第42話 ぎこちなくても今はそれで

「――盆栽が趣味ですか?」


 若菜家の庭先で盆栽をいじる宗五郎に飛竜がそう問いかけたのは、翌日の放課後、撮影の合間を縫ってのことだった。


 もうじき誕生日だという宗五郎にサプライズプレゼントを考えている利央の手助けとして、彼の趣味嗜好をさぐりに来たところだ。


「あぁ秋吉くんか……いいや、別に盆栽は趣味ではないよ。むしろつまらんと思っている」

「……じゃあどうして手入れを?」

「仕事などで出会う偉い面々に話を合わせるためさ。年配にはこういうのを好む輩が多い。だから私も嗜んでいるというだけのことだ」


 どうやら処世術のひとつとして自分の好みではないことをやっているようだ。


「じゃあ本当に好きなことって何かあります?」

「ないな。秋吉くんをあしらいたくて適当に言っているんじゃなくて、本当にないんだな、これが」


 宗五郎はどこか遠い目で夕焼けを眺めている。


「私はね、この立場になるために人生を邁進してきた。紅葉に惚れたのが始まりだった。紅葉と一緒になりたくて、今は亡き先代に認められるために、私は色々なげうって研鑽を重ね続けてきたわけで、娯楽という脇道に逸れる余裕はなかったということだ」


 愛する人のために頑張ってきた過去。

 それはどこか今の飛竜と重なっているように感じられた。


「今にして思えば、娯楽をろくに堪能せず生きてきた人間だからこそ、私は娯楽禁止の縛りを利央に課すことになんの躊躇もなかったのだろうな……自分がそうだったのだから、利央だって我慢出来るはずだ、と思っていたのさ」


 自省の言葉を述べながら、宗五郎は再び盆栽に目を戻していた。


「そんなわけで、私は存外空っぽで趣味嗜好はない。面白みがなくて済まんね」



   ※



「ふむ……父には趣味嗜好がない、ですか」

「うん。らしいよ」


 座敷牢に降りて、飛竜は撮影を再開している。新しいシーンを撮っているわけではなく、軽めの修正撮影である。若菜家で新たに撮るべきモノは、もうほとんど残っていない。

 ともあれ、さぐりの結果を利央に報告してみれば、彼女はむすっと頬を膨らませ始めていた。


「結局サプライズプレゼントは私のセンスに委ねられたようなモノじゃないですか」

「だな。利央さんが自分で決めないといけない」

「何にしましょうか……むすむす」


 顎に手を当てて悩ましげにむすむすしている利央。


「昨日も言ったけど、結局なんでもいいと思うんだ。利央さんのプレゼントならどんなモノでも喜んでくれるはずだし」

「とはいえ……新しい着流し、は無難過ぎますよね?」

「いや、そういうのでいいんだって」

「でもそれだけじゃつまらないと思うので、飛竜くん、ちょっと協力してもらってもいいですか?」

「協力?」


 その後に耳打ちされて利央の考えを知った飛竜は、それはいいかもしれないと思って全面的に協力を誓ったのである。



   ※

 


 そうして迎えた週明けの月曜日。

 宗五郎の誕生日当日の放課後は、若菜家で盛大な誕生パーティーが――ということはなく、特に何も催されない普段通りの光景がそこにはあった。


「……例年こんなもん?」


 飛竜は利央とのサプライズ(夕飯時に予定)に備えながら現状は先日に引き続いて軽めの修正撮影に徹しているが、周囲が静か過ぎて本当に誕生日なのか疑わしいほどである。


「父は祝われるのが苦手なので例年こんなものです」

「え……祝われるのが苦手?」

「ですが母からのプレゼントは毎年受け取っているので、祝われるのが苦手なだけで嫌いではないのだと思います」

「――そうよ。あの人はただ照れ屋なだけ」


 噂をすれば、である。

 和装美人の利央母、紅葉がこの座敷牢にしずしずと降りてくることに気付いた。


「利央、今年はあなたもプレゼントを用意してあげたみたいね」

「あ、はい……一応」

「ふふ。あの人の面白い反応が見られそう。泣いちゃうんじゃない?」


 紅葉はニヤニヤと悪い顔をしていた。

 

 そんなこんなで、やがてサプライズを仕掛ける夕飯の時間がやってきた。


 飛竜はご相伴にあずかりつつ、まずは紅葉のプレゼントタイムを鑑賞中だ。


「はいあなた、誕生日おめでとう」


 紅葉のプレゼントは手作りのチョコレートケーキと新しい眼鏡である。


「またひとつ歳を取ってしまったけれど、これからも元気で居てくれなきゃダメよ?」

「……祝わずともいい、と毎年言っているだろうに」

 

