第68話 報酬が破格過ぎてやる気に満ちる現金なヤツ

 夜更けに鳴り響いた宗五郎からの着信。


 部屋に轟くベートーヴェンの『運命』。


(こんな時間になんだろう……)


 ひょっとしたら利央との爛れた関係がバレてしまったんじゃないか、と緊張で喉が渇いてしまう。


(……怖いからこのまま出ないで留守電に何を残すか確認してみるか)


 声のトーンで分かる部分があるはずだ。

 ドスが利いていたらヤバい。


『あ、宗五郎だが、こんな夜分に済まない』


 飛竜の緊張に反して、やがて聞こえ始めた宗五郎の声は穏やかなモノだった。


(……ってことは、利央さんとの関係がバレたわけじゃなさそうか)


 ひとまず安心した飛竜は、引き続き留守電に耳を傾けてみる。


『実は折り入って頼みがある。差し支えなければ明日、いつでも構わないので我が家に来て欲しい。では』


 そうとだけ言い残し、宗五郎の留守電は簡潔に終わった。


(……頼み、か)


 宗五郎からの依頼と言えば、役所に記録として残すためのお祭り撮影、が記憶に新しい。

 と言っても、アレがもう2ヶ月前のことになる。

 時が経つのは早い。


(ショートフィルム第二弾は夏休み中に編集出来ればいいとして、一旦親父さんの頼みを聞いてみるか……)


 義理の父になってもらわねば困る存在に恩を売っておくのは大切だ。


 そんなわけで、飛竜は病み上がりなのも考慮して早めに編集作業を切り上げ、今日のところはひとまず休んだのである。



   ※



「――ご足労感謝するよ、秋吉くん」


 さて、翌日の午前10時である。


 飛竜は若菜家を訪れ、客間に招かれていた。


 光沢のある木製ローテーブルを挟んで、宗五郎と正座で向かい合っているところだ。


 宗五郎だけでなく、利央母こと紅葉も一緒だ。飛竜にお茶を出し終えたあと、そのままこの場に残っているのだ。


(なんだろう……お袋さんも関わるお願い?)


 でないと、こうして残っている意味が分からない。


 ちなみに廊下側のふすまがほんの少しだけ開いており、そこから利央がこっそりと「父さんたちは飛竜くんに一体何を頼むつもりでしょうか……むすむす」と覗き込んでいたりする。


 一方で、宗五郎が言葉を続けてきた。


「さて秋吉くん、映像制作は順調そうだな」

「あ、はい……おかげさまで」

「次作も楽しみにしているが、利央に変なことをしないという約束だけは引き続き守ってくれると助かる」

「は、はい……」


 いつも通りの手遅れ過ぎる警告。

 飛竜は緊張感をもって頷く他なく、真相を察しているのであろう紅葉は「くふふ……」と笑いをこらえていた。


「ともあれ、本題に入ろう。今回秋吉くんにお願いしたいのは、私と紅葉の撮影だ」

「え?」


 また役所関係かと思いきや、そうではないらしい。


「えっと、それはどういう……?」

「うふふ、つまるところ私たちのAVを撮って欲しいということよ。ね? 宗五郎さん」

「……違うのだから黙りなさい紅葉」


 宗五郎は呆れたようにひと息吐き出していた。

 片や紅葉は「冗談よ冗談、うふふ」と楽しそうに笑うばかり。

 やはりこの夫婦はどちらかと言えば紅葉の方にイニシアチブがありそうだ(しかし当主の宗五郎を立てるために、紅葉は利央の全面的な味方であることは表立って言えないのだろう)。


「秋吉くん……紅葉の戯れ言には耳を貸さなくていい」

「うふふ、もしAV撮影するにしても、撮るなら自分たちで撮るものね?」

「紅葉……もう喋るな」

「喋るなは酷いわねぇ。あーヤダヤダ、若い秋吉さんに乗り換えてしまおうかしら」


 どこかイタズラっぽくそう呟くと、紅葉が飛竜にわざとらしくしなだれかかってきた。

 その瞬間、宗五郎が「むすっ……!」と妬いたように頬を膨らませ、背後からも「むすむすむすむす……っ!」と母に嫉妬したらしい利央の気配が噴出し始める。


(似たもの親子……)


 外見は紅葉似の利央だが、性格は間違いなく宗五郎に似たのだろう。


「お、お袋さん……とりあえず離れていただけると色々助かります……」

「うふふ、ごめんなさいね」


 場を掻き乱して満足した様子の紅葉が改めて脇に控え始める。

 すると似たもの親子の気配がクールダウンした。


「こほん……なんにせよだ」


 仕切り直すように、宗五郎が咳払いを行った。


「……本当の依頼内容に関してだが、間近に迫った私と紅葉の結婚記念日旅行の撮影係をお願いしたいというものだ」


(それはそれでまさかの方向性……)


 AV撮影という前フリの影響でまともに思えるが、割と特殊な依頼である。


「……結婚記念日旅行の撮影っていうのは、いつも誰かにお願いしていることなんですか?」

「うむ。毎年旅行の思い出を記録として残すのが趣味みたいなところがあって、これまでは懇意にさせてもらっている地元のカメラ店にその撮影係を頼んでいたのだが、お歳の影響で店を畳んでしまわれてな」

「あ……ひょっとして僕の前任として祭りの撮影を担当されていた方ですか?」


 飛竜に祭りの撮影役が回ってきたのは、それまで撮影役を務めていたカメラマンが高齢の影響で辞めたからという話だったはずだ。


「その通り。ゆえに秋吉くんにこちらの撮影も任せてしまえたら、とな」

「なるほどです」

「他のプロカメラマンに頼む手段も当然ある。しかし見ず知らずの者を結婚記念日の旅行に同行させるのはさすがに抵抗がある。そこで秋吉くんというわけだ」


 理に適った考えではあるのだろう。

 しかし飛竜としては少し悩んでしまう。


「……その結婚記念日旅行っていうのは、お2人に僕だけが同行する形ですか?」


 もしそうだとすれば、個人的にはちょっと気まずいなと思う部分もある。


「いいや、もし秋吉くんが気まずく思うようなら、利央の考え次第だがあの子を同行させて家族旅行のようにしても構わない」


 そんな譲歩があった。


「さて、どうだね? もちろん報酬だって用意させてもらう」

「……ちなみにどんな報酬を?」

「たとえば、そうだな……事務所なんてどうだ?」

「――事務所?」

「ああ。秋吉くんは恐らく撮影以外の作業を自宅で行っているのだろうが、仕事とプライベートをハッキリ分けた方が生産性は上がるモノだ。たとえばリモートワークはオンオフの境界線が曖昧になる影響で作業効率が落ちるため、出社を義務付け始めた企業がごまんとある。そういう意味では、近くに作業用の事務所があると秋吉くんも色々捗るのではと思う。もし撮影を引き受けてくれるのなら、そういう場所を用意しよう」

「ほ、ホントですか?」


 事務所を提供してもらえるのはあまりにも破格過ぎる報酬だ。

 飛竜は俄然やる気が出てきた。


「や、やります。やらせてください!」

「そうこなくてはな。では秋吉くん、明日から沖縄だ」


 かなり急だが、宗五郎に恩を売って事務所をゲットするためなら、そんな急行軍は屁でもない飛竜なのであった。

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