第79話 私だけは覚えてる

   ※side:利央※



「――むすむすむすいっしょにあそんでくださいむすむすむす……っ!」

「だめっ。あなたはこっちにこないでっ」


 小学校1年生の頃の話だ。

 利央はこの頃から学校では除け者というか、避けられ気味の生活であった。

 

 言うに及ばず家柄の影響だ。

 

 地域の大人たちは利央の家がどういう家なのかを分かっているため、自らの子供に『利央ちゃんには近付くな』と口を酸っぱくして教え込み、万が一にも我が子が利央に迷惑を掛けないように育てる傾向にあった。

 ゆえにそんな教育を施された同級生たちは、利央が一緒に遊ぼうと近付いても拒否して逃げてしまうのである。


「むす……」


 それは小1の身分にはこたえる出来事であった。

 昼休みのグラウンドで鬼ごっこをしていた同級生女子たちに混ぜてもらおうとしたものの、やはりこの日も利央が参加の許しを得ることはなかったのである。


 誰かと遊びたいのに、自らの身分がそれを許さない。

 それを理解しつつも理不尽に思いながら、利央はトボトボと校内に戻った。

 

 遊びに混ざるのを拒否されたあと、いつも向かう場所がある。

 それは図書室だ。

 ウォーリーを探したりミッケで時間を潰すのが常であり、この日もそうするつもりであったが、


(む……またあのおとこのこがいますね、むすむす……)


 本棚からミッケを取ってきてテーブルで読み始めた利央は、向こうのテーブルでダレンシャンを読んでいるクラスメイトの男子をちらりと捉えた。

 秋吉飛竜というらしい彼は、強そうな名前とは裏腹に物静かで、いつも図書室で1人気ままに過ごしているところを見かける。この日もそうだった。


 彼は好き好んで孤独を愛しているらしい。どこのグループにも入らず、平然とソロ活動に従事しているのだ。


(……わたしよりじゆうなのにぜいたくです、むすむす)


 お家事情で周囲に避けられる利央と違い、彼は周囲と仲良くすることが可能なのに自らそれを手放し、1人で過ごすことを好んで選んでいる。

 それは利央に言わせれば気に食わないことだった。


(かくなるうえは……)


 気に食わない飛竜に対して、利央は何もせずにはいられなかった。

 これまでは我慢してきたが、この日はついに幼いなりの苛立ちが炸裂。 

 ゆえに彼の読書を邪魔してやろうと考え、


「――むすむすむすむすっ……!」


 飛竜に近付いてむすむす口撃を行った。単に耳元でむすむすを連呼するだけだが、読書中の人間にはたまったものではない。

 彼は当然のように顔をしかめてこちらを振り返るのだった。


「え……なに……?」

「むすむすむすむすっ……!」

「……うるさいんだけど」

「むすむすむすむすっ……!」

「……むすむすってなに?」

「むすむすむすむすっ……!」

「まあいいや……」


 何も良くないはずなのに、飛竜はそう言ってまた読書を再開してしまう。

 それが利央にしてみると更にカチンと来るのだった。


「むししないでくださいむすむすっ……!」

「……むしというか、そっちがむすむすうるさくてかいわにならないからしゃべるのをやめただけだけど」

「む、そうですか……でしたらふつーにはなしかけたらふつーにはなしてくれるということですか?」

「……まぁ、そっちがのぞむなら」


 普通の子なら利央のことなんて門前払いだというのに、それに比べて飛竜は嫌がらせを受けたにもかかわらずそう言ってくれたのである。


「なんで……はなしてくれるんですか? わたしがさけられているのはしってますよね?」

「しってるけど、きみのいえとかべつにどうでもいいし」

「! ……どうでもいい、ですか?」

「うん……だってきみにせっするだけであくえいきょうをうけるほど、よのなかってたんじゅんじゃないし」

「――――」


 利央はこのとき、小1とは思えない飛竜の達観ぶりにハッとさせられた。

 この男の子は、他の同級生とはまるで違う。

 そう察した利央は、だから勇気を振り絞って手中のミッケを突き出した。


「でしたら……いっしょによんでください。どうしてもどこにかくれているのかわからないばしょがあるんです」

「うん、べつにいいよ」


 あっさりと承諾してくれた彼は、このあと本当にミッケを一緒に読んでくれた。

 利央からすると、それは初めて学校の誰かと共に過ごした、今までにない特別な時間だった。

 

