第83話 特に変わらない
「告白……いよいよ今日か」
翌朝を迎えた飛竜は、泊まっている部屋の洗面所で顔を洗いながら鏡に向かってぽつりと呟いた。
本日、利央にサプライズ告白を仕掛ける。
幼い頃から利央が想いを寄せてくれていると知ったからには、紅葉に旅行をお膳立てされたこともあって、早くこちらの気持ちを伝えなければならない。
そんな決意をしつつ、飛竜は身支度を整えてから朝食のために宿の食堂へと向かった。
「あ、おはようございます、飛竜くん」
宿泊客で賑わう食堂には先に朝食中の利央の姿があった。
今すぐ告白するわけではないので、ひとまず平常心で利央と同じテーブルに腰掛けた飛竜は、利央が食べている鮭の照り焼きを主菜とした朝食セットが美味しそうだと思ったので、同じモノを注文した。
朝はまったく食べない(食べられない)という人も割と居る中で、飛竜と利央は双方共に朝からガッツリ行くタイプだ。
利央とのそんな共通点が、飛竜にとってはどこか誇らしいモノだった。
「むす……」
食後、厨房を取り仕切る利央の祖父に廊下で呼び止められた。
「え……何か?」
「むす……むす……むすす……」
(な、何言ってるか分からない……)
むす語を駆使する祖父に困惑していると――
「――今日、坊主が利央に何をしようとしているのかは分かる、気張れよ、と言っているんよ」
背後からタマネギヘアーの祖母も現れた。
通訳された祖父はどこか満足げに立ち去ってしまう。
祖母はやれやれと言いたげに笑っていた。
「堪忍ねぇ。あの人無愛想かつ人見知りかつ口下手やから、いつも他人にはあんな感じになってまうんよ」
「……はあ」
「ともあれ、あたしらは秋吉くんが今日何しようとしとるか大体わかっとる。そうちゃんが紅葉ちゃんにゾッコンやったときの雰囲気そっくりやわぁ。そうちゃんはあっちの大学行ってからのお熱やったなぁ」
息子の軌跡を懐かしむかのように、祖母はそう言った。
「なあ秋吉くん、いま利央ちゃんがおらへんからゆーけど、あの子に深く踏み込んで後悔せんか? あの子というよりあの家やんな。あの家に深く突っ込むのは大変やよ?」
まさしくそれは老婆心からの言葉なのだろう。
しかし飛竜が今更その言葉で揺らぐことはありえない。
「誰に何を言われても折れません。僕はもう決めたので」
「ええねぇ。それでこそ若人やわ」
好ましいと言わんばかりに頷かれた。
「ほな、しっかり決められるようにコレをパクッと食べとくとええね」
そう言って祖母が手渡してきたのは、ひと口サイズの饅頭であった。
中心部に「むす」の文字が記されている。
「……これは?」
「むすの字焼きゆーねん。この宿の名物土産。縁むすびの御利益がありますように、ゆーてな」
「商魂たくましいっすね……」
早速食べてみると、オーソドックスなこしあんながら、丁寧な味わいで美味しい。
「これできっと上手くむすばれるはずやね」
「はい……そうなるように頑張ってきます」
祖父母からのエールとむすの字焼きによって飛竜は身が引き締まる思いだった。
その後、表向きはただの観光という目的を引っ提げて、飛竜はサプライズ告白のために利央と共に街中へと繰り出したのである。
※
「昔、ここから『むすの送り火』を見た覚えがあります」
「多分幻想だったんじゃないかな」
利央が清水寺に行きたいとのことで、飛竜はその要望に応じて清水寺まで一緒にやってきたところだ。
清水の舞台まで登ってきており、雑多な観光客に囲まれつつ遠景を眺めている。
「送り火って、大文字焼きが有名なヤツだっけ」
「そうです。お盆に帰ってきた先祖の魂を、あの世へ送り出すための儀式ですね。お盆の時期に来ていれば実際に見ることが叶ったかと」
「いつかきちんと生で見たいもんだよ」
「それは二人で、ですよね?」
飛竜が「もちろん」と頷くと、利央は安心したように表情を綻ばせていた。
そんな利央に想いを伝えるのはいつにしようか、と悩んでいるのが今の飛竜である。
無難に考えれば、観光のフィナーレとして告白を行うのがベストかもしれない。しかし早々に告白を行うことで、恋人として観光する1日にするのも良いのでは、という考えもある。もし後者にしたいなら、あまりグズグズしているべきではない。
(思えば……ここは思いきったことをするのに最適な場所か)
清水の舞台から飛び降りる――そんな慣用句がある。
死んだつもりで大それたことをやる、的な根性論。
今の飛竜に必要なのは間違いなくそのがむしゃら精神だろう。
(そうさ……もう利央さんを待たせておくわけにはいかない)
自分の家柄に縛られ、孤高であることを強いられてきた利央。
そんな利央にいっときの安らぎを与えた幼き日の飛竜が記憶を失ったことで、拠り所を無くした利央がどれだけ辛い月日を過ごしてきたのかは分からない。
だからこそ、割り切りの関係はさっさと終わらせ、改めて飛竜はきちんと利央の拠り所になりたいと思っている。
