第33話 スタート

「済まなかった、利央……頼むから帰ってきてくれないか」

「ふん、どうしましょうかね。むすむす」


 さて、数日が経過し、今日で利央を預かってから1週間を迎えた。

 そんな平日の夕暮れに宗五郎が秋吉家を訪ねてきたのは、飛竜にしてみれば予定通りと言える出来事であった。

 

 1週間前の夜分に聞かされた通り、宗五郎は自ら折れに来たわけだ。

 ゆえに彼は現状、玄関で頭を下げている。

 それに対して利央は腕組みしながらの仏頂面である。

 

 飛竜はとりあえず利央から一歩引いた背後でそのやり取りを眺めているところだ。


「門限は緩和する。20時まで出歩いて構わないという条件で、手打ちにして欲しい」

「20時までですか……私、夜に出歩くとすれば飛竜くんのところだけです。せめて21時までの緩和をお願いしたいのですが」


 自分の優位を感じ取ったのか、すかさず交渉に持ち込んだ利央。

 さすがは抜け目ない性格である。


「21時か……本当に秋吉くんのところだけなんだな?」

「はい、約束します」

「そうか……なら21時でいい」


(おー……親父さんはホントに変わるつもりなんだな)


 飛竜の中で、まだどこか宗五郎を疑っている部分がなくはなかった。

 先日の本意は聞き心地の良い言葉を並べ立てただけのまやかしに過ぎないんじゃないか、と。

 しかし交渉に応じて更なる門限の緩和を受け入れたところを見るに、それは杞憂でしかなかったようだ。


「要求を呑んでくださるんですね……でしたら、娯楽禁止令の方はどうなるんです? 私、飛竜くんのショートフィルム制作をお手伝いするために映像面の勉強をしたいと考えているので、せめて映画くらいは堂々と観たいのですが」

「それに関しても当然譲歩するつもりだ。お前の部屋にはすでにテレビを用意してあるし、サブスクというヤツに入りたいなら入ってくれても構わんさ」

「……いいんですか?」

「ああ。他にも全面的にエンタメ系は解禁するつもりだ。私は今まで縛り過ぎていたように思うからな」


 宗五郎は天を仰いで、反省するように語った。


「ひとまずお前の生活に最低限、現代らしい自由を与える。だから戻ってきてくれ。私は……お前の居ない生活が寂しいようだ」


 本意を隠しつつも、思わず漏れ出た本音のようにそれは聞こえた。


「そう、ですか」


 そんな父の言葉を受けてだろうか、利央は仏頂面からいつもの澄んだ表情に戻っていた。


「急にそんなことを言われるのは気色悪い部分もありますが……分かりました。仕方ありませんね」


 ある程度の生活が保障されるなら、利央としても頑なに意地を張るつもりはないらしい。父の弱音に思うところもあるのだろう。

 利央は飛竜に視線を寄越してきた。


「……飛竜くん、申し訳ないですが私は帰ろうと思います」

「いや、それでいいんだよ。謝らなくて大丈夫」


 ちょっと寂しさもあるが、この状況が続くのはいびつと言える。

 利央がきちんと実家に戻れるならそれが一番である。

 

 短いあいだではあったが、利央と一緒に暮らせたのは良い財産になった。


(次、一緒に暮らすときがあるとすれば……)


 割り切りではなく、きっちりと関係を築くことが出来てから、かもしれない。


 そのために、飛竜はショートフィルム制作に励み、利央に釣り合う名実を築き上げなければならない。


 ともあれ、こうしてこの夜、利央は秋吉家を立ち去ることになった。


 宗五郎が先に帰った一方で、飛竜は利央の荷物まとめを手伝い始めている。


「飛竜くん、今回の家出に関しては本当に助かりました」


 ふとそんな感謝の言葉が鼓膜を揺らしてきた。

 洗濯物を畳む利央の言葉が引き続きリビングに木霊する。


「これまでは逃げられる場所がありませんでしたから、こうして大胆に家出で抗議することもままならなかったわけでして……今回良い結果を導き出せたのは、飛竜くんが逃げ場所を用意してくれたおかげだと思っています」

「まぁ、それもあるんだろうけどさ、ほら、親父さんの改心にも少しでいいから感謝をぶつけてやって欲しいよ」


 それは宗五郎の裏を知っているがゆえの言葉だ。

 利央からすれば幼い時分からずっと過保護に縛ってきた父親なのだから、すぐに仲睦まじくというのは難しいだろう。

 それでも、飛竜としてはそう言わずにはいられなかった。

 決して善性ではないが、悪性とも言い切れない不器用な父親の心理を、いずれ理解してやって欲しいと思うから。


「そうですね……少しずつ向き合って、父と良い関係を築いていければと思っています」

「聞けて良かった」


 利央もきちんと前を向いて変わろうとしている。

 だったらきっと、親子関係は悪い方向には転がらずに済むだろう。


「それと飛竜くん」

「あぁうん……なに?」

「帰る前にえっちがしたいです」

「台無しだよ」


 せっかくちょっと良い話風にまとまり掛けていたのに水の泡である。


「ダメですか? 家出最後の思い出に」

「まぁ……ヤろうか」


 なんせセフレ同士である。

 奔放に発散する間柄でそれを断る謂われもない。


 家出最後のプレイはベッドでお利口にではなく、利央の意向で庭に出た。


「……ご近所に見つかったら終わりだ」

「それがいいんですよ」


 利央は時折そこはかとなく破滅的な思考を匂わせてくるのが怖い。

 けれどもなんとか無事にそんなお外での情事を終わらせ、


「では飛竜くん、今生のお別れではないですし、また普通に学校で」

「ああ、また明日な」


 手を振りながら立ち去っていく利央が見えなくなるまで軒先に佇んだあとは、少し郷愁に耽るように夜空を見上げ、それから中に戻って絵コンテ制作に取りかかった。


 そして――


「……出来た」


 日付がもうまもなく変わろうかという頃、飛竜はついに絵コンテを完成させる運びとなった。


 話の流れやオチは結局変えず、サスペンス風味な考察要素を残し、観た人が思考を巡らせたくなるような内容を貫いたつもりだ。


 しかし絵コンテの完成は別にゴールではない。


「……むしろこっからがスタートか」


 名実を築くために、飛竜は前進あるのみである。

 いよいよ撮影を始めていく。

 もちろん利央との日常的な交流をないがしろにはせず、焦らずに、まったりと。

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