 ゆえにこの日を境に、飛竜を特別視するようになった。

 それが好意かどうかで言えば、まだそうではなかった。

 しかしそれに似た感情がこのとき芽吹いたのは確かなことだった。


 だから利央はそれからの日々、学校で会うたびに飛竜に話しかけた。

 周りからどう思われようと無視しないでくれる飛竜の存在が、この頃の利央の支えだったのは言うまでもない。


 ところが、仲良くなって間もない時期に悪夢が巻き起こる――。


 それはとある放課後のことだった。

 この日は特別で、何が特別かと言えば、飛竜と初めて一緒に下校していたのである。


「――むすむすむすむすっ……!」


 ご機嫌なむすむすが帰路に木霊しており、飛竜から「だからむすむすってなんなの?」と訊かれても、「むすむすむすむすっ……!」とゴリ押ししてはしゃいでいた。


 それが、いけなかったと言える。


 帰路の途中にある車通りの多い道路を横断する際、飛竜に意識を向けたままの利央はよく左右を確認せずに後ろ歩きのような状態で道路に踏み出していた。


 車が迫っていることに気付いたときには、その鉄の車体がほぼ目の前にあった。

 轟く急ブレーキの音。

 反射的に目を閉じて、幼心に死を覚悟した利央が直後に吹き飛ばされたものの、それは車の衝撃ではなく――


「――あぶない!!」


 飛竜決死の体当たりであった。

 それにより、利央の身体は轢かれる前に安全圏へとはじき出された。

 そして代わりに飛竜が轢かれた。

 急ブレーキで減速していたとはいえ、子供を吹き飛ばすには充分な衝撃だった。

 幸運だったのは、飛竜の吹き飛んだ先が近隣の家の生け垣だったこと。

 それがクッションとなって大事には至らなかったが、車との衝突時に軽く頭が車体にぶつかっており、それを起因とした記憶障害が飛竜には発生してしまう。


「……おなじクラスのわかなさん、だっけ?」


 後日お見舞いに顔を出してみると、飛竜はなぜ利央が病室にやってきたのか分からないという顔をしていた。

 そう、飛竜の記憶障害は利央と過ごした日々をすべて消し飛ばしていたのだ。

 利央はショックを受けたのと同時に、自分が関わったせいで飛竜に不幸をもたらしてしまったことを悔やんだ。

 だから――


(……なかったことにすべき、ですね)


 それ以降はもう飛竜に関わらないことを選んだ。

 自分は疫病神だ。

 やはり他人と関わらない生き方が正解なのかもしれない。

 そう考え、飛竜が記憶を失ったのをこれ幸いと思い、ただの同級生に戻ったのだ。


 しかし飛竜が忘れても、利央には思い出が残ったままだ。

 自分を唯一避けないでくれた同級生。

 身体を張って守ってくれた男の子。

 本当はまた仲良くなって遊びたい。

 けれどまた飛竜に何か不幸を強いることになったらイヤだと思い、利央はそのときを境に孤高になることを選択したのである――。



   ※side:飛竜※



「そっか……利央さんがあのときお見舞いに来たのって……」

「はい、私が原因だったからなんです」


 あの日の交通事故のことは、両親から『相手の不注意だった』とだけ聞かされていた。

 でもそれはウソだったわけだ。

 若菜家に配慮したウソというよりも、飛竜と利央のあいだに遺恨が残らないよう、両親としても「なかったことにした」のかもしれない。


 そう考える飛竜は現在、仮眠室のベッド端に利央と並んで座っている。

 情事の途中だったため、もちろん互いに一糸まとわぬ姿で。

 ともあれ、


「ごめん利央さん……僕は忘れちゃいけないことを忘れていた気がする……」


 話を聞いているうちに記憶のすべて、ではないが、当時のわずかな記憶を取り戻した飛竜は、申し訳ない気分と化していた。


「謝らないでください。悪いのは私なんですから……その上、結局飛竜くんとまた仲良くなりたい欲を抑えきれなくて、割り切りの関係ならいいんじゃないかと思って、今年の春先に声を掛けてしまったわけですし……」


 利央がセフレ契約を持ちかけてきたのは、そういう事情だったらしい。


「私はダメな人間です……欲望に流される悪い子なんです……」

「そんなことないよ」


 飛竜はすぐにそう言った。


「そういうことならもっと早くに教えてくれれば、って思う部分はあるけどさ」

「ですよね……しかしながら、打ち明けるのには勇気が要りました。もし私のせいで事故に遭っていることを思い出してしまえば、飛竜くんが私のことを嫌いになるのでは、と思ってしまいまして……」

「なるわけがないよ」


 飛竜は即答した。


「そういう繋がりがあったなら、今の関係は必然なんだな、って思うだけでさ」

「飛竜くん……」

「だから今後とも仲良くやってこうよ」


 そう告げると、利央はうっすらと目元を潤ませながら、


「はい、ありがとうございます……」


 と、嬉しそうに微笑んでみせたのである。


 こうしてこのあと、仮眠室のベッドで改めて2人が繋がりを深め始めるのは既定路線とも言える当たり前の出来事だった。

 かつての関係性を取り戻すかのように、それはいつにも増して情熱的だったのはここだけの話である。

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