第6話 班分けと新たな職員

 四時間目。トリニキは授業を教える立場として一年二組の教壇に立っていた。行っていた授業は物理基礎である。

 ちなみに教員免許というのは、理科ならば理科、社会ならば社会といった塩梅に免許を取得する仕組みになっている。生物学を専攻しているトリニキが、物理基礎の授業が出来るのもそのためである。

 そもそも生物学は生物の知識や暗記だけで成り立つものではない。分野によって程度は異なれど、化学や物理学の知識も必要となる。トリニキはだから、物理学の知識も多少は心得ていた。学生時代に成績が良かったか、と言われると別問題であるが。


「……そんな訳で、今日の授業はここまでだね。まだまだ物理基礎の中では比較的簡単な所だけれど、見くびって怠けていたら赤点は逃れられないゾ。ちなみに先生はそれで赤点を取った事もあります」


 おどけた様子で最後の言葉を付け加えたトリニキであったが、生徒らの反応は芳しい物では無かった。漫才師的な表現をすれば滑ったのだ。或いは、新任教師の不真面目な過去に引いているような雰囲気さえ漂っていた。

 やはりその辺りも、前職の予備校と違うのだな。トリニキは引きつった笑みの裏でそんな事をふと思った。予備校ではこういうトリニキのネタが大いにウケたのだ。予備校生は進学に向けて心身をすり減らしているから、若い講師のギャグめいた言動が癒しになるのだろう。

 しかし今トリニキが向かっているのは、そんな予備校生たちよりも若い面々である。種族を問わず素直に教師を慕い、トリニキに教師としての威厳を求めている生徒とているくらいだ。そんな所でこうしたギャグは悪手なのかもしれない。


「鳥塚先生。本当に今日の授業はここまでなんですか?」

 

 生真面目な生徒の一人から質問が飛んできた。心配そうな彼女の顔をしっかりと見つめ、トリニキは微笑んで頷いた。


「大丈夫。というか早めに終わらせようと思って今日は段取りしたからさ。あはは、なんたって先生は副担任と言えどもこのクラスを受け持っているんだからね。そう言う所も融通が利くというか……」


 生徒らが動揺せぬようにと、トリニキは先手を打ってこれから行う事を告げた。


「先生もうっかり忘れかけていたんだけど、もうすぐ校外学習があるでしょ。この前のLHRで班分けとか諸注意とかをやる予定だったんだけど……色々あって出来なかったから、今回班分けだけでもやろうと思ってね」


 それで良いでしょ? 気軽な様子でトリニキが言うと、ようやくここで生徒らも納得してくれたのだった。

 実際には梅園六花と宮坂京子の両名がバチボコに決闘したために、先週のLHRは潰れてしまった訳である。トリニキは気を使ってその事をぼやかしはしたが……六花も京子も少し居心地の悪そうな表情を見せていた。


「とりあえず、男子と女子とそれぞれ四つの班に……合計八つの班を作ってくれるかな。まぁ大体五人くらいだね」


 班分けを命じるトリニキの言葉に、生徒たちがにわかに沸き立った。校外学習の班については、男子は男子で固まり女子は女子で固まる物であると、前もって今宮先生や米田先生から聞かされていた。妖怪たちも入り混じっている学園であるから、男女別などとこだわらずに男女混合で班を作るのではないか。校外学習の話を聞いた時、トリニキは勝手にそんな事を思ってもいた。

 そんな風に思ったのは、妖怪たちの中には同性だろうが異性だろうが気にせずカップル的な意味でくっつこうとする個体が人間よりも多いと感じたからだったのだが、その辺は思春期の人間の心理を鑑みた所なのだろう。

 中々決まらないようだったら、先生の方で出席順で決めるからね。忘れずに釘をさすのも教師の務めというものであろう。トリニキは物理基礎のテキストを閉じると、うごめき始めた生徒らの様子を教壇から静かに見守り始めた。

 編入生である梅園六花も十分に学園に馴染んでいる事であるし、もはや妙な事は起こるまい。そんな確信めいた思いが、トリニキの中にはあったのだ。


 昼休み。食事を終えたトリニキが空になった弁当箱を運んでいると、廊下で職員の一人に出くわした。パッと見大学生くらいに見える若者であり、人畜無害そうなのっぺりとした面とややずんぐりとした体躯、そして黒っぽい四尾が特徴的な青年である。


「鳥塚先生、こんにちは」

「ああ。こんにちは、塩原君」


 懐っこい様子で挨拶をしてきたので、トリニキも特にこだわらずに挨拶を返した。トリニキがその名を呼んだとおり、目の前にいるのは塩原玉緒そのものであった。宮坂京子が無意識のうちに作り出した分身である彼は、先週の決闘があってからというものあやかし学園の職員として働き始めていた。

 あの決闘――六花と京子の決闘の折に姿を見せていた塩原玉緒は、浜野宮理事長や萩尾丸にもその存在を知られてしまったらしい。老齢な天狗たちはもちろん彼の正体を知り、その上で彼をあやかし学園にて働くように命じたらしかった。実在する(?)妖怪ではないにしろ宮坂京子の分身という事で素性も知れている(?)し、何より四尾で強大な力を保持している。利用価値があるなどと、老天狗たちは冷静に判断を下してしまったのだ。

 そしてそれに塩原玉緒も逆らわずにいた訳であるから、現在の状況が成り立っている訳でもあるし。

 元より塩原玉緒は宮坂京子の思念や願望を色濃く反映した存在でもある。従って彼女が敵わないと思った相手には、塩原玉緒も反抗できないらしかった。

 トリニキ自身は、新たに学園に仲間入りした不思議な職員を仲間としてすでに認めていた。妖怪たちが集まる学園で教鞭を取っているからか、何というか順応性が高まったような気もしないでもない。


「塩原君もお疲れ様。特に変わった事は無かったみたいだね」

「ええ、お陰様で」


 トリニキの言葉に、塩原玉緒は静かに微笑んでいた。それを見たトリニキは、そのまま思った事を彼にぶつけていた。


「何もない平和が一番だもんね……時に塩原君。もうすぐ校外学習だけど、君はどうするのかな?」

「こっそり憑いて行きますね。あ、でも先生方には僕の存在はもう明るみになっていたんでしたっけ」


 トリニキの問いにこれまた即答し、その上で塩原玉緒は僅かに微笑んだ。彼が憑いて行くと言ったのはトリニキにも想定済みだった。元より彼は、宮坂京子を護るために顕現した存在でもあるのだから。今となっては、護る対象は宮坂京子だけでは無いのだろうけれど。

 塩原玉緒は少し真剣な表情になって、トリニキの方を見つめていた。


「それにこのところ、何とも胸騒ぎがしますからね……妖怪の勘が働くというやつなのでしょうね。僕の思い過ごしならば良いのですが」


 あ、やっぱり彼も年相応(?)の考えの妖怪なのだな。不謹慎かもしれないが、トリニキは塩原玉緒の顔を見てそんな事を思っていたのだった。

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