2章

第84話 どういうことなの

 翌日、京都旅行は終わりを迎え、飛竜は自宅へと戻ることになっていた。


 そんな飛竜には旅行後のリスクとして恐れていることがひとつあった。

 それは宗五郎が今回の旅を怪しんで、飛竜と利央の仲を勘ぐってくること、なのだが――


(……結局カチコミはなかったか)


 帰宅したこの日、宗五郎による接触や電凸はなかった。

 恐らく旅行の発起人である紅葉が上手いこと誤魔化してくれたのだと思う。

 そもそもこちらを怪しむなら旅行中に無数の着信履歴を残すくらいあっても良さそうだったが、それすらなかったことを思えば、初めから宗五郎への対策は施されていたに違いない。紅葉様々と言えよう。


(にしても……僕は利央さんと付き合うことになった、わけだよな……)


 就寝前の時間帯、旅行で多少疲れた身体をベッドに横たわらせながら、飛竜は感慨深い気分に包まれていた。こうして1人になって初めて、その実感を落ち着いて噛み締めることが出来ている。

 

 そんな中、スマホが着信を報せ、確認してみると利央からのメッセージで、


【今日も1日が終わりますね。飛竜くん、おやすみなさい】


 という就寝の挨拶であった。

 これに関しては大体毎日送られてくる内容なのだが、今日はそのあとに――


【大好きですよ。むすん】


 そんなメッセージが続けられたのを見て、飛竜は思わず頬が緩んでしまった。

 締めのむすんにどんな意味があるのかは不明だが、大好きですよ、だけだと簡素ゆえに顔文字感覚で入れられたワードなのかもしれない。

 ともあれ、親愛のメッセージがダイレクトに送られてきたのは初めて。

 飛竜はこういう変化を嬉しく思う。


(これは僕も何か返した方がいいよな……)


 そう考え、飛竜は【僕もだよ】とフリック入力したが、なんとなく味気ないのが気に食わず消去。それからああでもないこうでもないと悩んだ末に結局【僕もだよ】に原点回帰して送ることになった。

 キザな言葉を考えるよりも、さっさとリアクションした方が利央も安心するだろうと思ってのことだ。

 すると――


【♡】


 シンプルなハートが返事として送られてきた。

 どうやら簡素な返答でも充分に気持ちは伝わってくれたようだ。

 それにホッとしつつ、飛竜も同じハートマークを返して、今宵は晴れやかな気分で眠りに就いたのである。



   ※



 翌朝、飛竜は事務所を訪れ、京都で撮影したモキュメンタリーホラーの編集をこなしながら残り少ない夏休みを過ごしていた。


 利央も一緒だ。事務所内の軽い掃除などをしてくれている。今日は昼過ぎに優芽がこの場を初訪問することになっており、それに備えて、というだけではないだろうが、清潔な環境の維持に努めてくれるのはありがたい限りであった。


「黄金井さんが来たら、僕らの交際を報告しよう」


 そんな中、飛竜は利央にそう告げた。

 掃き掃除をしている利央は、こくりと頷いていた。


「それが筋というものですね」


 飛竜にアプローチ中の優芽にまで、宗五郎と同じ扱いで交際の情報を伏せておくのは不誠実。ゆえに明かすわけである。


「でも黄金井さん、怒るかな……」

「玉砕覚悟で迫っていたのですからそれはないかと。ただ」

「ただ?」

「知っての通り、あの子は一度死の淵を見たがゆえに怖い物知らずな部分があり、後悔しない生き方を模索しています。そう簡単には引き下がらず、諦めない可能性も」

「なるほど……」


 確かにその可能性は捨て切れない。

 もしそうなったら弱ってしまうが、


(ま……なるようになるしかないか)


 結局は二人の交際を知った優芽の反応次第である。

 今アレコレ考えても仕方が無い。 

 飛竜はそう思い、優芽の訪問を待つことにした。


 待つあいだ、飛竜は編集作業を継続し、利央はやがて掃除を終わらせて飛竜の隣に座ってくる。ジッと作業を見守っていたかと思えば、「むす……」と物欲しそうな顔を見せるのでそのたびにキスをする。

