第23話 若狐たちの内緒話

「疲れたなぁ……」


 夜。入浴を終えて寝室に戻った宮坂京子は、眠りにつこうとベッドにそろりと入っていた。白い薄手のトレーナーのようなパジャマを羽織っただけの姿で、布団の中に入り込んでいた。四月初旬だから寝ていたらむしろ暑くなる時もあるくらいであるし、何より母が用意していたのがワンピースタイプのパジャマだったのが気に入らなかったのだ。昔みたいな可愛い女の子に戻ってくれるはず。母がそう思っているのが無性に腹立たしくて、だから京子はささやかな反抗としてこの姿で寝る事にしたのだ。

 部屋着も京子なりに男物を用意しているつもりだ。二人もいる兄たちは妹である京子に相変わらず甘いし、兄らに頼らずとも男物の衣裳は服屋で調達する事は出来る。

 それでも、時には着る物に困る事がままあったのだ。服を棄てられている訳ではないが、洗濯に出されたりしていてすぐには着れないと言った塩梅である。

 それが母の仕業である事は京子も解っていた。女の子らしくなさいね。京子にそう告げるだけでは飽き足らず、そのような強硬手段まで取っているのだ。もしかしたら、そろそろ学ランでの登校する事にも何か言い出すのかもしれない。

 あれこれ考えた京子は、もう本格的に寝に入ろうと思い始めていた。春先になると浮かれる若者が多いと言うが、神経が昂っているだけだから余計に疲れたり、憂鬱な気分になってしまう事とてままあるのだ。

 ましてや、今年は京子にとっても新しい事が多すぎた。何せ新任の副担任と編入生が同じクラスにいるのだ。どちらか片方だけならばまだ順応できるだろうが……いや、編入生だけでもお腹いっぱいだ。何せスケバンで、しかも新任教師とクラスメイトの妖狐を誑かしているんだから。純朴だった野柴珠彦は、今ではカルガモのように梅園六花にくっつくようになっていたのだ。二人は付き合っているわけでは無いというのだが、それが本当なのかどうかは判らない。

 しかも、珠彦の方の付き合いの関係上、六花は自然と多くの男子と一緒にいる事もままあるようだし。


「……本当に、なんなのよ」


 食いしばった歯の間から出た言葉は、果たして何処に向けられたものなのか。京子でもそれは解らなかった。男を惑わせながらも幸せそうな六花に向けたのか、自分を裏切って六花になびいた珠彦に向けた物なのか。或いはフレンドリーさと馴れ馴れしさをはき違えているような鳥塚先生に向けた物なのかもしれないし、そうではなくてままならぬ腹を立てていたのかもしれない。

 京子の幼い心では、自分がどう思っているのかも判然としなかった。


「……もうお休みですか、ご主人様」


 従者である塩原玉緒が戻ってきたのは、ちょうどその時だった。いつものように雨戸を閉めたはずの窓をすり抜けて、涼しい顔で京子のすぐ傍に彼は佇んでいた。

 京子は軽く目を見開き、玉緒の姿を観察していた。だしぬけに戻ってきたという事に少し驚いてもいたし、彼の様子が普段とは違う事もすぐに気付いてしまった。か弱い少女であると思われがちな京子であるが、彼女もきちんと妖狐の血を受け継いでいる事には変わりない。


「戻ってきたのね、タマ。そろそろ私は寝ようと思っていた所だったんだけど、遅かったじゃない」

「……すみませんね、色々と僕も調を行っておりまして」


 軽く毒づいてみるも、玉緒は困ったような笑みを浮かべて応じるだけだった。彼の身体にまとわりつく妖気と匂いの主が誰であるか気付いた京子は、あからさまにため息をついて見せた。


「独自調査って、梅園さんに会いに行ったのね」

「気付かれてしまいましたか」


 京子の問いかけに、玉緒は若干戸惑った様子を見せた。京子は目をすがめながら言葉を重ねた。


「私だって妖狐の端くれだって事はあなたも知ってるでしょ。本当は半妖だけど……それでも鼻だって利くわ」

「……独断専横で彼女に接触したので今回は伏せておこうと思ったのですが、バレてしまっては仕方ないですね。拾った花でご主人様を誤魔化せるかと思いもしたのですが、いやはや申し訳ない」


 言いながら、玉緒は懐から取り出した花をベッドサイドにそっと置いた。上品なピンク色の花びらが幾重にも重なった花である。確か椿か山茶花だったはずだ。春の初めの遠足などでよく見かける花だった事には変わりない。

 それでどうだったの。上目遣い気味に玉緒をねめ上げ、京子は問いかける。


「興味深いお嬢さんだと僕は思ったかな。貴族の御令嬢と言う事もあって、なかなかの実力者みたいだったからね……ああ、でもいじらしくて可愛い所もあったんだよ。僕の事を怖がっていたみたいだけど、頑張ってその恐怖を押し隠した上で僕に向き合っていたんだからね」


 いじらしくて可愛い。玉緒の言葉に京子は片方の眉を動かした。時代錯誤なスケバン姿の粗暴な雷獣娘を可愛いと評するだなんて……仄暗い感情が蠢くのを、京子はしっかりと感じていた。

 

「ご主人様。確かに彼女は僕を怖がってはいましたが、僕の方から何か手出しした訳ではありませんのでご安心ください。まぁ……彼女を試すつもりで少ぅし座興に付き合ってもらっただけですけどね」

「ただ会っただけって事ね。痛めつけたり……変な事はしなかったの」


 京子が放った言葉は、思いがけぬほど鋭く、冷たい物だった。怖がらせるだけなんて手ぬるいじゃないの。粗野で下品で……それでいて美しい雷獣娘を貶めてやっても良かったのではないか。元より彼女は学園の、クラスの秩序をかき乱すような存在なのだから。

 すまし顔の玉緒を見ながら、彼が六花を襲う姿を思い浮かべようとした。だがそれは上手くいかず、怯える憐れな少女の姿は、いつしかおのれ自身に置き換わっていた。


「この僕が梅園さんを痛めつけて蹂躙する。


 玉緒が問いかけたのは、京子が空想をこね回すのをやめた直後の事だった。京子の視線は玉緒に注がれていたが、言葉は出てこなかった。


「そんな事は致しませんのでご安心ください。可愛い女の子をいたぶる趣味を持ち合わせていない事は、なのではありませんか? それに――貶められて落魄する梅園さんの姿を見る事が、


 見透かすような玉緒の眼差しに、京子の心臓が大きくうねった。そこで京子は気付いた。梅園六花をただただ憎んで嫌悪しているではないのだと。密かに彼女の事に憧れ、羨ましく思っているのだと。

 その事を思い出して、見て見ぬふりをしてきた感情を目の当たりにして、京子はひどく混乱していた。梅園さんの事が嫌い。でも仲良くなりたい。自由に振舞っている姿が羨ましい。あんなふうに好き勝手しているのは許せない……様々な感情が浮かんでは消えていく。


「……良いわ、梅園さんの事は私で解決するもん。タマ、まさかあなたまで誑かされるなんて」


 京子は短くそう言うと、頭まで布団をかぶってそのまま目を閉じた。玉緒の視線を感じたが、彼がどんな表情を浮かべているのかは解らない。

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