第87話 やっぱりダメ
※side:紅葉※
「あ、あなた……どうしてここに……」
「商談で外回り中なのは知っての通りで、まぁその休憩に立ち寄ったというだけだ」
仮眠室で愉しいことをおっぱじめている娘と姪と将来の義息。
そんな3人にとっての危機は、一応紅葉にとっても危機と言える。
宗五郎の来訪は言わずもがな由々しき事態と称するにふさわしく、心臓が早鐘を打ち始めるのは無理もないことだった。
「今やどこも禁煙禁煙だろう? 一服の場として立ち寄るにはここがベストなんだ。車で吸ったらお前が匂いで怒るだろうし」
軽い愚痴めいた言葉と共に、宗五郎が事務所に上がり込んでくる。
「いやいや……かといってここを一服の場にするのは違うでしょう?」
紅葉は娘たちを守るために、そんな宗五郎の前に立ち塞がった。
「ここはもう飛竜くんに明け渡したのだから、いつまでもあなたが足を踏み入れていいところではないわ」
「それはまぁ、確かにな……」
宗五郎がばつの悪そうな表情を浮かべ始める。
「だが……じゃあお前は何をしているんだ?」
「わ、私はどういう感じで映像を制作しているのか見に来ただけよ」
お楽しみを見に来たとは言えないのでそう誤魔化しつつ、
「で、今からもう帰ろうとしていたところだから、ほら、あなたも出るわよ」
と、宗五郎の腕を引っ張った。
「あ、おい待ってくれ。一服出来ないならせめて利央の顔を見て癒やしをだな……」
「だーめ。作業の邪魔をしちゃ悪いじゃない」
「む、むすー!!」
紅葉は宗五郎の腕をそのまま引っ張り続け、事務所の外へと誘導した。
とにかく今は宗五郎を遠ざけないと危険だ。
「いいかしらあなた? 二度と事務所には一服で立ち寄らないことね。利央と仲良くやっていきたいなら、ノンデリな行動は控えた方がいいわ」
「む、むす……確かにそうだな」
最近の宗五郎は利央と仲良くやっていくことに一生懸命だ。
こういう言い回しで注意しておけば、恐らくもう事務所にアポなし訪問することはなくなるはずである。
(これでとりあえず危機は去ったと言えるかしら……けれども……)
表通りまで降り立った紅葉は、仮眠室の窓を見上げてこう思う。
(利央……でもあなた本当に優芽ちゃんがセフレになること、認めていいの?)
優芽が色々苦労してきた子だから同情し、慈悲として青春を共有させてあげたいと思う気持ちは理解出来る。
でもそのために自分のパートナーを差し出すことを、本当に納得しているのだろうか。
もし紅葉なら、宗五郎が自分以外の誰かとまぐわうとなったら耐えられない。
(まだ間に合うわ)
宗五郎と共に車へと乗り込みながら、紅葉はそう思う。
しかし最終的に利央がどういう決断をしようとも、親としてその考えを尊重するつもりなのは言うまでもないことであった。
※side:利央※
「黄金井さん……胸を触られて痛かったりは?」
「だ、大丈夫……」
パーテーション越しに聞こえてくるのは、優芽の身体を解きほぐす本番前のやり取りだ。
愛撫を見られるのは恥ずかしい、と優芽に注文を付けられたので、利央は一旦パーテーションの裏に控えている形なのだ。
(むす……)
そんな中、利央は2人のやり取りを耳にしながら、なんだか悶々とし始めている。
その悶々とは、高揚感ではなく、モヤモヤだった。
優芽に対する慈悲として、覚悟して飛竜を差し出したはずなのに、利央の胸中では割り切れない感情が渦を巻き始めているのだ。
「利央さん……一応もっかい聞いとくけど、この状況、本当にいいのか?」
ふと、飛竜の問いかけが耳朶を打つ。
「無理してるんだったら、言って欲しい。イヤならイヤだって」
飛竜は優芽とセフレになることを決断したものの、それは恐らく優芽への同情と、利央が承諾しているから、という2点が主だった要因だと思われる。
優しいからこそ、利央と優芽の考えを優先し、この件に関して自分の意思をほとんど介在させていないということだろう。
そんな問いかけを発するのは、だからに違いない。
それに対して利央は、
「……大丈夫です」
そう言い返した。
本当に大丈夫なのか、 それは利央自身曖昧だ。
「そっか……じゃあ続けるから……」
返事を耳にした飛竜は優芽の解きほぐしを再開したようで、ぴちゃというほのかな水音を木霊させ始めた。それが果たして何をどうしている音なのか、想像は付く。だから利央の悶々は増大する一途であった。
(むす……でも我慢です)
10年近く孤独に頑張ってきたことに比べたら大した苦悶じゃない。優芽のためを思えば、我慢出来ることだ。
一方で、10年越しに叶った想い人との深い関係を、こんなにあっさり他者と共有していいのかと言えば……、
(むす……)
優芽のために、それでいい、と思うべきだろう。
でも。
しかし……。
「じゃあ黄金井さん、そろそろ……」
「あ、うん……つ、着けてあげるわ」
パーテーションの向こうでは、着実にコトが進んでいるようだった。
いよいよカウントダウンが始まったような状況だろうか。
(むす……むすす……)
そして、パーテーションの裏で利央は打ち震える。
それはさながら、過剰に空気が送り込まれてゆく風船のよう。
溜まりゆく悶々が、利央風船をどこまでも膨らませ、なんとなくその充填の結末が見えつつあった。
「こ、こんなにおっきいの……ほんとに入るのかしら……」
「入ると思うよ……けど……」
パーテーションの向こうで、飛竜もなんだか様子が変だった。
それでも迷いを吹っ切るかのように「いやなんでもない……ヤろう、利央さんと黄金井さんが望むことだし」と体勢を整える気配。
このまま介入しなければ、飛竜と優芽が繋がるのは間違いない。
それでいい。
それでいいはずなのに、
(やっぱり……)
利央の悶々は止まらない。
そして充填され続けた悶々が――
(――やっぱりダメです……!!)
