第28話 狐娘が臆病で無鉄砲だった件

 六花を助けに駆け付けた妖狐の化けの皮は完全に剥がれ落ちた。

 塩原玉緒に扮していた宮坂京子は、両の手指をしっかりと握りしめ、恥じ入るように項垂れていた。

 この状況を前にして、誰も何も言わなかった。退魔師たちは言うに及ばず、六花ですらこの状況に驚いていたのだ。

 塩原玉緒が六花の窮地を知って駆け付けたのであればまだ話は解る。塩原玉緒がそういう事をする存在であると六花は知っているからだ。だがまさか、その塩原玉緒に宮坂京子が自ら変化し、その上で六花を助けようと乗り込んでくるなどとは想定外だった。


「宮坂さん、何であんたがこんな所に来たんだっ!」


 問いかける六花の声は鋭い物だった。心の中で生じた強い驚きが、一部違和感と怒りに似た感情に変じたためである。

 京子の身体がびくりと震え、六花の方に向き直る。しかしその眼差しには、怯えや迷いの色は無かった。そしてそれは、六花にも薄々解っていた事だった。


「何でって……友達を助けるのに理由なんて要らないでしょう」


 京子の声は途切れがちであったが、それは単に呼吸を整えているからに過ぎなかった。未だ荒いその息には、ある種の獣臭が混じっている。決闘をしたあの時の事を六花はふいに思い出していた。


「タマに、塩原玉緒に変化したのは、その方が立ち向かうための勇気が出ると思っての事なんだ。わたし、いや僕は、実の所とんでもない臆病者だから、ね」


――本当に臆病者だったら、わざわざアタシを助けに駆け付けるなんて事はやらないだろうさ。心の中だけで呟きながら、六花は京子の背をそっと撫でた。肩を貸すまでも無かったが、極度の興奮による震えは六花の手に伝わってきた。

 京子が単なる臆病者であるなどと言うのはとんでもない話だ。

 普段は優美で清楚に振舞っている彼女であるが、燃え盛る焔のような烈しい気質を持ち合わせている事を六花は知っている。そうでなければ、スケバンとして恐れられている六花に対して決闘を挑むなどと言う事はしないであろう。まぁ決闘の方は六花が勝利を収めてそこで丸く収まりはしたのだが。

 六花の居場所に関しては妖術でこっそり探知したという事を、京子はさも申し訳なさそうな調子で語っていた。六花は別に腹を立ててなどいなかった。ただただ、京子自身が動いた事に驚いていたのだ。

 ちなみに本当の(?)塩原玉緒は他の班員の許に待機させているとの事であった。良かれと思ってやっているのだろうが、それにしてもちぐはぐであべこべではないか。六花はそんな風に思わざるを得なかった。


「それにしても梅園さん。塩原玉緒に変化していた僕が、なぜ僕だと解ったんだい?」


 少し落ち着きを取り戻した京子が、不思議そうな表情で六花に問いかける。昼日中の日差しを浴びた彼女の瞳孔は、狐らしく縦長にすぼまっていた。

 何でって言われても、そんなの見れば一目瞭然だったさ。六花は笑い飛ばさんばかりの勢いでもってそう言った。


「妖気自体は塩原玉緒と同じかもしれないけどさ、挙動とか色々な物があんたと塩原玉緒では違ったんだよ。あいつが持つふてぶてしさや胡散臭さは、さっきの塩原玉緒には無かったしな。それに何より尻尾を出そうとしなかったじゃあないか」

「それは……それは仕方なかったんだよ」


 尻尾の事を言及されるや否や、京子は恥じ入ったような表情で六花を睨みつけていた。火照って赤味を増した頬が、彼女の感情のうねりを雄弁に物語っているではないか。

 尻尾の増える獣妖怪たちは、変化術を使うにあたってあるルールに縛られている。本来の姿の時に持つ尾の数よりも多い尾を持つ者に変化してはならない。これは一尾の若妖怪から、九尾の前段階である八尾まで等しく設けられたルールだった。

 例えば六花は二尾の雷獣なので、三尾以上の存在には変化できない。そして宮坂京子は一尾であるから、全くもって尾の数をかさ増しする事は許されていなかった。

 と言ってもそれは尻尾を出している状態の事のみを示している訳であるから、尻尾を隠した塩原玉緒の姿として、京子は六花たちの前に姿を現したのだろう。

 もっとも、六花にしてみれば変化術をほとんど使わないので、そうした細々としたルールなどは特に気になるようなものでも何でもなかったのだが。

 それよりも今は大事な事がある。六花を捉えようと奮起する退魔師たちの魔の手からどうやって逃れるか。それこそが最重要課題であった。しかもそれは、京子の存在によって難易度が増したようなものだった。六花一人であれば自分が逃げるだけなのでどうとでもなる。だが今は、京子を護る事をも考えなければならないのだ。

 いや、やはりここは六花が立ち向かう他ないのだろうか。その間に、それこそ京子には逃げて貰うのが一番であろう。

 そんな風に意を決し、六花は顔をあげて半歩ばかり退魔師たちに近付いた。

 退魔師たちは呆然とした様子でそこに立ち尽くしていた。動いた事で視線は六花に注がれたものの、二人とも何故か京子の方ばかり見ているではないか。九尾の末裔を名乗っていた塩原玉緒が、少女の姿に変じた事に驚いているのだろうか。


「おい。あの娘、宮坂師匠にそっくりじゃあないか。妹さんなのかい?」

「違うわ倉持君。お師匠様は末っ子だって言ってたから……」


 当惑した様子の退魔師たちが、小声で何事か話し合っているのを六花は耳にした。宮坂師匠って誰の事なんだ。そう思っていると、後ろから背中を突かれた。突いたのはもちろん京子である。


「梅園さん。少しばかり二人の話を聞いてみようよ。もしかしたら、誤解が解けるかもしれないからさ」


 近付いて顔を寄せる京子は、何処か自信に満ち満ちた表情を浮かべている。六花もそれを見て、何とかなりそうな気がしてきたのだった。

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