第26話 こんな時でも

「いいじゃんプチ家出。うちへの迷惑? ――ノープロブレムっ」


 放課後に利央と一緒に帰宅すると、今日が休暇の最終日である母・希実香はそう言ってビシッと親指を立ててきた。


「そもそもさっき利央ちゃんのお母さんを名乗る美人が来てさ、『娘をお願いします』ゆうて泊まる荷物を託されちゃってるのもあるし」


(へえ、そんなことが……)


 昼休みに利央が自らの母にだけ今後の予定を伝えていたので、それを受けて利央母が事前に動いてくれていたようだ。

 

「でも待てよ……利央さんのお母さんはそんな風に分かりやすく利央さんの肩を持って平気なのか?」


 宗五郎からの圧力が心配だが、利央は「大丈夫です」と頷いてみせた。


「父と母の力関係は父が上のようで実際はイーブンです。父はそもそも婿養子なので、厳密には母の方が格自体は上でしょうか」

「あ、そうなんだ」

「ですが、母としては父のメンツを完全に潰すわけにもいきませんから、恐らく私への力添えはここまででしょうね」


 となると、ここからはもう純粋に利央と宗五郎の我慢比べになりそうだ。

 どちらが先に折れて謝るか。

 焦点はきっとそこだろう。


 しかし利央がそう簡単に折れるはずもない。

 かといって宗五郎があっさり屈するとも思えない。


(……長引きそうかもな)


 もしそうなるにしても、飛竜はしっかりと匿うつもりである。

 ウチに来い、と飛竜自身が誘いを掛けた以上、最後まで面倒を見ないという選択肢はありえないのだから。



   ※



 さて、希実香とのやり取りを済ませたあと、利央に貸し出す空き部屋の環境を整えることになった。

 軽い掃除をしてから、使っていないテーブルを運んできたり、布団の用意をしたり、利央と2人でせっせと運搬・配置作業中である。

 ちなみに広さは6畳なので狭苦しさはない。


「ふぅ、わざわざすみません」

「気にしなくて大丈夫」


 部屋の環境があらかた整った最後の仕上げとして、飛竜はその部屋のエアコンフィルターの掃除を始めている。

 時期的にエアコンはもう欠かせない。

 フィルターにホコリが溜まっていたので、庭に持ち出して洗剤を使いつつ綺麗にしているところだ。

 利央が隣でそんな様子を眺めている。


 彼女の姿は、制服から着替えた部屋着の状態だ。このあいだ若菜家を訪問した際はまさかの甚平だったが、今は普通に半袖Tシャツとホットパンツを着用している。当然のことだが、日によって変わるらしい。

 ムダ毛ひとつないすらりと長い脚を膝から折ってしゃがんでおり、惜しげもなく晒された太ももがむちっと強調されているのがなんとも目のやり場に困るので、飛竜はとにかくフィルター掃除に意識を向けている。

 何を今更太もも程度に気を遣う必要があるのか、という話ではありつつ、飛竜としては利央を大切に扱うスタンスを崩したくないので、変な慣れは生まないようにしているのだ。


「改めてになりますが、本当にありがとうございます。おうちに招いていただいて」

「いいんだってば。利央さんには色々助けられてるし、恩を返していかないと」


 ランチの提供、勉強の教え、ショートフィルム制作への協力。

 それらに応じて飛竜も何かしていかないと、平等じゃない。

 先日アロマキャンドルをプレゼントしたり、名前呼びに変更したりしたものの、その程度では釣り合っていないと思っている。

 日々、利央に対して出来ることはやっていくつもりだ。


「利央さん、折れるなよ?」


 フィルターを大体洗い終え、あとは乾かすだけ。

 ホースの水を止めながら、飛竜はそう告げた。


「篭城戦みたいな感じだけど、兵糧はたんまりあるしその供給も途絶えない状態なんだ。折れなきゃ負けようがないし、強気に行こう」

「ですね。父には一度しっかりと逆らってみたかったので、今回は門限緩和のためにトコトンやるつもりです」


 利央は長期戦も視野に入れているようだ。

 そうなると、希実香が今日で休暇を終えたあとはこの家で利央と2人きりで過ごすことになるのかもしれない。

 飛竜の父は希実香よりも運転ジャンキーなので、つかの間の休みも帰らずに、お盆辺りまでは高速道路上に居そうだ。

 つまり2人暮らしは約束された状態と言えそうである。


「……飛竜くんは本当に迷惑じゃないんですか?」


 不意にそう問われたので、飛竜は頷いた。


「僕は本来面倒なんて御免被りたい人間で、なるべく平穏に生きたいって思ってる。でも利央さんのことなら別で、さっきも言ったけどこの程度は気にしない」

「……なんで気にしないでくれるんです?」

「それはまぁ……内緒ってことで」


 あくまで割り切りなのだ。

 手を貸す理由は胸の内に秘めておく。


「そうですか。まぁいいですけど……それはそうと、今回のお礼をちょっとだけ先払いしておきますね?」


 そんな言葉のあと、利央がゆっくりと顔を近付けてキスをしてきた。


「ちょ……」


 相変わらず、こちらが割り切っても利央は親密に寄り添うことをやめてくれない。

 しかも、


「――あら~w」


 そんなときだった――すぐそこの窓にニヤけ面が張り付いていることに気付いたのは。


「青春しとるねぇw」

「か、母さん……っ」


 そう、希実香にいつの間にか覗き見されており、飛竜は「ぐぁぁ……」と頭を抱えざるを得なくなった。先日勘付かれた時点で開き直っていたわけだが、単に勘付かれるのと実際に見られるのとではワケが違うというヤツだ。


「むふふ、こら明日からの仕事は頑張れちゃうな~w 2人ともご馳走さまw」

「見られちゃいましたね。ふふ」


 利央は飛竜と違って恥ずかしそうにはしておらず、むしろどこか満足そうに微笑んでいる。


(もしかして……母さんが見てるって知っててキスを……?)


 希実香が明日以降仕事で居なくなる前に外堀埋め立て工事を急ピッチで進めてきたのかもしれない。


(ゆ、油断ならない……)


 宗五郎との対立中にそんなことをしでかす余裕がある辺り、利央は鬼つよメンタルに違いなかった。

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