第5話 幕間:ルーキー退魔師、修行に励む

 妖怪たちがお天道様の許で学校生活や社会生活を営んでいるこの世界において、人間たちはただただひ弱な劣等種族に甘んじている訳でもない。もちろん、多くの人間たちは術を持たぬ普通の人間である。

 しかし、中には妖怪に対抗する術を持ち、それを継承していく人間たちもいたのだ。彼らは術者と呼ばれ、特に妖怪たちと闘う者は退魔師と呼ばれる事もあった。

 妖怪たちの多くは人間と共存し、友好的ないしは中立な存在ばかりなのだが……それでもその力を邪悪な目的に使う者も少なからず存在した。そうした連中と闘い、人間たちの安寧を護るのが退魔師の仕事である。

 もちろん、悪事を働く悪妖怪に関しては、マトモな妖怪たちも組織的に摘発は行っている。それでもやはり、人間として人間の生活や安寧を護るために退魔師は存在していた。何となれば妖怪たちと手を組んで悪妖怪や悪徳退魔師を摘発する事だって珍しくはない。

 異種族入り混じる世界においては、そうした自衛手段こそが社会の秩序と安寧を護るための要になっていたのだろう。


 キョート某所。ハンシン地区某所にあるあやかし学園からはいくらか離れたその場所で、二人の若き退魔師が訓練に励んでいた。

 退魔師の卵である二人組の若い男女は、自身を取り囲む異形たちと間合いを取っていた。送り犬に下級の鬼、化け狐に化け狸……五、六匹ほどいる妖怪たちは、いずれも異なった種族ではある。しかし彼らには共通点があった。退魔師たちに敵意を露わにしているという事だ。

 土煙が舞う。シベリアンハスキーもかくやという巨躯を誇る送り犬が、女退魔師めがけて跳躍していたのだ。


「ググ……グフッ!」


 退魔師の喉か腹か……いずれにせよ咬みつこうと躍りかかった送り犬の攻撃は、女退魔師に届く事は無かった。その喉から漏れるのは、ただただ戸惑ったような啼き声のみだ。

 送り犬は身をひねって着地しようとして――横ざまに倒れた。狼めいた尖った鼻面と、太い後足の付け根には錘の付いた紐が巻き付いている。女退魔師の相棒が、隙を見て放ったものだった。大型のそのベグレリは、もちろん妖怪の動きを一時的とはいえ封じるための効力が具わっている。

 その様子を見ていた女退魔師は、決然とした様子で送り犬ににじり寄る。その手にあるのは木製の剣だった。幾分装飾過多なきらいはあるが、対妖怪武器としての実用性は十分すぎるほどだった。何せこの木剣は桃の枝を削って作った物なのだ。加えて華美とも言えるほどの装飾は、使い手の力を増幅する効果を具えた代物でもあるのだから。

 女退魔師は、躊躇い無く木剣を送り犬の頭部に振り下ろした。


「――賀茂君に倉持君。訓練お疲れ様」


 二人の若き退魔師が一息ついたところで、彼らの師がゆるゆると姿を現した。

 大陸風の衣裳を着こなした、一見すると十八、九ほどの少女にしか見えない妖物は、ゆっくりと二人の退魔師とその周囲を眺めていた。賀茂君と倉持君と呼ばれた二人は静かに呼吸を整えており、その周囲には護符が散らばっているのみだった。妖怪の死骸が飛び散っているだとか、そう言ったスプラッタな情景が広がっているわけでは無い。何せ二人は実際に妖怪と闘っていたわけでは無いのだから。

 彼らはあくまでも、師匠が作り出した分身の妖怪と闘っていただけに過ぎない。初心者退魔師の訓練ではよくある事である。本物の妖怪を使うよりも双方危険にさらされるリスクは少ないし、何より本物を殺傷するわけでは無いので、気軽(?)に戦闘訓練を積む事も出来るからだ。

 もちろん、ある程度訓練を積んだら実際に妖怪たちと立ち向かう事にもなる訳であるが。

 呼吸が整った二人は、師匠の方に視線を向けた。それを見て――師匠は背後に控える金色の二尾を嬉しそうに震わせた。彼女は人間では無くて二尾の妖狐だったのだ。

 彼女の名は宮坂いちかという。稲荷の眷属を兄に持つ彼女であったが、彼女自身は妖怪絡みのトラブルを解決する便利屋にて生計を立てていた。妖狐の中でも特に人間に対して友好的な所もあり、今ではこうして退魔師の卵を手ずから教育する事もあったのだ。

 この宮坂いちかには、実は半妖の姪がいる訳なのだが、それはまたおいおい明らかになる事なのでここでは割愛しておこう。

 なお、見た目が少女めいてはいるものの、既にその年齢は二百歳を超えていた。妖怪としても一人前であるし、文字通り人知を超えた知識を蓄えていると、人間たちには思われているようだった。

 宮坂先生。凛とした弟子の声に、いちかは頬を緩ませた。


「賀茂君。君は中々良い線を言っていたと思うよ。送り犬をぶっ叩く時だって全くもって躊躇っていなかったもんね。ああいう心意気が、殺しても構わないって思いながら武器を振るう事が、我々妖怪と立ち向かう時には必要なんだよ。残念ながら、人間は非力な生き物だからね」

「ありがとうございます、宮坂先生」


 悪妖怪と立ち向かう時には殺すつもりで臨め。物騒極まりない文言であったが、賀茂は怯まずむしろ頬を紅潮させて頷いただけだった。そう言う意味でも、彼女は妖怪と闘う面において素養があるのかもしれない。

 ちなみにであるが、退魔師が悪妖怪を捕縛するにあたって殺傷してしまったとしても、それは正当防衛という事で片づけられるため安心してほしい。そもそも妖怪は頑健な肉体と身を護る術を具えているので、人間が殺意をもって襲い掛かったとしても、致命傷を負う確率は割と低かったりもする。

 そう言った意味でも、退魔師は思いっきり闘う意欲を養わねばならないのだ。

 そうしている間にも、いちかの視線は倉持の方にスライドする。少し物憂げな、心配そうな表情だった。


「倉持君も……途中までは良かったわ。だけど化け狐が女の子に変化した所で躊躇っちゃったでしょ? それで狐火をマトモに喰らってしまった訳だし……本当の悪妖怪だったら死んでいたわよ?」

「…………はい」


 やや蒼ざめた表情で視線を落とし、蚊の鳴くような声で倉持は返事をした。

 いちかの指摘通り、少女の姿に変化した化け狐の分身を前に、倉持は攻撃を戸惑ってしまったのだ。


「妖怪の中には、思いのままに姿を変える者がいる事は二人ともご存じでしょう。だからね、姿で惑わされたりしてはいけないの。狡猾で邪悪な考えを持つ妖怪は、相手の良心につけこんで場を切り抜ける術を持ち合わせてもいるんですから」


 一人前の妖怪ながらも少女めいた風貌のいちかのこの言葉には説得力が伴っていた。もっとも、彼女が少女のように見えるのは、他人を惑わせ籠絡させるための変化ではなく、童顔であるからに過ぎないのだが。

 そのいちかは遠くを探るように視線を走らせてから、静かに言葉を続ける。


「それにしても、二人とも少し力んでいるようにも感じられたわ。やっぱり、あの逃亡事件が気になるのかしら」


 賀茂と倉持は顔を見合わせ、それからいちかの方を向いて小さく頷いた。

 白銀の毛皮を持つ獣妖怪。その姿が二人の脳裏には浮かんでいたのだ。

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