ついに利央風船を爆発させた。
「――むすむすむすむすっ……!!」
「お、お姉様……!?」
「むすむすむすむすっ……!!」
パーテーション裏から飛び出した利央は、優芽に覆い被さり始めていた飛竜の身体を羽交い締めにし、優芽から引き剥がしに掛かったのだ。
「り、利央さん……」
「やっぱりダメです!!!!!!!」
本音が炸裂する。
優芽への慈悲があるのは本当だった。
しかしその慈悲を上回る飛竜への圧倒的な好意をやっぱり我慢することは出来ず、こうして止めに入ってしまったのである。
「ごめんなさい優芽!! この通り今回の件はなかったことにしてください!!」
ここに来ての撤回。
飛竜に優芽とのセフレを半ば強いて、優芽には希望さえ見せながら、なんと身勝手な振る舞いだろう、と利央は自分を非難する。
そう、だから優芽にどんな誹りを受けても何も言い返すことは許されない状況だ。
そのはずだった。
ところが――
「――えへ……安心したわ、お姉様」
優芽はどこか晴れやかにそう言ってみせたのである。
「……え」
「遅いわよお姉様。このまま本当にあたしと秋吉くんがえっちしたらどうするつもりだったわけ?」
「な、なんですか……まさか私の飛竜くんへの好意を試していたとでも……?」
「ううん……別にそういうのじゃなかったわ」
優芽はタオルケットで裸体を隠しながら言葉を続けてくる。
「まったく、これっぽっちも、そういう思惑はなくて、あたしはあたしで本気だったのは確かよ……けど、やっぱり悪いなって思う部分がどうしても……あったし、秋吉くんもほら、寸前になって……」
「あ」
何がとは言わないが、しゅん……とした状態になっていた。
「結局……お姉様も、秋吉くんも、乗り気じゃないままあたしに付き合っていたってこと。それはあたしも不本意だもの。2人に嫌々させるくらいなら、こんな関係はなかったことでいいの。……お邪魔虫に、なりたいわけじゃないから」
自省するかのように、優芽はそう言ってベッドから離れ始めていた。
「ねえお姉様、秋吉くん……でも最後にわがままを言わせて欲しいわ。今度こそキッパリ吹っ切るために、改めて本気を見せて欲しいの」
「……改めて、ですか?」
「そう、今度はじかに……パーテーション越しだったせいで、中途半端になったのかもしれなくて……あたしに介在の余地がないくらいラブラブだってところ、きちんと改めて見せて欲しいの」
そして、優芽はそう言ってきた。
それがせめてもの願いなのだろうか。
だとすれば、利央としては頷く他なかった。
「分かりました……飛竜くんも、それでよろしいですか?」
「ああ……それとごめん利央さん。黄金井さんと触れ合ったこと」
「いいんです。私が半ば強いたようなモノですから」
「ありがとう利央さん……それから黄金井さんも、ごめん」
「ううん、こちらこそごめんとしか言えないわ……こんなあたしへの戒めとして、2人のあいだに入り込む隙間は微塵もないんだってこと、知らしめてもらえたらありがたいわ」
「むす……では見せてやりましょうか、飛竜くん」
「……ああ」
こうして利央は巻いたままだったバスタオルを外し、飛竜と共に再びベッドへとなだれ込むことになった――。
※side:優芽※
(す、すごいわ……)
というわけで、優芽の視界では現状「見せられないよ」な光景が繰り広げられ始めている。
ぬちゃぬちゃのぐちゃぐちゃ。
募った悶々を発散するかのように、飛竜も利央も本気のやり取りに耽っている。
それがもう30分ほど続いている状況だ。
「り、利央さん……僕、また……」
「はい……いっぱいむすっぴゅしてください♡」
「う……」
そんな光景を目の当たりにしている優芽の中から、飛竜と肉欲に浸りたい未練はいつしか消えていた。こんなにお熱く愛し合う2人に割って入ろうなどもってのほかだと、ようやく理解出来たからである。
いつか自分もこういうことが出来る相手をしっかり見つけないといけないな、と素直に思う。一方で、
(でも今はまだ……秋吉くんのもとで広報をしっかりと頑張るわっ)
そう誓いながら、優芽はしばらくのあいだ親愛なる2人の猛りを眺め続けた。
やがてトイレにこもり、蓄積された桃色な感情を自分で処理し始めたのは、ここだけの話である。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます