第35話 環境チェンジ
「……どうしたんです?」
さて、姉の急な帰宅を知った飛竜は顔をしかめていた。
利央がキョトンとしているので、ひとまず事情を伝えなければならない。
「マズいことになった……
「え」
「ブラコンだから母さんと違って利央さんに友好的かは怪しいし、おまけにもう近くまで来てるらしいんだよ……」
「むむ……では隠れるだけ隠れておきましょうか。とりあえず靴を回収してきますね」
希実香の時と違って挨拶したがる素振りがないのは、非友好的かもしれない相手の様子を利央なりに見ておきたいということだろうか。
そんな中姉が自宅に到着したのは、利央が靴を回収して2階に戻ってきたちょうどそのときである。
「――たっだいま~!!」
(危な……)
ニアミスである。
キャリーケースを引く音と共に木霊してきた姉の声に飛竜は肝を冷やした。
「――おーいひーくん~~~!! お姉ちゃんが帰ってきたよ~~~~~~♡」
そんな雄叫びに合わせて早速階段を登る足音が迫ってくる。
悠長にしていられる時間はない。
飛竜は慌てて利央の身体を自室のクローゼットに誘導した。
「じゃあ利央さん、悪いけどここでジッとしてて」
こくりと頷いた利央を信じて、飛竜はクローゼットを閉めた。
「――お♡ 久しぶりに見るひーくんは少し大人びたかな♡」
閉めていなかった自室のドアから、スタイルの良いウルフカットの黒髪ギャルがひょこっと顔を覗かせてきたのは直後のことだった。
姉の
耳に小さくピアスをあけており、全身はシルバーじゃらじゃらの黒ずくめ。
背中にギターケースを担いでおり、その見た目通りにバンド活動をやっている音大在籍中の女子大生だ。
ろくに就活もせずに夢ばかり追っている梓紗は、その右手に安い缶チューハイを握っておりそれをごきゅごきゅ呑んでご機嫌そうに「ぷはー♡」と微笑んでくる。
「マンションの火事怖かったけどひーくん見ると癒やされる~♡」
「相変わらず飲んだくれてんのな……てか火事って姉ちゃんが原因?」
「ちゃうちゃう。なんか大学から帰ったら下の部屋が燃えててビビった感じ。消火終わったあとにあたしの部屋の耐久性がどうたらこうたらって話で、ひとまず避難してつかあさい、って言われちゃってさ~」
そう言って飛竜の部屋に上がり込んでくると、
「ま、ひーくんとまた暮らせるんだから別にそれで文句ないけどね♡」
と、情熱的なハグを繰り広げてきたのだから、飛竜としてはそのブラコンぶりに呆れてしまう。
「酒クサ……」
「女子に向かってその言い草はないっしょ~♡」
じゃれつく猫のようにほっぺをこすり合わせてくる梓紗。
「(――むすむすむすむすむすむす……!)」
そんな折、クローゼットからかすかに利央の声が聞こえてきた。
「(幾らお姉さんと言えども距離感が近過ぎるんじゃないでしょうかむすむすむす……!)」
どうやらヤキモチ工場がフル稼働しているようだ。
飛竜に聞こえるそんな独り言は当然梓紗にも聞こえたようで、視線をキョロキョロさせ始めている。
「ん? なんか今聞こえなかった……?」
「き、気のせいじゃないか?」
「そうかなぁ……ていうか今思えば、なんか甘い香りしてない……?」
「し、してない……酒飲んで嗅覚が麻痺ってるだけだろ」
「そうかなぁ……ま、別にいっか」
(よし……誤魔化せた)
常時酔っているに等しい飲んだくれの梓紗はある意味御しやすい。
このままどうにか利央の存在が気付かれないようにしたいところだ。
ベストの結末は、このままバレずに利央を帰すこと。
飛竜はそのために一旦梓紗を廊下に連れ出し、彼女の私室に誘導した。
「うわ、何コレ……あたしの部屋お化け屋敷になってんじゃん」
「ごめん。ちょっと使わせてもらうつもりでさ」
「使うって何に?」
「ショートフィルム制作のロケ地」
「ショートフィルム? えーなになに、ひーくんも夢追い人になんの? 子供がどっちもまともな社会人にならんとかパパとママ泣いちゃうじゃんw」
「姉ちゃんがバンド諦めて就活すればいいよ」
「ヤダよー、もう5年は頑張りたい」
「結構猶予持たせたな」
「そんでアラサーくらいまで夢見たあとはひーくんに養ってもらいます♡」
「丁重にお断りします」
