第27話 化け狐、あっさり正体がバレる

 突然の塩原玉緒の登場に、六花のみならず退魔師たちも驚いたらしい。時間が止まったかのように、誰もが動きを止めていた。

 そしてその中で動きを見せたのは塩原玉緒だった。彼はまず六花の方を向き、笑顔と共に口を開いたのである。


「助けに来たよ梅園さん。ここからは僕が彼らの気を引いて時間を稼ぐから、その隙に逃げるんだ」

「ん、おう……?」


 半ば一方的に語られる玉緒の言葉に六花は頷く。心の中で、かすかな違和感を抱きながら。

 きっと自分はぼんやりとした面を晒しているのかもしれない。そう思って六花は表情を引き締める。玉緒はただただ笑みを浮かべて六花を眺めているだけだった。粘りつくようないやらしい笑みではない。純粋に、親愛の籠った暖かな笑顔だった。


「友達である君が窮地に陥っているんだ。それを助けるのに、大層な理由なんているのかい?」


 気取らない様子の玉緒に友達と言われ、六花は一瞬戸惑ってしまった。

 胡散臭い言動でもって六花を惑わせた事のある塩原玉緒であるが、本体である宮坂京子との決闘が終わってからというもの、その態度は軟化し、確かに友好的なものになってはいた。

 しかし、玉緒が六花を友達と言い切った事に、六花は違和感を増大させてもいた。確かに若い男の姿を取っている玉緒であるが、彼の言動や雰囲気は六花や京子よりも年長の妖怪のそれだった。兄がいたらこんな感じなのかもしれない。玉緒に対して、六花はそんな風に思った事もあるくらいだ。


「おい狐の兄ちゃん。今なんて言ったのかもう一度教えてくれないかい」


 だが六花が動き出す前に事態は動き始めていた。玉緒の出現に面食らっていた退魔師たちも既に我に返っている。特に倉持などは、桃の枝で作った棒を肩に担ぎ、ニヤニヤ笑いを浮かべながら半歩ほどこちらに近付いているではないか。

 賀茂の方はにじり寄って来る事は無かった。用心深そうな眼差しでもって六花たちを観察しているだけだ。強いのかどうかはさておき、直情的な倉持よりも厄介な相手であろうと六花は思い始めていた。


「あな……君らが罪もない妖怪を追い回しているのを黙って見てはいられないっていう事だよ」


 そこまで言ってから、今再び玉緒の視線が六花に向けられる。玉緒の眼差しは優しく暖かで、嫌悪感などは何もなかった。


「ましてや、その妖怪が友達なら尚更にね」

「友達だか何だか知らんけどな、犯罪者に味方するってなると共犯者になるんだぞ! そこんとこ解ってるんか狐の兄さんよぉ」

「ちょっと倉持君……」


 六花は今や、棒立ちになって玉緒と退魔師たちの問答を眺めていた。玉緒が逃げるための時間稼ぎをしているという事などは既に六花の頭から抜け落ちていた。もっとも、そうでなかったとしても自分だけ逃げるなどと言う事は六花は行わなかっただろうけれど。

 それに実のところ、塩原玉緒に対する違和感は未だに心の中に居座り続けていた。彼の話を聞いている度に、その違和感は膨らみ続ける一方でもあった。

 さて塩原玉緒はというと、困惑したように深々と息を吐きだし、それから唇に薄い笑みを浮かべながら言葉を紡ぐ。


「き、共犯者だと見做される事ごときを、この僕が恐れると思っているのかい? 賀茂さんに倉持君だったっけ。折角だから自己紹介をしておくよ。僕の……僕は塩原玉緒。名前からお察しだと思うけれど、あの三大悪妖怪の一人、玉藻御前の末裔だから、ね」


 言い切った玉緒の身体から、密度のある妖気が放たれるのを六花は感じ取った。所詮は分身であるから妖気そのものは宮坂京子のそれとほぼ同質である。だがその保有量や禍々しさは段違いである事は六花も知っている。分身というのは、時に使い手の力量を上回る強さを保有する者を顕現させる事もままあるらしい。自律型分身である塩原玉緒などはその最たるものであろう。

