては落ち着きのある淑女じみたモノだった。
「あ、オーナーだわ。――どうぞオーナー。今ちょうど話していたところなんです」
「ほな失礼するさかいね~」
がちゃ、とノブが下がってドアが押し開かれた。
そうして室内に足を踏み入れてきたのは、ツヤツヤの黒髪を肩口まで伸ばした着物の美女であった。
若く見えるが、そうでもなさそうに見える不思議な雰囲気。
そんな彼女は糸目でこちらを一瞥し、利央の姿を捉えた瞬間――
「――利央ちゅわ~ん♡ むすむすむす~♡」
と、むすむす言いながら、まるで知人以上の距離感で、いきなり利央に抱きついてしまったのである。予期せぬ状況に、飛竜はもちろん驚いた。
(こ、これは……やっぱりひょっとして……)
ヴィダルムスーンという社名といい、利央と優芽が見せたさっきの思わせぶりな態度といい、これはつまり――
「叔母様、ご無沙汰しておりますむすむす」
(――やっぱり)
案の定、親族が保有する会社だったようだ。
むすが宗五郎の家系に基づく言葉であることを考えると、オーナーだという彼女は宗五郎の姉か妹なのかもしれない。
「優芽ちゃんも元気そうで何よりやね~」
「叔母様もお元気そうで良かったわっ」
そんな挨拶が続く中、利央とのハグをやめたオーナーが飛竜に目を向けてくる。
「さてさて、坊やが可愛い姪っ子たちとSTRを立ち上げた男の子やんな? 秋吉飛竜くん、お噂はかねがね」
「は、はあ、どうも」
飛竜は少し警戒する感じで会釈した。
宗五郎の血縁ということは、利央との関係がバレたら宗五郎に報告が行くかもしれないということだ。宗五郎の両親のようなスタンスなら助かるが、そうなのかどうか分からない以上は慎重な態度にならざるを得ない。
「利央ちゃんとは特別な関係みたいやね?」
(ば、ばれてーら……)
「まぁ心配せんでええよ。ウチは野暮なことはせーへん。
「そ、そうですか……ありがたいです」
「それと一応ゆーとくと、今回の件は利央ちゃんの親族としての手助けとちゃうから」
「……身内の忖度ではない、ってことですか?」
「せや。今回の件はあくまで穂乃花ちゃんの案や。穂乃花ちゃんはウチと利央ちゃんの関係性を知らん子やから、オーナーの身内に忖度しようとかそういう意図もあらへん。純粋にSTRの活動を見て良いなって思ったから穂乃花ちゃんは企画を立ち上げたっちゅうこっちゃ」
えーオーナーとその子たちってそういう関係なんだ……、とあからさまに驚いている穂乃花を見るに、その言葉にウソはないようだ。
「せやから、この案件はどこまで行っても『STRの実績が招き寄せた』ってことなんよ。ただ偶然、案件寄越した企業のオーナーが身内の親族だった、っちゅうだけ。そんなわけで、身内の助け船とちゃうから胸張って欲しいんよ」
「なるほど……分かりました。そんな点まで配慮してくださってありがとうございます」
恐らく、利央がこれまで自分からヴィダルムスーンに尽力を求めなかったのも、利央がツテを使いまくるとSTR本来の実力がぼやけることを危惧してのことだろう。
「ほなウチはひとまずこれにて失礼するさかいに、あとは穂乃花ちゃんと綿密に話し合って良いCMを作っておくれやす~」
むすむす~、と狐の形にした右手を振りながら、オーナーが立ち去ってゆく。
その後、報酬などの細かい条件を確かめて飛竜的に納得の行くモノだったため、きちんと書類に判を押したりして、今回のCM案件を正式に請け負ったのである。
※
「まさかヴィダルムスーンのオーナーが利央さんの身内だったとは……」
「とはいえ、別に叔母様が立ち上げたわけではなく、嫁いだ結果ですけれど」
そんな裏話を聞いているのは、ヴィダルムスーンの日本支社をおいとまし、事務所に立ち寄って遅めのお昼を食べながらのことだ。
「だとしてもすごいと思うけどなぁ」
若菜家本体が地主として色々やっている一方で、その直接の血筋ではないにせよ、婿の親族もデカい企業の経営に携わっているとなると、利央は本当にとんでもない家に生まれたのだと分かる。
そして、そんな家の一人娘に手を出した自分に震えてしまう。
しかしそんなのは今更である。
利央のためなら、飛竜はなんだってやると決めている。
「それはそうと、私たちに映像制作の裁量が与えられたのは良かったですね」
「あ、うん……守るべきレギュレーションはあるけど、厳しい感じじゃなかったしな」
・弊社のシャンプーを全面に押し出す内容とすること
・お色気、下品な雰囲気はNG
などなど。
他にも細かい要項が幾つも存在しているが、守るだけなら容易な内容ばかりと言えた。ウェブCMゆえにチェックが緩いのかもしれない。
「撮影はいつにするのっ?」
優芽の問いに対し、飛竜は「未定」と即答する。
「まずCMの全体像を決めないとロケ地も決められない。今日から数日かけてまずはCMの概要を考えたいところだ」
シャワーシーンに基づくホラー風CMでいいのか。
それとも別の絵面でもっと良いのがあるか。
その辺も含めて色々考えていきたい。
「忙しくなりそうですね」
「良いことだよ」
大目標に向けて何も変化がないことの方が問題だ。
飛竜はどこか清々しい気分でそう思うのであった。
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