第26話 助っ人は九尾の末裔(?)

「年貢の納め時だこの悪妖怪が、大人しく捕まりやがれこの野郎ー!」


 もはやヒャッハーと叫ばなかったのが奇跡だと思えるような声を上げ、倉持は早くも臨戦態勢に入った。いつの間にか用意した木刀を掲げる彼の顔は、満面の笑みで歪んでいた。

 倉持はそこそこイケメンではあった。しかし超絶美少女(要出典)な梅園六花を合法的にぶちのめせるという愉悦に歪み、控えめに言ってその笑顔は醜悪な物だった。

 独りよがりな正義感と、いたいけな少女に見えるモノをぶちのめす事への快感。悪意と欲望を煮詰めたような笑顔を前に、六花は僅かに眉をひそめただけだった。若き退魔師の青年に対し、恐怖や嫌悪の念は無かった。むしろ闘いが始まる予感ゆえにワクワクしているくらいだった。相手がゲスであればこちらもこちらで立ち向かう理由が出来るからだ。

 しかしそれでも、退魔師と呼ばれる相手に闘いを挑むのはあまり褒められた事ではない。六花の力量であればこの二人を難なくことはできるはずだ。だがそうすれば、過剰防衛という事で本当に警察の世話になってしまう恐れがあった。

 さりとてこのままぼんやりしていれば、嫌疑を晴らす間もなく捕まってしまう。一体どうすれば良いのか。その事を思案していたからこそ、六花は物憂げな表情を見せていたのだ。


「捕まるかよ、このアホなエテ公どもが!」


 せいぜい地べたを這いつくばっていな――捨て台詞と共に、六花の身体が。六花は逃亡する事を選んだのだ。それも、宙を浮いて空を飛ぶという方法で。

 普通の人間や獣妖怪の多くは、空を飛ぶどころか宙に浮く事もままならないという。鳥のように初めから空を飛ぶ身体構造を具えているか、妖力で重力に逆らう術を得ているか。そのどちらかでないと妖怪と言えども空を飛ぶのは難しい事だ。

 そして雷獣は、獣妖怪でありながら両方の条件を満たしていた。

 六花ももちろん空を飛ぶ能力は具えている。それこそ、人間が全力でダッシュするよりも気軽に空を飛べるほどだ。

 呆然とこちらを見上げる退魔師たちに皮肉っぽい笑みを浮かべながら、六花は高度を上げ、そのまま飛び去ろうとした。建物の高さ制限があるとされるキョートであるが、流石に空飛ぶ妖怪に対する飛行時の高度制限は見当たらない。

 そうこうしているうちに、六花は高度二十メートルほどまで飛び上がっていた。ある程度育った雷獣であれば、雷雲の生じる高度数千メートルまで一気に上昇する事すら可能である。とはいえ、飛ぶ事もままならぬ人間を撒くだけであれば、この程度の上昇であっても十分である。

 そのまま京子たちがいる所に向かうか。いや、一旦彼女らから離れた所に着地し、そこから合流しようか。六花は上空に浮かんだまま、少しの間進路について考えていたのだ。それから進む先を考えたのだが――


「ミギャッ」


 額に硬い物がぶつかる感覚に、六花は思わず声を上げていた。蹴っ飛ばされた猫の悲鳴に似ているが、実の所痛みはそれほど感じていなかった。驚きの為に上がった声だったのだ。

 六花は目を細めてぶつかった先を凝視した。何がしかの結界が貼られており、それ故に六花の逃亡を阻んでいたようだ。

――う、これはマズいやつだな……

 結界を感知した六花は、右のこめかみを撫でながらUターンする。結界の存在に気付くや否や、めまいや立ち眩みに似た感覚が六花に牙を剥いたのだ。結界は物理的に妖怪の動きを遮断するだけではなく、認識阻害の術も施されているらしい。その術こそがめまいの原因だった。

 雷撃を操る雷獣は、電流の動きにて周囲の様子を探知する第六感の持ち主でもある。その能力に干渉し、阻害するような術とは相性が悪いのだ。しかもその効果は、電流探知能力が鋭ければ鋭いほど牙を剥く仕組みにもなっている。

 先程までの威勢の良さは何処へやら、六花はフラフラとした軌道を描きながら飛行するほかなかった。六花の動きを制限する結界の範囲は、そうしている間にも徐々に広がっている。それを避けて飛ぶほかなかった。その上何故かは解らないが、身体が妙に重たく感じられたのだ。というよりも――地面に引き寄せられているような感覚とでも言うべきだろうか。

 結局のところ、六花は再び退魔師たちの傍に舞い降りる他なかった。


「空を飛んで逃げようと思ったみたいだけど、結界に阻まれたからどうにもならなかったでしょう?」


 退魔師の一人、若い女の方が口を開いた。興奮していた倉持とは対照的に、彼女はあくまでも冷静な態度を崩さない。


「あの結界術は、あんたがやった物なんだな? 中々の出来じゃあないか、姐さん」

「姐さんだなんて。実年齢ではあなたの方が明らかに年長でしょう?」


 六花の軽口に対し、女退魔師は僅かに微笑んで言い返した。彼女はそれから、胸元に片手を添えつつ口を開いた。


「そう言えば自己紹介がまだだったわね。私は賀茂朱里と申します。しがない退魔師の一人です。表向きは賀茂忠行の子孫という事なんだけど、大昔の事だから解らないのよね」

……だと!」


 賀茂朱里と名乗った退魔師を前に、六花の目が丸く見開かれる。

 とはいえ、相対する退魔師が陰陽師の子孫である事に驚いた訳では無い。賀茂と聞いて六花がまず思い浮かべたのは、賀茂神社の雷神の方だった。

 自身が雷神の遣いであると公言するほどに、雷獣たちは信心深い者たちが多い。それは雷獣たちにとっては誉れであり強みでもあるのだが、弱みになる事もまた事実だった。特に今回のように、立ち向かう相手が雷神の加護を受けているとなると。

 六花の戸惑いを感じ取ったのだろう。賀茂は薄く微笑んだまま言葉を続ける。


「ええ、先程の術は上賀茂神社の祭神の加護によるものですわ。鵺である芦屋川さんに対しても、随分とものだったようですね」

「アタシが寄る辺にしているのは道真公だが……ああクソッ、本当に賀茂神社の雷神の力を借りているとはな!」

「大人しく投降なさい」


 毒づく六花に対し、賀茂は冷徹な口調で言い放つ。彼女はいつの間にか印を組んでいる。何がしかの術を更に六花に向けて掛けようとしているのだ。

 光の帯らしきものが六本、賀茂の背後から六花の方へと伸びていく。これに捕まったらマズい。本能的にそう感じ取った六花は、二人の退魔師の様子をうかがいながら逃れようとした。

 謎めいた高笑いと共に一陣の突風が吹き荒れたのは、まさにその時だった。

 六花も飛ばされそうになって身をかがめたが、それは退魔師たちも同じだったらしい。気が付けば賀茂が行使し拘束しようとしていた光の帯も掻き消えている。


「――やれやれ。天下の退魔師とあろう君たちが、罪もない妖怪を寄ってたかって追い詰めるとは。一体どういう了見なんだね」

「あ、あんたは――!」


 六花と退魔師の間に割って入るように、その男は仁王立ちしていた。息を弾ませチャイナ服をはためかせているのは、塩原玉緒だった。銀黒色の四尾は今は隠されているが、九尾の末裔を名乗るほどの得体の知れなさとふてぶてしさは健在だった。

 もっとも、今回は六花の窮地を救うためにやってきてくれたのだろうが。

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