「あのさ利央さん……ちょっといいかな?」
だから飛竜は気付くとそう切り出していた。
もはや止まることは許されない。
「はい、なんでしょう?」
「実は……伝えたいことがあるんだ」
「――――」
改まった態度での言葉であるためか、利央は何かに勘付いたように固唾を呑む表情となっていた。
飛竜としても、わずかに緊張感が湧き上がってくる。
それでも飛竜は着実に言葉を紡ぎ出してゆく。
「利央さん……僕は終わりにしたいって思ってる」
「……終わりにしたい、ですか?」
「そう。……形骸化してる割り切りの関係を終わりにしたいんだ」
「っ」
「本当なら、チャンネル運営の成果がきちんと出て、親父さんに胸を張れるような名実を成してから終わりにする予定だったのは以前伝えた通り」
「……」
「でも、かつてのことを思い出したからには、そうはいかないなって思った」
小1から高2の春先まで、10年近くのあいだ、飛竜は利央を独りにしてしまった。
それは飛竜に非があることかと言えばそうではない。
しかしながら、飛竜は大事な記憶を無くしていた自分を情けなく思っている。
もっと早くに思い出していれば、利央の縛られた生活を早々に解放することだって出来たかもしれない。
そんな責任感は無論、利央のことが好きだからこその感情だ。
「利央さん……僕は今この瞬間を皮切りに、利央さんときちんとお付き合いしたい。将来的に一緒になることを前提に、末永くだ」
ついに伝えたその言葉に対して、利央は、
「飛竜くんは……本当に私でよろしいんでしょうか?」
どこか気遣うような言葉を返してきた。
「私は……事故を誘発して幼き日の飛竜くんを傷付けてしまった人間です」
「気にしてない」
「それに……私の家は知っての通り面倒です……父には交際をまだしばし黙っているのだと思いますが、仮に後々認められたとしても、それはそれで飛竜くんが家業のアレコレを継がなければならないかもしれませんし……」
「いいんだよ」
飛竜は即答を続けた。
「利央さんと一緒になれるなら、僕は何も気にしないし、どんなことだって乗り越えられる自信しかない」
「むす……っ」
「だからもし利央さんに差し支えがないなら、正式な恋人になって欲しい。僕はそれくらい利央さんのことが大好きなんだよ」
変に着飾ることのない素直な想い。
それを聞いた利央の目には涙が込み上がっているのが確認でき、
「――私だって大好きですむすむすむすむすっ……!」
それから歓喜を爆発させるかのように、飛竜に思いっきり抱きついてきたのである。
「わ、ちょ、人目が……」
「知りませんどうでもいいですむすむすむすむすっ……!」
これまで利央が人前であからさまな親愛の行動を見せてくることはなかった。せいぜい手を繋ぐ程度だったモノがこうなるのは、やはり正式な告白をされたがゆえに思いの丈のすべてを発露したくなったからだろうか。
「むすむすむすむすっ……!」
「り、利央さん落ち着いて……!」
さながらじゃれる大型犬である。
そんな告白劇をすぐそばで目撃していた外国人観光客が「OH~、オメデトー」と言ったのを皮切りに、周囲の人々が連鎖して「おめでとう」「おめでとう」と拍手し始めてエヴァの最終回みたいになったのはご愛嬌。
ちょっと恥ずかしくなった飛竜は、ぺこぺこしながら利央を引き連れて清水の舞台をあとにしたのである。
「えっと……これからどうしよう」
「――宿に戻りますむすむす」
清水寺の敷地から出たところでのやり取り。
飛竜が「え……もう帰るのか?」と訊ねると、
「今日は私と飛竜くんが結ばれた記念すべき1日――
どうやらこのままデートに洒落込むのではなく、一刻も早く身体を繋げたい思いでいっぱいのようだ。
飛竜はやれやれと思ってしまうが、このむす娘が身体でのスキンシップを重視するのは今に始まったことではないわけで。
(なんか……あんまり変わらないのかもな)
ついに交際関係へと発展しつつも、在り方自体は何も変わらない。
けれどもひとつのケジメが付いたのは間違いないので、飛竜としては満足感が強くあった。
こうしてこのあと、飛竜は宿に戻ると夜更けまでひたすら利央と熱い肉体言語を交わし続けることになる。
ただ、これですべてが終わったかと言えばそうではない。
アプローチしてくれていた優芽に今日のことをきちんと報告すべきだろうし、何よりまだ宗五郎に認められたわけでもなんでもない。
チャンネルの運営と成長に引き続き力を入れて、宗五郎を納得させられるだけの地位と名誉を手に入れなければならないことに変わりはないのだ。
「――飛竜くん、これからもよろしくお願いしますねむすむす」
「ほげ……」
ともあれ、飛竜は今宵散々搾り取られ、もはや何も出ない搾りカス状態となったのはここだけの話である。
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