第25話 雷獣娘かく語りき

 トリニキと六花はそのまま職員室の一角にある指導スペースに向かった。変態糞狐と六花が呼ぶ存在が塩原玉緒であるとはっきりと確信を得たからである。それならばじっくりと話を聞かねばならない。トリニキは教師としての使命感に燃えていた。

 だからこそ、長丁場になる事を想定して指導スペースにて話を聞く事にしたのだ。但し――トリニキと六花の一対一では無いのだが。


「アタシは鳥塚先生に話を聞いてほしいと思っていたんですが、どうして米田の姐さんまでいるんですか?」

「どうしても何も、先生が米田先生を呼んだんだよ」


 居心地悪そうに尻をもぞもぞさせる六花に対し、なだめるようにトリニキは言い放つ。塩原玉緒に出会った事と、六花がその晩倒れた事に因果関係があるのかは現時点では解らない。しかし、この話には米田先生の力添えが必要であるとトリニキは判断したのである。

 米田先生はトリニキの隣で柔和な笑みを見せていたが、何処か恨めしそうな六花の表情に気付くとそっと口を開いた。


「梅園さん。鳥塚先生は貴女の事を思って敢えて私にも話を聞いてほしいって言ったのよ。自分は男だから、一対一だったら梅園さんには話しづらい事もあるかもしれないってね。

 それに今回の件は、私も気になる所があるの。もちろん、逆に梅園さんたちに助言出来る所もあるかもしれないし」

「……鳥塚センセの事はアタシだって信頼してるさ。心を開いているっていうか、悪い事はしないだろうって意味の信頼だけどな。だから別に、鳥塚センセに話を聞いてもらうだけでも良いかなって思ってたんだよ」

「梅園さん……!」


 トリニキがこぼすと、六花はにっと笑って言葉を紡ぐ。


「でも、その鳥塚センセが米田の姐さんを呼んだんだろ? だったら二人に話すよ。あのく……狐男の事とかさ」

「狐男と言うか、塩原玉緒の事ですね」


 油断すれば六花は糞狐だのというワードを臆面もなく口にしてしまうかもしれない。そのような懸念に囚われたトリニキは、そっと言い添えた。


「実を言えば、僕もその塩原玉緒に出くわしたのです。それが梅園さんと接触した前なのか後なのかは定かではありませんが……」

「塩原玉緒か。あー、確かにそんな名前だったよ鳥塚センセ。アタシ、さっきまでド忘れしちゃってたわ」


――やはり自分たちが会ったのは同じ存在だったのか。茶目っ気たっぷりに舌を出す六花を見ながらトリニキは安堵の息をついた。月華に付き添われていた時よりも元気になっているのもまたトリニキには嬉しかった。


「やはりお二人が出会ったのは塩原玉緒だったのですね。鳥塚先生。私をお呼びしたのは正しい判断ですわ」


 塩原玉緒。恐るべき四尾の妖狐の名を耳にした米田さんは、しかし驚いた素振りは見せていない。むしろこうなる事は解っていたと言わんばかりの態度を示していた。その姿にいっそトリニキが驚いてしまったほどである。

 米田先生は優しく微笑むと、六花の方に視線を向けた。


「それでは梅園さん。話せる範囲で構いませんので話してくれますか? もちろん……私や鳥塚先生に言いたくない事があれば伏せてくれても大丈夫ですから」

「大丈夫だよ米田の姐さん! あの糞狐の件で、アタシが隠さないといけない事なんて何一つないんだからさ」


 やっぱり糞狐って言ってるじゃないか。トリニキは心の中でツッコミを入れていた。


「――それで、駆け寄ってきたチビたちが『お姉ちゃん、がするー』って言われたのを聞いたら、急に気が遠くなったんだ。野分と青葉に言われて、そこでアタシの身体にあいつがマーキングしていたって気付いちまったからさ」


 梅園六花は十分ほどの時間をかけて、昨晩の出来事について説明してくれた。やはりこの子は強い子なのだ。表情を変えずに淡々と語る六花の顔を見ながら、トリニキは静かにそう思っていた。

 襲撃されている女の子を見つけたというだけでも相当にショッキングな話だ。ひと暴れした後にそれが単なる幻影にすぎず、より強い妖怪が六花を捉えるために仕掛けた罠だと知ったのだからひとたまりも無かろう。驚いて失神するのも無理からぬ話だとトリニキは思った。それはやはり、トリニキもまた実際に塩原玉緒に相対していたからこその感想でもある。向こうには敵意は無かったが、それでも生半可な妖怪ではない事はその佇まいや妖気からも明らかだった。

 それにしても――こみ上げてくる烈しい感情を、トリニキは言葉にせずはいられなかった。


「梅園さんを捕まえただけでは飽き足らず、マーキングまでするなんて……」

「な、アタシがあいつの事を変態糞狐だって言う理由は解っただろ?」


 トリニキの言葉に六花は即座に反応した。青白かった頬は既に紅潮しており、首筋や額には青い血管さえ浮かんでいる。

 妖怪たちの間でマーキングと言えば、おのれの妖気を対象に付着させる行為の事である。マーキングの対象は生きた妖怪や人間である事も珍しくはない。関係性は多岐に渡るものの、相手と自分とは浅からぬ関係であるという事を示すために、妖怪たちはマーキングを行う事がある。

 但し――その関係性は多岐に渡る訳である。親愛、信頼、仲間の絆と言ったポジティブな意味合いの場合もあるが、一方的な束縛や隷属と言った意味合いもまた、場合によってはありうるのだ。或いは、「お前は俺の標的だ」と言う意味を持たせる事すら可能なのだ。

 信頼関係のない相手からのマーキングは、無遠慮に素肌にベタベタと触れられる行為に相通じるものがある。しかも妖気の質によっては相手を傷つけたり侵蝕したりする事さえ可能なのだから尚更性質が悪い。


「そう言う事があったから、病院に行ったんだね」


 そうだよ。トリニキの言葉に六花は頷いた。


「本当は飯綱さんに付いて行ってもらおうと思ったんだけど、母さんが、月姉がどうしても心配だからって来てくれたんだよ。鳥塚センセも月姉には会ったもんな。

 でもまぁ……検査した結果では特におかしな事も無いってさ。アタシにべっとりくっついていたあの狐の妖気も、なーんもアタシに悪さをしているって訳でも無かったみたいだし」


 でも気持ち悪い事には変わりないけれど。梅園六花はそう言って、困ったように肩をすくめたのだった。そんな彼女に声をかけようとしたトリニキであったが、それまで黙って話を聞いていた米田先生が急に口を開いた。それに驚いたトリニキは、話すタイミングを見失い、口をつぐむほかなかったのだ。


「梅園さん。昨夜は大変な思いをなさったのね。もしかしたら、今も塩原玉緒がやってこないか。その事が頭から離れないんじゃないかしら」


 無言の六花を眺めながら、米田先生は言葉を続ける。


「だけど安心して頂戴。私の読みが正しければ……塩原玉緒は

「へぇ。米田先生。そこまで解るんですかね」


 まるで塩原玉緒の事を知っているみたいじゃないか。六花はいつの間にか前のめりになり、そう言わんばかりの表情で翠眼を輝かせていた。

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