第24話 雨降り雷獣しおらしく

 木曜日は朝から雨が降っていた。四月に入ってからずっと晴天ばかりだったので、学園にやって来てから初の雨の日と言う事になる。妖怪である生徒の中には、雨が降っているという事で普段とはテンションの違う者たちも見受けられた。普段よりも言動に精彩に富むものもいれば、逆に落ち着いているものもいるという塩梅だ。

 妖怪と言うのも動物の一種であるから、そうした天気の変化や本能に引きずられる所があるのだろう。トリニキは静かにそう思った。

 この日トリニキは、内心そわそわしながら教壇に立っていた。別に雨が降ったからと言って心の動きに変動があったわけでは無い。

 梅園六花は病院に向かってから登校するので遅刻する。この報せがトリニキの心をざわつかせたのだった。

 一体、梅園さんの身に何があったのだろうか。トリニキは一教師として彼女の身を案じていた。途中で登校するとはいえ、病院に寄らねばならないとは大変な事では無いか。トリニキはそのように思ってもいた。連絡を受けた今宮先生の話によると、昨晩帰宅してすぐに意識を失い昏倒したのだとの事。

 ただ事ではないのは明らかだった。寝落ちならばいざ知らず、意識を失うというのは妖怪であっても余程の事である。しかも六花は病弱な生徒ではない。身体的な持病云々の話は聞いていないし、いっそ頑健な身体の持ち主である事は嫌と言う程知っていた。

 だからこそ、その彼女が倒れたという話にトリニキは驚いていたのだ。と言うか今日は休まなくて大丈夫なのだろうか。そっちの方が良いのではないか。そんな事も思ってはいた。

 もちろんと言うか、梅園六花が遅刻するという事に関し、クラスメイトらも敏感に反応していた。六花は編入生でありいわば外様ではある。しかしそれでも、短い間に生徒らの印象に残るほどの存在感を放っていた事には変わりない。

 生徒たちの反応は様々だった。素直に六花の身を案じる者もいれば、夜の街で乱闘したがために病院送りになったのだろうと、口さがなく噂する者もいた。

 その中において、宮坂京子は表立った反応を示さなかった。心配する素振りも見せず、さりとて六花の素行の悪さを笑うでもなく、ただただ授業に臨み、休憩時間は本を読んでぼんやりと過ごしているだけだったのだ。

 もちろん六花の不在について声高に騒ぐ生徒ばかりではないが、京子がこのような反応を見せるのもトリニキにしてみれば意外だった。

 しかも仔細観察してみると、平静を装いつつも何か思案しているようにも見えた訳だし。

 そんな塩梅であるから、トリニキは昨晩の出来事を忘れていたのだ。玉藻御前の末裔にして、宮坂京子の遣いであるという妖狐に出会ったという事を。


 梅園六花が登校したのは、三時間目が始まって十五分後の事であった。トリニキはたまたま受け持つ授業がなく、ゆえにやってきた彼女を出迎える事が出来た。

 いつになく気だるげな様子で傘を畳む六花の隣には、一人の女妖怪が寄り添うように傍にいた。とはいえ、前に会った管狐のメイドではない。彼女よりも年長で、尚且つ力のある妖怪であるらしかった。黒いワンピースに淡い色のボレロを羽織ったシンプルないでたちであるが、良家のご婦人のような品の良さと美しさを見せていた。

 鳥塚先生ですね。ともすれば六花の姉のように見えるその妖物じんぶつは、トリニキをまっすぐ見つめて挨拶をした。


「申し遅れましたが、私は梅園月華うめぞのげっかと申します。鳥塚先生には、いつもうちのがお世話になっておりますわ」

「いえいえこちらこそ」


 ご婦人は月華と名乗り、丁寧な様子で頭を下げた。ぼんやりとしていた六花の肩が僅かに震えたのをトリニキは見てしまった。

 今や六花はばつが悪そうに視線を下に向けているではないか。月華はそんな娘の様子を一瞥し、やや真剣な様子で言い足した。


「ご迷惑をおかけして申し訳ありません。本当は休みにしようと主人も私も申していたのですが、娘が大丈夫だから学校に行くと言って聞きませんので……」

「病院の医者だって、検査したけど何もないって言ってたじゃないか」


 黙っていた六花がここでようやく口を開いた。彼女は既に顔を上げていたが、それでも様子をうかがうような色が見え隠れしている。


「だけど六花ちゃん。丈夫なあなたが倒れるなんて……それにお医者さんは学校に通っても大丈夫だけど様子を見て休んでも構わないって仰ったんですから。みーくんだって初めての学校で緊張したから僕たちに甘えれば良いって言ってたでしょ」


