第22話 妖狐は闇夜に暗躍す――教師編

 さて場所は変わってハゴロモ町東部(あやかし学園はハゴロモ町の中心部、やや西寄りに位置するのだ)。

 夜風の涼しさに頬を引き締めながら、トリニキは歩を進めていた。いくらか遅い時間であるが、教師という業務を考えれば致し方ない話だ。ましてや、トリニキは仕事終わりに喫茶店で油を売っていたのだから。

 生徒を導く重大な任務を担っている教師は、しかしだからこそ時に息抜きが必要なのだ。

 さて喫茶店での一服も満喫したトリニキは、帰路に向かおうと歩き始めていた。しかし、街路樹と歩道を隔てる小さな塀に腰かける人影を見るや、ぎょっとして足を止めたのだった。

 トリニキが見つけたのは一人の妖狐だった。何者なのか定かではないが、ただ者ではない事だけは判った。妖狐の青年の背後では、見事な四尾が伸びあがって揺れていたのだから。

 妖狐は妖力を蓄えるごとに尻尾の数が増えていき、最終的には九尾に至るという。しかし実際には、二尾でもそこそこの実力者と見做され、三尾以上ではもはやに分類されてしまう。それが人間と、闘いの場に身を置かぬ一般妖怪たちの共通認識だった。

 だからこそ、四尾の青年を前にトリニキは呆気に取られてしまったのだ。

 四尾とは不似合いなほどに若々しく、あどけなさすら残る件の青年は、その手に何かを乗せて、もう一方の手指でしきりに弄り回してもてあそんでいた。もてあそばれている物体は丸っこく、鮮やかな緋色だった。なまじ青年の手指や顔が白いから、緋色の鮮やかさが一層際立つのだ。


「――っ!」


 一体何をこねくり回しているのだろうか。もしやあれは引きずり出された何かの臓物ではなかろうか? そのような考えが膨れ上がり、トリニキの息を詰まらせた。妖狐の青年が、トリニキの姿に気付いたのは丁度その時だった。


「こんばんは、先生。一体どうされたんですか。僕の事を先程から眺めていたようですが」

「そ、それは――」


 しれっと先生と呼ばれた事は気にせず、トリニキは青年の手中にある物を指し示した。

 八重椿ですよ。青年は事もなげに告げた。


「近所の公園で咲いていたやつなんですよ。あ、でも落ちていたものを拾っただけに過ぎません。なのでご安心を」


 名も知らぬ四尾の青年はそう言って、それから静かに微笑んだ。礼儀正しい態度だと思いつつ、トリニキは注意深く視線を下にスライドさせた。

 確かに、彼が手にしているのは緋色の八重椿だった。青年の手の中に収まってはいるが、椿にしてはかなり大きい。いびつな変異によって雄しべが花弁に置き換わったそれは、子供が複数の花を押し込んで一つの花に仕立て上げたような、何ともグロテスクな見た目である。

 しかも目を惹く鮮やかな緋色である。まくれ上がった臓物に見えたのも致し方ないだろう。トリニキは自己完結気味にそう思った。


「……それにしても、ここまで見事に咲き誇っていても、結局の所は朽ちてしまうんですよね。先生も理不尽だと思いませんか?」


 そんな事を言いつつも、青年は今再び手中の椿を弄っている。癒着しているはずの花弁を強引に引きちぎり、地面の上に放っているのがトリニキには見えた。


「花は散るからこそ美しいのだと、昔の人も言っているんだけどなぁ……それにね、そもそも花が咲くのはあくまでも実を付けるために必要な事なんだ。多くの花は散った後にきちんと実を付けるから、理不尽でも何でもないと僕は思うんだ。

 もっとも、今君が持っているような八重咲の花は、無理くり雄しべが花びらになるように改良されているから、話は別なんだけどね」


 またしても余計な事を、しかもオッサン丸出しの感想を口にしてしまったな。花を弄ぶのをやめて耳を傾ける妖狐の青年を前に、トリニキは一人後悔していた。心の中では自分はまだ若者だと思っていたが、その感性は真なる若者とは違うのだ、と。

 ところが、トリニキの心の動きとは裏腹に、妖狐の青年は興味深そうに笑うだけだった。


「興味深いお話を教えて頂いて感謝しております。いやはや、生物の先生らしいお言葉ですね」

「生物の先生って……君は僕の事を知ってるね?」


 トリニキはここで、青年の名をまだ把握していない事を思い出した。こちらは知らずに相手が一方的に知っている。こうした状況はしかし、妖怪と接していると度々生じる事でもある。四尾の青年とてそう言う事なのだろう。そう思っていると、案の定青年はゆっくりと頷いた。


「僕は宮坂京子と言うお嬢様にお仕えしておりまして、それで先生の事は知りました。あ、自己紹介が遅れましたね。僕は塩原玉緒と申します。見ての通り妖狐なのですが、玉藻御前の末裔でもあるんですよ」

「……僕は鳥塚二夫と言うんだ。鳥塚先生でも、親しみを込めてトリニキ先生でも、好きなように呼んでくれれば構わないよ」


 トリニキはそう言うと、うっすらと微笑み玉緒の方に手を差し出した。雷獣の少女と同じく、玉藻御前の末裔であるという玉緒の言葉に驚いてはいた。しかしトリニキはその驚きを押し隠し、ひとまず礼儀正しく振舞う事が出来たのだ。

 もっとも、現時点では四尾の青年と雷獣の少女の衝撃的な出会いなど、トリニキは知る由も無いのだが。


「それで塩原君。一体僕に何の用があるのかな?」


 問いかけるトリニキの言葉には、若干の鋭さが宿る。大人として、或いは術者の血を引く者として玉緒の事をわずかに警戒していたのだ。


「いえ、特に用はありません」


 トリニキの鋭い視線を前に、玉緒は平然と言ってのけた。


「ただ……鳥塚先生がどんなお方なのか、直接確かめてみたいと思っただけに過ぎません。先生は新たにこの町にお越しになって、しかも僕のご主人様にも関わるのある方ですからね。

 ですが――善い先生のようなので安心しましたよ」


 そう言うや否や、玉緒の周囲からゆるい風が沸き起こった。思わずトリニキは目をつぶり、顔を庇うように腕を上げた。目をつぶる僅かな瞬間に、椿の花弁が緋色の欠片として舞い上がるのを見た気がした。

 風が収まった頃には、玉緒の姿はもう無かった。彼がその場にいたあかしとして、バラバラになった八重椿の残骸が散らばっていただけである。

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