 しかし、その塩原玉緒の姿を見、妖気を感じ取りながら六花はまたしても首をひねっていた。確かに彼は、退魔師に向けて敵意でもって妖気を放出しているらしい。だが、かつて六花が彼と対峙した時に較べてささやかなものに過ぎなかった。強者を前にした時の圧倒的な絶望感、こちらに侵蝕してくるのではないかというドロリとした感触に欠けているのだ。

 ついでに言えば、玉緒は四本あるはずの尻尾を顕現させる事もなく、完全な人型を保っている。そこもまた奇妙だった。四尾クラスであれば尻尾やら何やらを隠して完全に人型になる事も出来るし、或いは退魔師を前に気を使っているという可能性もあるにはあるのだが。

 塩原玉緒は尚も言葉を続ける。右手の指が僅かに動いたかと思うと、彼の周囲に狐火が幾つも灯る。


「お二方、あなたたち……いや君らに選択肢をあげる。梅園さんを見逃して穏便に事を済ませるか、この僕と相争うか、ね。

 さっきも言ったとおり、僕は玉藻御前の末裔だ。賀茂家の陰陽師だろうが何だろうが怖くも何ともないからな!」


 玉緒の吠え声と共に、周囲で揺らめく狐火が僅かにブレたようだった。六花を助けるという名目で玉緒は退魔師たちに喧嘩を売っている。この狐火も先程の言葉も彼らに対する威嚇である事は言うまでもない。

 もっとも、それにしては玉緒の操る言葉も狐火も震えていたのだが。余裕綽々で退魔師たちを相手にしているというよりも、何がしかの恐怖や緊張を抑え込んだ上での言葉のように思えてならなかった。

 ついでに言えば、そもそも相手を威嚇して事を進めようとする行為自体が、塩原玉緒らしくないではないか。胡散臭く、ただただそこにいるだけでおのれの優位になるように立ち回る事が出来る。それが塩原玉緒であり、宮坂京子の願望の投影ではなかったか。


「なぁ賀茂さん……玉藻御前の末裔だってよ。これって本格的にマズいんじゃあないか? 俺らが追ってる強盗魔の鵺女どころじゃあないぜ」


 だがそれでも、玉緒の脅しはある程度の効果を発揮したらしい。倉持はあからさまにうろたえ、玉緒と相棒の賀茂とを交互に眺めている。

 そんな倉持を賀茂はなだめ、さも不思議そうに首をひねった。


「塩原さんだっけ。何と言うか、あなたの意見は筋が通ってないように思えるのよね」

「何ですって」


 戸惑いの色を隠せぬ玉緒に対し、賀茂は言葉を続ける。


「そこのお嬢さんと何がしかの関係があるのはまぁ解るわ。それで私たちと対立しようとしている事もね。でもあなた、言葉の割には闘うつもりなんて無いんじゃあないの? それこそ玉藻御前の末裔で、力に自信があるんだったら、こんなやり取りの前に逃げるなり闘うなりしているでしょうから」


 塩原玉緒は無言で俯くだけだった。悔しそうな表情は、どことなく宮坂京子のそれにもよく似ている。そんな風に思っていると、賀茂の視線が六花に向けられる。


「梅園さん、だったかしら。あなたはどう思う?」

「まさかのセカンドオピニオンかよ!」


 何処かでツッコミが聞こえたが、賀茂も六花もそれを無視していた。六花は塩原玉緒の姿を一瞥しながら、おのれの意見を口にした。


「そうだな……実はアタシも塩原玉緒とは面識があるし、あいつがどういう奴かは知っている。それを踏まえて考えてみると、アタシの隣にいるのは塩原玉緒じゃあない。そう確信したよ」

「梅園さん! 君まで一体何を言って……」


 玉緒が驚きの声を上げ、勢いよく六花の方に首を巡らせた。とうとう背後から狐の尾が飛び出したが、銀黒色の尾は一本だけだった。しかもそれも、最初は銀白色の毛並みだったのだ。

 六花の読み通り、塩原玉緒は偽物だったのだ。そして、塩原玉緒に変化しているのが誰なのかはもはや明らかである。


「もう狐芝居はよしな、。まさかあんたが分身である塩原玉緒に化けてここにやって来るとは思わなんだ」

「そんな……」


 呟いた小さな声は、青年のそれではなく聞き慣れた少女の声音だった。そして傍らにいる妖狐の姿も、チャイナ服の青年から制服を着こんだ少女の、要は宮坂京子の姿に戻っていたのである。

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