第21話 闇夜に妖狐は暗躍す――雷獣編

「僕の事を最後まで憐れな女の子だと思い込んで手を伸ばしたら、その時には妖気を吸い取って眠らせてあげようと思っていたんだけどね……梅園さん、やはり君は見所のある子みたいだね」


 得意げに、そして何処かねちっこい口調で妖狐の男はそんな事をのたまった。背後で怪しく四尾をくねらせながら。

 あ、でも――射抜くような六花の視線に気づくと、わざとらしく笑みを作って言い添えた。


「でも安心して。仮に君を眠らせたとしても、僕は変な事なんて何もしないからさ。ベンチの上に寝かせて、君が眠っている間は悪心を抱く輩が手出しできないようにちょっとした術をかけておこうと思ったんだ。

 美しい物を穢したい、高根の花を手折った挙句貶めて蹂躙したい。世の中にはそんな嗜好があるみたいだけど、僕にはさっぱり理解できない領域だからね」

「……そう言うあんたの考えも、アタシにゃあさっぱり理解できんがな」


 妖狐の男に対して、六花は思わずそんな事を口にしてしまっていた。

 それは本来であれば非常に危険な行為である事は、もちろん六花とて解っている。相手がこちらに対してどのような事を仕掛けてくるのか定かではないのだから。

 しかも向こうは四尾であり、あまつさえ結界術や幻惑の術を苦も無く並行して操っていた。四尾と言うのは既に下級妖怪などではない。を保持している事になる。

 いずれにせよ、六花では太刀打ちできない相手なのだ。六花は二尾しかなく、しかも結界術をはじめとした妖術に対抗する術を持たないのだから。

 しかしそうして状況を把握しつつも、六花の口は更に思った事を口にするばかりだった。


「あ、いやアタシにも一つだけ理解できた事はある。あんたがとんでもないド変態だって事だな。女装男子が許されるのは小学生までなんだよ。しかもあんなえげつないシチュエーションを練りやがって……この変態が」

「変態とはとんでもないご挨拶だなぁ」


 二度にわたり変態と呼ばれた四尾の男であるが、その面にはうっすらと笑みが残るばかりだった。のみならず、気取った様子で立てた人差し指を左右に振っている。


「梅園さん。君みたいな可愛らしいお嬢様が、そう何度も変態だなんていう物じゃあないよ。君自身の……君の裡に流れる貴種の血を、そんなしょうもない言動で貶めていたら洒落にならないでしょ。

 それに僕にも塩原玉緒って名前があるんだよ。名乗るのがちょっと遅れちゃったけれど。ふふふ、名前で気付いたかもしれないけれど、僕は玉藻御前の末裔なんだ」

「そんな――」


 玉藻御前の末裔。さらりと付け足された塩原玉緒の言葉に六花は瞠目した。玉藻御前が三大悪妖怪の一角として数えられ、しかも他の二体――他の二体は酒呑童子と大嶽丸であり、どちらも鬼神である――よりも抜きんでた力を持つ大妖怪だったとも言われている。無論その事は、貴族妖怪の生まれである六花はきちんと知っていた。

 だが、玉藻御前の末裔はそうやすやすとお目にかかれる存在では無いはずだ。このカンサイ地方においては、玉藻御前の末裔は存在しないとされている。それはやはり稲荷の眷属たちがカンサイでは幅を利かせているからだ。 

 玉藻御前の正体を見破り、討伐軍に力を貸したのは陰陽師の安倍何某である。だが、彼の先祖は稲荷の神使たる葛の葉狐だったという。要するに、玉藻御前は稲荷の遣いたる狐との闘いに敗北した存在であるのだ。

 そう言う事もあり、玉藻御前の子孫もまた、敵対者である稲荷たちを恐れ、この土地に近寄らないのも無理からぬ話だろう。それこそ、大陸なりなんなりに出た方が、彼らも正体を隠さずに悠々自適の暮らしを過ごす事もできるであろうし。

 さりとて、玉緒の言葉を単なる嘘と切り捨てる事は、六花には出来なかった。

 六花を巧妙に騙した変化術。今もなお構築されている結界術。そして、背後で揺れる四尾から放出される濃密な妖気。どれを取っても普通の妖狐とは遠くかけ離れた代物だった。


「……何が目的だ? アタシに、何の用がある、んだ……?」


 問いかける六花の声は知らず知らずのうちに上ずって掠れていた。

 罠に誘い出され、囚われの身になった獲物なのだ。六花は今の状況をそのように解釈していた。金目当てと言うよりも六花の身体目当てなのだろう、と。

 先程妖狐は無防備な女の子に手出しはしないという旨の事を口走っていた気がするが、そんな言葉ははなから信用してはいない。相手は狐芝居で騙したうえで結界に六花を閉じ込めたような手合いなのだから。

 色欲の対象として目を付けられ、狙われた事も実は過去にあるにはあった。それとは別に、物理的な意味での捕食対象と見做されているのではないか。そのような懸念も六花の心中にはあった。それは相手が妖狐であり、尚且つ自分が雷獣であるが故の懸念だったのかもしれない。妖狐の中には血肉を好む残虐な個体がいるとも言われているし、何より雷獣は何かと捕食されてきた過去があるからだ。

 とはいえ、色欲にしろ食欲にしろ目を付けられた時点で碌な事にならないのは確定している。相手が自分よりも明らかに強い妖怪なのだから。

 だからこそ、六花は抜け目なく塩原玉緒の表情を観察していたのだ。見る限り、塩原玉緒は穏やかな笑みをたたえて六花を見つめているだけだった。細められているその瞳には、色への高ぶりも血肉に対する渇望も特に見当たらない。変化上手・芝居上手の化け狐の事だから、それらを隠して澄ましているだけなのかもしれないが。


「そんなに怖い顔をしないで。僕は単に、君の事を下調べしていただけなんだからさ。僕のご主人様が、君の事を知りたがっているから、ね。まぁその……今回のお芝居は、僕自身も梅園さんの力量を知りたくて、独断でやっちゃった事なんだけど。でも、梅園さんはこの町に来たばかりでしょ。ご主人様にとって安全な存在なのか、その辺は気になったし」

「何っ、お前はご主人様とやらに仕える身分なのか!」


 玉緒の言葉に六花は思わず声を上げた。この得体の知れない力を保有する四尾を従えるご主人様がいるなんて。強い驚きが、先程まで感じていた恐怖や警戒心を一瞬とはいえ押し流したのだった。


「僕のご主人様は、君の知っているひとだとだけ言っておくよ」


 口早に玉緒が言うのを聞きながら、六花は二つの事に気が付いた。公園に巡らされていた結界が解除された事と、塩原玉緒の身体から見覚えのある妖気が漂っていた事だ。その妖気のあるじこそが彼の言うご主人様なのだろう。


「さて、結界は解いてあげたからね。梅園さんもさっきからずっと帰りたがっていたもんね。夜道や不審者に気を付けて帰るんだよ。何ならちょっとした魔除けの術をかけておいてあげようか?」

「言われなくてもアタシは帰るよ。それと術とかは余計なお世話だからな」


 六花はそう言うと、置きっぱなしにしていた鞄と荷物を引っ掴み、塩原玉緒に背を向けて公園を後にした。一度だけ振り返ると、玉緒は仔狐の姿に変化してそのまま何処かへ走り去ったのだ。

 塩原玉緒から感じ取った妖気はだった。ぼんやりとした頭の中で、その考えだけがしっかりと残っていた。

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