「ともあれ、ひーくんがこの部屋使うならあたしはパパとママの部屋で過ごせばいい? どうせ空いてんだし」
「いや……片付けるからここで過ごしていいよ」
飛竜がそう言ったのにはワケがある。
利央の存在を梓紗に秘匿している現状、梓紗の滞在中は秋吉家での撮影自体が禁じられたようなものだ。
梓紗が両親の部屋を使うと言ってくれたのはありがたいが、堂々と撮影出来ない時点でその厚意は無意味である。
(ブラコンの姉ちゃんが利央さんの存在を許してくれるなら話は変わるが……)
利央をお披露目してどんな反応が返ってくるのか分からなくて怖い。
姉のブラコンヤンデレエピソードは枚挙にいとまがなく、たとえばその昔、幼い飛竜が小学校の運動会で女子と二人三脚しただけでその女子に見立てた藁人形を作っていたことがあるのだ(その藁人形を何に使ったかは知らない)。
そんな感じで色々と常軌を逸しているので、なるべくなら利央とは関わらせたくないのである。
「……あれ? ところでひーくんはそのショートフィルムを撮る側だよね?」
不意の問いかけは直後に鋭さを帯びる。
「ってことは演者が居ると思うんだけど、まさかその演者って……仲良しな女子だったりしないよね?」
「――っ」
「ど・う・な・ん?」
じーーーーーー、と湿り気のある眼差しが照射される。
飛竜は冷や汗を流しつつも、
「僕に女子の知り合いなんて居るわけないだろ……」
と自虐の誤魔化し。
すると梓紗は「悲しいけど、そうなんよね」と表情を元に戻して同調していた。
「でもだからこそ安心出来るって寸法なわけよ。これからも非モテでお願い♡」
「へいへい……」
「ほなあたしはちょっくらコンビニ行ってくる。酒切れたw」
と、缶チューハイをひっくり返してもうないアピールをしつつ、梓紗は階段を降りて玄関から出て行ってくれたので、飛竜は盛大に安堵の息吹を吐き出した。
「……どうにかやり過ごせた感じです?」
「生きた心地がしなかった……」
飛竜が自室に戻ると、利央がクローゼットから出てきた。ヤキモチは収まっているようだ。
「なかなかクセのありそうなお姉さんでしたね」
「クセしかないんだよ……利央さんと引き合わせるなら上手いこと段階踏まないとダメだ。ショートフィルムのBGMは姉ちゃんに頼もうと思ってるから、機嫌損ねたくないっていうのもあるし」
「あ、そういう目論見なんですね」
「そう。姉ちゃんはオリジナルで音源作れる人だからな」
ゆえに梓紗が非協力的になる状況を構築するわけにはいかず、その点で言えば今日いきなりのバッティングを避けられたのは重畳と言える。
「とりあえず……今日のところは撤収してもらってもいいか?」
「分かりました。ですが放課後に飛竜くんのおうちが使えなくなったのは痛いですね」
「うん……撮影場所どうしよう」
梓紗の避難は一時的なモノだと思うが、それはひと月かもしれないし、ふた月かもしれない。あるいはもっと続く可能性だってある。
ショートフィルム第一弾は7月中には撮り終えて夏休み中には投稿したいつもりなので、撮影を長々と先延ばしするのは避けたい。
「でしたら、私の家はどうです?」
「それは……いいのか?」
「はい。座敷牢があるので、今回の題材でしたら私の家の方が良い絵が撮れるかもしれませんよ?」
(……なんで座敷牢なんてあるの)
怖いから踏み込まないでおく。
「た、確かに座敷牢は良い絵になると思うけどさ、撮影場所として使って大丈夫か? 親父さんに何か言われない?」
「今の父なら簡単に許可をくれるかと」
「……まぁ、そうかもな」
変なことさえしなければ、恐らく文句は言われないのだろう。
「じゃあ……明日の放課後からは利央さんちがメインってことでOK?」
「言い出しっぺが拒否すると思いますか? 撮影作業のあとは夕飯を食べていってもらうくらいのサービスはするつもりですので」
「割り切り相手に豪勢なことで」
「べ、別にいいじゃないですか。つべこべ言わずに食べていってくださいむすむすっ」
照れ臭そうに可愛らしい怒りをぶつけられてしまえば、もちろん拒否する気など起きようはずがない。
予期せぬ環境チェンジは、ひょっとしたら良い刺激になるのかもしれなかった。
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