 正式に付き合ってからというもの、利央からのスキンシップは密なモノとなっている。隙あらばすり寄ってきて、こうして口付けを求めてくるのだ。

 これまでキスは情事でしかしない感じだったが、付き合うことでようやく日常においても解禁されたような部分があった。


「ではぼちぼちお昼、作りますね」


 時計の針が正午に近付きつつあった。

 利央がキッチンスペースに移動し、冷蔵庫を開け始める。

 食材は利央が今朝買い込んでくれていた。


「――わっ、美味しそうな匂い!」


 利央の調理が始まってしばらくして、ついに優芽が訪ねてきた。

 相変わらずの黒髪ぱっつん座敷童子感。

 けれども私服はキャミソールにハーフパンツを合わせた格好で、さほど和の雰囲気はない。

 そんな優芽は犬っころのような空気感で利央に近付いていた。


「お姉様っ、何を作っているの!?」

「来ましたか。今はむすそばを作っているところです」


 なんの変哲もない蒸し焼きそばのことだ。

 しかし先ほどからソースの良い香りを漂わせている。

 出来上がりが楽しみである。


「こんにちは秋吉くんっ。良い事務所ね!」


 キッチンを離れた優芽がこちらにやってきた。


「そういえば、昨日まで京都旅行に行っていたって聞いたわっ。いいなぁ。あたしも行きたかった~」

「……ごめん急なことでさ、誘う余裕がなかったんだ。今度は3人で行こう」

「ほんとに? やった~!」


 喜ぶ優芽に、飛竜はどこか罪悪感を抱いてしまう。ひょっとしたらその表情を、このあと曇らせてしまうかもしれないからだ。

 どのタイミングで交際の事実を伝えるべきか、難しい。

 そんな風に思い悩んでいると、 利央がむすそばをたんまり盛ったお皿を運んできてくれた。豚肉や野菜がたっぷり入っていて具沢山だ。


「優芽も食べます?」

「食べるっ」


 こうして3人でのランチが始まった。

 賑やかな性格の優芽が話題を振り、飛竜と利央がそれに応じる時間が続く一方で、利央からの目配せが時折向けられるのは、そろそろ交際について話しますか? という言外の問いかけだろう。

 飛竜はそれに頷いた。先延ばしにしてもいいことはない。そう覚悟を決めた飛竜は、ひとつ深呼吸を挟みつつ、


「なあ黄金井さん、実は……僕と利央さん、付き合い始めたんだ」


 ひと思いにそう告げた。

 すると――


「やっぱり?」


 返ってきた反応は予想外。

 まるでこちらの報告を予期していたかのようなモノで。


「……え?」


 飛竜は逆に戸惑ってしまった。


「な、なんですか優芽、その反応……」


 利央も戸惑いを見せている。

 片や優芽はあっけらかんと、


「んー、まぁ、最初に秋吉くんと出会ったあの夜から、そもそもなんだか怪しい仲だなぁ、って思っていたんだもの」


 まさかの言葉ではありつつ、振り返ってみると最初は怪しんで接触されていたことを思い出す。


「私が知るお姉様は孤高だったわ。家柄による縛りを甘んじて受け入れ、誰かとつるむことなく静かに一人の時間を過ごす優雅な女子。そんなお姉様がこともあろうに男の子と夜に撮影だなんて、ひと目見た瞬間、ただならぬ関係なんだろうな、って思ったものよ」

「……じゃあ黄金井さんは最初から僕と利央さんの仲を怪しみつつ、それでも僕にアプローチを掛けていた、ってことか?」

「もちろんだわ。あたし、秋吉くんへの興味は本物だもの。それを抑えたら後悔するって思ったから」


 真っ直ぐな瞳が飛竜を捉えてくる。

 飛竜は申し訳ない気分で目を逸らした。


「ごめん黄金井さん……その想いに応えられないことになって」

「ううん、平気よっ。最初から玉砕覚悟なんだもの」


 けろっとした表情でそう言ってくれたことで、飛竜はどこか救われた気分となる。


「それで、お姉様と秋吉くんはずっと隠れて付き合っていたということでいいの?」

「あ、いや……なんというか、そもそもは……」

「――セフレだったんです」

「ちょ、利央さんそんな開けっぴろげに……」

「きっちり打ち明けるのが筋かなと思いまして」


 利央の言い分は分からないでもないが、飛竜は少し気恥ずかしい。

 一方で優芽も、


「せ、セフ……!?」


 ぼふん、と顔を真っ赤にし始めていた。


「そ、そんなえっちな関係だったの……!?」

「はいそうですよ。飛竜くんとはもう数え切れないほどむすむすしていて、最近はほとんどお腹の奥にむすむすしてもらっています」

「ほ、ほへー……」


 ぷしゅー、と湯気を吹き出さんばかりの優芽である。

 まだ生娘であろう彼女にはハードな真相だったのかもしれない。


「ところで優芽、あなたは飛竜くんをすんなりと諦めてくれるんです?」


 利央がジトッとした目付きで問いかけていた。

 優芽は多少落ち着きを取り戻した表情で、


「まぁ……諦めるつもりよ。けど……この先普通に広報としての付き合いは続くわけで、ちょっと悶々としちゃう部分があるかもしれないわ」


 そりゃそうだよな……、と飛竜はある程度の理解を示せる気分だった。


「だからあたし、きちんと吹っ切れるためにお姉様と秋吉くんにひとつお願いがあるの」


 どこか改まった態度でそう呟いた優芽は、続いてこう告げてきたのである。

 それはとんでもない要求だった。


「――2人のえっちを見せてちょうだいっ!」


(ふぁっ!?)

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