第89話 ヴィダル○スーン

 9月1日。

 ついに夏休みが終わってしまったこの日の朝、飛竜は久しぶりの登校において気を付けなければならないことを自分に言い聞かせていた。


(……利央さんとは表向き他人行儀に過ごさないとな)


 いつどこで誰にどう見られて宗五郎の耳に交際の話が伝わるか分かったものではない。

 たとえば教師に見られて、それが宗五郎の耳に、ということもありえない話ではないはずだ。

 なので学校ではあくまで利央とは他人行儀に――それを心掛けないといけない。

 もっとも、夏休み前もそういう感じで過ごしていたわけなので、さして難しいこととは思っていない。


「うーっす」

「お前焼けたなw」


 朝のホームルーム前の教室。

 久方ぶりにその状況に身を投じた飛竜は、周囲のご無沙汰トークを聞きながら、目立たない陰キャとして自分の席に向かった。


 斜め前が利央の席で、そこにはすでに利央が座っていた。

 この教室内の、いや学校の女子の誰よりも目を惹く存在感。


 家柄の問題で、基本的にはアンタッチャブルな利央。

 命知らずの男子が、たまに告白を企てるのが関の山。


 そんな利央に話しかけるクラスメイトはもちろん居ないが、周囲の男子が「やっぱ可愛いよなぁ」的な視線を注いでいるのが分かる。

 飛竜の気分としてはそんな目で見るなという感じだが、一方でそんな目で見られている利央を裏で独り占め出来ている事実はどこか誇らしくもあった。


「そういやお前、STRって知ってっか?」


(お……)


 そんな中、近くで駄弁っている男子がSTRの名前を口に出していた。

 しかし油断はしない。

 飛竜のチャンネルとは別にそういう略語があるのかもしれない。

 そう思っていたが、


「動画サイトでホラーっぽいショート動画アップしてるチャンネルだろ? 知ってる知ってる」


 と、彼らの話題は間違いなく飛竜のSTRだったので思わず聞き耳を立ててしまう。


「あのチャンネルあーしも好き~。なんか引き込まれるよね~」

「てか最初の動画のロケ地ってこの街っぽくね?」

「あ、それオレも思った」


 などなど、STRの話題がその後もエンドレスで続けられている。

 演者の特定までは行っていないものの、ロケ地がバレていてちょっとハラハラ。

 それと同時に、自分で作ったコンテンツが陽キャたちの話題に上っているのがかなり嬉しく感じられた。


「意外とみんな、観てくれているようでしたね」


 やがて迎えた昼休みは、夏休み前と同じようにひっそりと非常階段に顔を出し、利央と一緒にランチタイムだ。

 利央が作ってきてくれたお弁当を食べている。

 中身は白飯と、肉と野菜のバランスが取れたおかずが数品。

 無論、旨すぎて夢中になってしまうほどだ。


「でも結局朝のあいつらが話してただけだし、もっと話題に出るようにしないと親父さんを納得させられる規模にはならない。最終目標がチャンネル登録者数100万超えとして、まずは10万を目指さないとなぁ」

「そのための起爆剤が欲しいという話でしたよね?」

「そう。でもその起爆剤をどうするべきやら……」


 地道に動画を制作するのは当然として、もうひとつ何か目立てる武器があればと思う。


「あ――すみません飛竜くん、優芽から連絡が来たようなのでちょっと出ますね」


 そんな折、利央がスマホを取り出しながらそう言った。

 どうぞと促すと、利央はスピーカーモードで応対し始める。


「優芽、どうしたんですか?」

『あ、お姉様っ! 実は大変なことになったのよ!!』

「大変なこと?」

『うんっ。とにかく大変というか、凄いことが起こったのよ! そこに秋吉くんも居るかしらっ!』

「あぁうん、僕も居るけど」

『なら落ち着いて聞いてちょうだい! あばばばばば!!!』

「……まず黄金井さんが落ち着きなよ」


 一体なんだというのか。


『う、うん……でも本当に凄いことが起こったからテンションが妙なことになっちゃって……はあ、ふぅ……放課後、事務所で話すことって出来るかしら? 守秘義務的な部分も絡んでくるから、そういう場所で話した方がいいかなって』