 照れ臭そうに呟きながらも、宗五郎はなんだかんだプレゼントを受け取って表情を少し柔らかくしていた。


「あ、そうそう。今年はなんと利央からもあるみたいよ?」

「……なに?」


 宗五郎は目を見開いていた。

 飛竜の隣でモグモグタイム中の利央が、一旦箸を置いて食卓の下に隠していた包みを宗五郎に差し出し始める。


「今年は特別です……これをどうぞ。着流しを見繕ってみました」


 少し緊張しているのか、利央は言葉少なでちょっとぶっきらぼうだった。

 宗五郎は目を見開いたまま、利央の無愛想など気にした様子もなく「……ありがとう」と包みを受け取っていた。

 その一方で、


「親父さん、利央さんからはコレもあります」


 飛竜は居間のテレビにアクションカメラを繋げ、とある動画を出力し始める。

 そう、利央がもうひとつのプレゼントとして企てたのはビデオメッセージだ。

 先ほど利央の部屋で撮ったばかりの鮮度バッチリ動画。

 面と向かって言うのは恥ずかしくても、映像越しなら伝えられる思いもあるということで、利央は1分ほどの動画を飛竜に撮らせたのである。


 利央が「……お手洗いに行ってきます」と席を立ったのは、恐らく今から流す動画を自分で観るのが恥ずかしいからだろう。

 そんな様子を微笑ましく思いながら、飛竜は動画の再生ボタンを押した。


『えっと……父さん、誕生日おめでとうございます』


 映像内では、ふすまを背景に佇むカメラ目線の利央が、どこかたどたどしく口を開き始めている。


『誕生日のメッセージとしてこんなことを言うのはどうかと思いますが、正直、私は父さんのことが嫌いでした』

「…………」

『私を守るためとはいえ、過剰に私生活を縛ってくる父親を好きになれる要素はありません。しかもぶっきらぼうで、口下手で、昭和に取り残されているような人物像じゃありませんか。今の時代にそぐわない要素満載で、たまに学校行事などに来られると恥ずかしいとしか言えませんでした』


 ボロクソである。紅葉がクスクスと笑っていた。


『ですが、その古びた考えをアップデートして私に自由を与えてくださったのはありがたい限りです。それでもまだ父さんに対しては苦手意識があります。ですが私なりに歩み寄れるように頑張っていきますから、父さんも出来ればお手柔らかにお願いしたいところです。今よりももっと仲良くなれたらいいと思っているのは、本当ですから』

「利央……」

『それと追伸です。父さんには趣味がないと聞いていますので、よろしければ飛竜くんの作品を今後追いかけてファン第一号として活動してみてください。そしたら私、もっと父さんを好きになれると思いますので』


 そんなちょっとした茶目っ気パートを挟みつつ、


『では改めて誕生日おめでとうございます。今後も元気に過ごしてくださいね』


 こうして利央の、面と向かって言えないビデオメッセージは終わりを迎えた。

 

 静けさが訪れた居間には、激しく鼻を啜る音が木霊し始めていた。


「よもや……利央から祝ってもらえる日が来るとは思わなかった」


 宗五郎は大洪水状態であった。眼鏡を外して目元をぬぐい、ずびずびと鼻を鳴らす様子を紅葉がスマホでニヤけて撮影しているのは、飛竜的にどう反応していいのか分からず黙って見ていることしか出来なかった。

 

 まもなく感情の迸りが収まった様子の宗五郎は、紅葉に「……撮るな」とひと言ぼやいてから飛竜に対してこう言ってきた。


「秋吉くん……君と出会ってから私は良いことが増えた気がするよ。君は招き猫のような体質を持っているのかもな」

「いや……えっと、どうなんですかね」

「まぁそれは冗談としてだ……利央の言葉にあった君の活動については、利央に言われたからというわけではなく、最初から応援しているよ。――ぜひ良いモノを作ってくれたまえ」

「あ、はいっ、頑張ります」


 こうしてその後、利央が居間に戻ってきてからは父も娘も気恥ずかしそうに黙ったままの時間が続いたものの、今は恐らくそれでいいのだと思う。

 利央の大学進学までにゆっくりと関係を築いていければ万事OKなのだから。


(さて……激励をもらった僕としては、クランクアップまでのもうひと追い込みを頑張らないとな)


 飛竜としてはいっそう身が入る思いなのであった。

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