 身を案じつつたしなめる月華の言葉に、六花がにやりと笑った。


「それはそうだけど……と言うか母さん。先生の前でみーくんとかって言っちゃったね」

「あらやだ。そうだったかしら」


 六花の指摘に対し、月華はそれほど動じた様子は見せなかった。むしろトリニキの方が少し恥ずかしくなってしまった程度である。

 三國と言うのが六花の叔父であり、月華にとっては夫に当たる妖物である事はもちろんトリニキも把握している。それにしても、品よく美しい妻にみーくんと甘えるように呼ばれているとはリア充の極みやな……独身であるトリニキは、この場にいない三國の事をそのように考察していた。ほんのりと羨ましさを感じながら。

 そうこうしているうちに、月華の視線が今再びトリニキに向けられる。母親としての顔を見せた月華を前に、トリニキも教師として向き合った。


「娘はこれから六時間目まで授業を受けるつもりなのですが、体調によっては早退するかもしれないのです。その時は鳥塚先生や皆様にご迷惑をおかけするかもしれませんが……どうか娘をお願いします」

「娘さん、梅園さんの事は僕にお任せください」


 しおらしく頭を下げる月華に対し、トリニキは笑みを浮かべながらはっきりとそう言った。若干声が上ずってしまったのだが。


「登校なさったのは梅園さんの意志でしょうが、これからの体調は梅園さんの意志では左右できない所があるでしょうから……ですがそれは仕方のない事ですので迷惑などとんでもありません。

 実は僕は梅園さんの入った部活の副顧問になりまして、そうした意味でも梅園さんとはちょっと深く関わっております、ので……」


 トリニキはそこまで言って、慌てて口を閉ざした。気だるげな表情の六花の眼差しが、にわかに鋭くなった事に気付いたからだ。

 彼女とてうら若き少女である事には変わりない。担任と部活の二つの領域で同じという程度で「深く関わっている」などとオッサンである自分が言うべきでは無かったのだ。それこそセクハラ発言に繋がるのではないか、と。

 ところが月華は腹を立てる事なく、柔らかな笑みを崩さなかった。のみならず、トリニキが部活でも六花と関わっているという事に喜んだくらいである。


「……ごめんね梅園さん。僕も迂闊だったよ。僕みたいなオッサンが深い関係だなんて言ったら、そりゃあ嫌だよね」

「別に、アタシは先生のその言葉なんて気にしてないよ」


 月華が去ったのを見届けてから、トリニキと六花は廊下を歩き始めていた。セクハラまがいの発言を謝罪したトリニキだったが、六花の反応は素っ気ない物だった。月華同様に、その発言は気にしていないと言わんばかりである。


「アタシがムカついたのは、早退するかもしれないって事で話を進めた事さ。こちとら休んだら負けだって思ってるのに……」

「まぁまぁ、休んだからって負ける事なんて無いよ。誰だって体調の悪い時はあるんだからさ」


 この言葉が六花の心に届くのか。トリニキにははっきりと判らなかった。しかし今の六花はやはり普段の彼女とは違う。スケバンめいた気の強そうな雰囲気を頑張って見せているが、やはりどこか気だるげでその挙動には精彩を欠いていたのだから。

 そうまでして自身を強く見せようとする彼女の姿は何とも憐れでいじらしい物だった。

 ここからトリニキと六花は二、三度言葉を交わした。六花は担任に診断書を出してから、そのまま授業に向かうつもりであるらしい。

 話を聞いたトリニキは、手先が汗でぬるんでいる事に気付き、ハンカチを取り出して手を拭った。しまったな……取り出したハンカチを見たトリニキは思わず眉根に皺を寄せた。よれたハンカチを見たトリニキは、昨日使ったままのハンカチをポケットに入れていたのだと気付いた。洗った手を拭うのに使ったので、途方もなく汚いわけでは無い。だが生徒に見られれば不潔に思われるだろう。


「鳥塚先生!」


 そんな事を思っていると、横を歩く六花がふいに声を上げた。猫の仔めいた甲高い声を上げた彼女の瞳は、強い驚きのために大きく見開かれていた。


「先生、もしかして……!」

「あいつ? それは誰の事かな梅園さん」

「ええと……変態糞狐だよ。


 尻尾が四本もある妖狐の男。六花の言葉に、トリニキは心臓をぐっと握られたような感覚に陥った。トリニキはここでようやく思い出したのだ。昨晩自分が四尾の青年と出会い、彼に話しかけられた事に。

 うっそりと微笑みながら緋色の八重椿を弄り回すその姿が、トリニキの瞼の裏に鮮明に浮き上がってきた。


「成程ね」


 トリニキは一言だけ呟き、注意深く周囲を見やった。授業中のために、生徒が出歩いている事はまずない。それでもこの会話が誰かに聞かれやしないかと用心していたのだ。特に――


「梅園さん。授業は四時間目から出席すれば良いからさ。詳しい話を先生に教えてくれないかな?」

「もちろんだとも!」


 にわかに活気づいた六花と共に、トリニキはそのまま職員室に向かったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る