「あ、うん、別に良いけど……それより、その凄いことっていうのはSTRに関わること?」

『もちろんっ。あたしが管理させてもらってるSNSのアカウントにDMで凄いメッセージが来たのっ! というわけで、放課後に事務所でね! じゃ!』


 ぷつんっ、と優芽との通話が途切れる。

 飛竜と利央は顔を見合わせた。


「ふむ……広報アカウントに優芽のテンションが上がるようなDMが届いた、ってことですか」

「ってことは、なんらかの依頼かな……」


 いずれにせよ、放課後になれば分かることである。

 なのでひとまず静観の姿勢を取ることにした飛竜と利央は、食事を済ませたあとも引き続き非常階段で過ごし、恋人としての時間を堪能し始める。

 手を繋ぎ、肩を寄せ合い、したくなったらキスをして、それで我慢出来なくなったら着衣状態で身体を繋げ合った。

 

「ふふ……私は午後、2重の意味でお腹いっぱいの状態で過ごすことになるんですね、むすむす♡」


 コトが済んだあと、利央が下腹部をさすりながらそう言ってきた。

 何度見ても、その動作は良いモノだと思う飛竜なのであった。



   ※



「――あ、お姉様っ、秋吉くん!」


 放課後。

 早速事務所に向かうと、鍵の閉まった事務所入り口前の廊下にすでに優芽がスタンバっていた。

 まだ暑い時期だが、ここは日陰でビル風もあるため涼しい。

 待つのはさほど苦ではなかったと思われる。


 ともあれ、飛竜が鍵を開けて3人は事務所の中に移動した。

 それから冷蔵庫で冷やされていた麦茶を3人で一気に飲み干し、


「ふぅ……それで黄金井さん、広報アカウントにDMが来たって話だったけど」

「うんっ、本当にもう凄いことになったのよっ」


 優芽は今もなおお昼のテンションを維持しているように見える。


「煩わしい前置きは抜きにして早速報告を頼みます、優芽」

「分かったわお姉様っ。――ズバリ、案件が来たわ!!」

「ほう、ついに私たちにも」


 案件と言えば、企業から商品の宣伝などを依頼される行為だ。

 飛竜としてもついに、という感じで嬉しくはあるものの、


「確かに凄いけど、そんなに興奮するほどかな? どこの企業から来たか次第、ではあるんだろうけどさ」

「ええ、だから凄い企業から来たワケよ! 聞いて驚いて欲しいわっ。――なんとヴィダルムスーンからの案件よっ!」

「むすっ!?」

「ま、マジ……?」


 ヴィダルムスーンと言えば、世界的なヘアサロン・ヘアケアメーカーである。

 日本でも有名人を起用したシャンプーのCMなどでお馴染みだ。


「待て待て……なんでそんなオサレメーカーさんが僕たちに……」

「日本支社の広報担当さんがSTRを観てくれているみたいで、お姉様、もといショートフィルム第一弾の主人公ちゃんが好きらしいんだけど、その主人公ちゃんの髪が作中だとボサついている部分に着目したそうで、それをヴィダルムスーンのシャンプーで綺麗にするホラー要素ありのCMを作れば、お互いに色々と話題になるんじゃないか、って話だったわ」

「し、CM!? ……それってまさか地上波?」

「あ、さすがにウェブCMだそうよ。動画サイトで流されるヤツね」

「さ、さすがにそうだよな……いや、だとしても、それは確かに興奮して然るべき凄い案件だな……」


 ヴィダルムスーンからのウェブCM案件。

 優芽の興奮は別に過剰ではなかったようだ。


「で、どうする秋吉くんっ? もちろん受けるわよねっ!?」

「僕としちゃ当然受けたいけど……主人公ちゃんが主役の案件ってことは、決定権は利央さんにあるかなと思う」


 というわけで、飛竜は利央に目を向けた。

 

「どうする利央さん?」

「愚問ですねむすむす」

「ま、だよな」

「はい――是が非でも請け負いましょう! チャンネルをもっと大きくするための足掛かりになるかもしれませんし!」


 とのことで、利央がやる気に満ちているなら飛竜としては何も言うことがなかった。

 こうしてSTRは、まさかのCM案件を受託したのである。

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