第6話 銀の雷獣と輝く得物

 路地裏の一角に、一匹の小さな獣が身を潜めていた。大きさは仔猫か仔兎ほどであろうか。やや胴長に見えるものの、そのフォルムは狐そのものである。要するに、尖った二等辺三角形の耳と、ふさふさとした尻尾を一本具えていたのだ。毛並みはギンギツネのように黒味が強く、しかしその瞳は明るい黄金色だった。

 その狐らしき生物もまた、妖怪である事には変わりはない。動物である狐のミニチュアのような姿とサイズであるし、何よりその瞳には知性とある種の狡猾さが見え隠れしていたのだから。

 他の者にその存在を認識されぬように用心しつつ、狐は観察を続けていた――ガラの悪い妖怪たちが一人の人間の教師を取り囲んでいる所を。そして彼らの前に現れた、銀色の雷獣の姿を。


※※

「だ、誰だテメェ!」

「そんな……君は……」


 闖入者の登場に驚いたのはトリニキだけではなかった。トリニキに意識を向けていた妖怪たちもまた、トリニキ同様驚きの色を見せていたのだ。それ故にトリニキへの包囲が緩んだ。

 トリニキは反射的に振り返り、闖入者を直視した。声で誰であるか察してはいた。だがそれでも……姿を現した梅園六花の姿にまたしても度肝を抜かれてしまった。

 淡くぼんやりとした街灯をスポットライトのように浴びながら、梅園六花は仁王立ちしていた。日中見かけたセーラー服姿ではない。紺色の地に黄緑のラインが入った長袖長ズボンのジャージ姿である。

 暗がりでありながらも梅園六花の姿ははっきりと浮き上がっていた。街灯に照らされているからだと思っていたが、どうやら彼女自身もぼんやりと発光しているからであるらしかった。さながら、聖人が後光を背負っているかのように。

 だからこそトリニキは気付いてしまった。翠眼を光らせて微笑む雷獣娘が、右手に釘バットを携えている事に。釘バットなどという物を現物として目の当たりにしたのはこれが初めてだった。こんな事でこんなものの初体験を迎えるとはたまげたなぁ、などとトリニキは思っていたのだ。

 さてそうこうしているうちに、梅園六花もトリニキの存在に気付いた。トリニキと目が合った彼女の表情が一瞬だけ変貌した。獰猛な獣の笑みが剥がれ落ち、こちらを労わる様な、いっそ物悲しげな表情を見せたのだ。

 しかしその表情はそれこそトリニキの幻想だったのかもしれない。六花はやはり笑みを深め、妖怪たちを眺めているのだから。ケダモノのごとき獰猛さと鬼神のごとき憤怒を纏わせながら。


「おいおい。名を聞く前にはまず自分から名乗るのがマナーだって親父さんから教わらなかったのかい。ま、名乗るほども無いとだけ言っておこうかな。あんたらみたいな人間を襲って悦に入る三下相手には、さ」

「言ったなこの野郎!」


 何処までも挑発的な六花の言葉に、モヒカンイタチが怒りを露わにした。


「可愛いお嬢さんだからってこっちが下出に出ていたら……初対面の俺らを三下扱いとは、とんだメスガキじゃあねぇか。知ってるかいお嬢さん。クソ生意気なメスガキはな、オトナのオトコのを受け入れる運命にあるんだよ!」


 俺が優しくを教えてやるよ! 品性という物をことごとくかなぐり捨てたようなセリフと共に、モヒカンカマイタチが六花に向かって躍りかかってきた。カマイタチと言うだけあってやはり速い。トリニキの眼は、その姿をぼやけた残像として捉えるのがやっとだった。


「梅園さ……ん……?」


 生徒の身を案ずるあまり思わずトリニキは声を上げた。その言葉はしかし、すぐに疑問の色が滲み始める。六花は逃れず、大げさに立ち向かう事すらなかった。強いて言うならば、釘バットを持った右腕をゆったりと振るった事くらいだろうか。

 だがそれで決着は着いていた。モヒカンカマイタチは短く悲鳴を上げ、弾かれたように飛ばされただけだった。余程こたえたのだろう、かろうじて人型を保っていた変化が解除され、まるきり動物のイタチの姿に戻って伸びていた。


「はんっ。分からせが何だって言うんだこの雑魚が。だからあんたは三下なんだよ」


 六花はスニーカーの先でイタチをつついていた。イタチは意識だけはあるようで、射抜くような眼差しを向けつつ歯噛みしている。


「っていうかさ、アタシは子供の頃にカマイタチと闘りあった事もあるんだよ。そのアタシをガチで仕留めたかったら、胸を切り裂くか首を切り落とすくらいの覚悟でかかって来な! ま、女の胸とかケツを見て興奮するようなアホどもには無理かもしれんけどな」

「う、噓でしょ……」

「あいつ強すぎるじゃん」

「どうする? ずらかった方がよくね?」


 伸びてしまったモヒカンカマイタチを前に六花は高笑いをしているではないか。その時、得物である釘バットの先が妙にきらめいている事にトリニキは気付いた。

――電流を通し、直撃せずとも触れただけで感電するようにしているのだ。その事を悟ったトリニキは人知れず戦慄していた。

 ともあれまたしても、彼女は場の空気を掌握してしまったのだ。朝と異なり、圧倒的な武力と暴力を伴って。

 いずれにせよ、勝負は既についている――はずだった。

 六花はしかし、女王よろしく周囲を睥睨し、釘バットを揺らして言い添えた。


「どうしたんだいあんたたち! まさか一匹がやられた位で怖気付いているじゃあないだろうな! このアステリオスの威力を知りたいと思う、気骨のある奴はいないのかい!」

「も、もう良い。もう良いんだ梅園さん」


 他の妖怪たちが六花に注意を払っている事を確認し、トリニキは声を振り絞った。その途端、六花の射抜くような視線はトリニキにのみ注がれる。柳眉が寄せられ、不愉快そうな表情だ。


「やっぱし先公は先公なんだな。襲われていた相手に情けをかけるなんて」

「そうじゃないんだ梅園さん!」


 トリニキはまず呼び掛け、それから意を決して言い添えた。


「もうね、今のうちに警察に連絡を入れたんだ。だからその……これ以上君が暴れたら、君も彼らと仲良く警察送りになってしまう」

「何だと! くそっ、勝手に気を回しやがって」


 六花はもはや他の妖怪たちを相手になどしてはいなかった。不良妖怪たちは六花そのもの威力に恐れをなしているし、警察と聞いて浮足立ってもいたからだ。

 それにもう既に、パトカーのサイレンがこちらに向かって近づき始めている。先程通報したには気もするが……トリニキはここで安堵の息を吐いたのだった。

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