第20話 雷光ひらめく鬼退治

 春分を過ぎたと言えども夜は訪れる。六花が辿る帰り道は既に夜の帳が降りていた。園芸部に入部する事となり下校時刻まで長居し、更に学園を出てからはスーパーに向かって買い出しをしていたのだから。スーパーに出向いたのは、世話係である美咲から連絡を受けたためである。気恥ずかしくて表向きには言えないが、彼女の事は昔から姉のように慕っていた。

 普通の女子高校生であればどうなのか定かではないが、六花は特段気負ったり畏れたりする事なく夜道を進んでいた。五感の鈍い人間であれば、夜道をぶらつくのは危険な行為なのかもしれない。

 しかし六花は人間ではなく雷獣である。雷に縁深い雷獣は、電流にて周囲を探知する能力を具えているのだ。文字通りの第六感である。視覚や聴覚が利かない場所であっても電流探知で周囲の状況を見聞きする事が出来るし、何となれば視覚や聴覚を遮断して電流探知に徹する事もできる。

 そんな訳であるから、六花は夜道を恐れる事は無かったのである。それに暗くなったとはいえまだ夜の八時を回った程度である。言う程遅い時間でも無いのだ。


「……?」


 通り道にあった公園の脇を通り抜けようとして、六花は歩を止めた。何やら禍々しい気配を感じ取り、そして何者か――恐らくは若い娘か少女であろう――の悲鳴と哀願を耳にしたからだ。

 何かよろしくない者が公園に集い、よろしくない事が起きようとしている。そう思った時には、六花の足は公園の入り口に向けられていた。

 何が彼女を突き動かしたのか? 貴族の次期当主としての矜持か、はたまたおのれの戦闘能力の高さへの自負だったのか? 或いは単に、知らず知らずのうちに誰かに操られているだけだったのかもしれないが。


「へへへへっ。お嬢ちゃん、可愛いなぁ。あぁ、その怯える顔もたまんねぇな」

「いや、やめて、放して……」

「大丈夫だってぇー。一晩だけさ、俺たちのに付き合ってくれれば解放してやるって。良い子にしていたら痛い事なんぞなんも無いんだからさ。ま、その間に俺らの事を気に入ってくれたら、また遊びに来てくれても良いんだけどな」


 公園の薄暗がりで繰り広げられる光景を前に、六花の瞳が野良猫のようにぐっとすぼまった。

 牛鬼やら狼の出来損ないのような妖怪の男たちが、一人の妖怪の少女に群がっていたのだ。男らの数は十数人ほどか。少女の方は丸っきり子供で、もしかしなくても六花よりも年下に見えた。ほっそりとした身体に容赦なく食い込む荒縄と、破かれて裂けたワンピースの襟元から覗く生白い肌が痛々しい。

――こいつら!

 六花の心中でひらめいたのは、高純度の義憤だった。

 悪逆なる輩に正義の鉄槌を。ここで六花は、我こそが雷神の遣いである雷獣であるという事を強く意識したのだ。雷神は天の裁判官として、悪に雷撃を墜とす存在である、と。


「何やっとんじゃ貴様ら!」


 チンピラ顔負けの恫喝に、牛鬼たちの注意は少女から六花の方にシフトしてくれた。彼らはもちろん、闖入者の姿にぎょっとした様子を見せてはいる。だがすぐに、相手が女、それもセーラー服姿の少女である事に気付くや否や、弛緩したような笑みを浮かべたのだった。


「何って、見ての通り夜遊びさ。ま、お嬢ちゃんにしてみれば悪い遊びになるのかもしれないけどね」

「おうおうお嬢ちゃん。もしかして正義のヒロイン気取りかい? だったらやめときなって。俺たち強いからさ、逆らったら痛い目に遭うのがオチだって」

「いやさ、折角なら君も一緒に遊ぼうよ? よく見れば顔も身体つきも良いしさ……本当は、そこの小娘よりも君の方がぐっとくるし」

「…………」


 ふざけた事を抜かす面々を前に、六花はしばし俯いていた。無論怖がっていたわけでは無い。叔父を見習って大暴れしようと思っていた六花だったのだが、恫喝の直後に六花のなけなしの理性が訴えかけたのだ。とりあえず通報しよう、と。

 もしかすると、前にトリニキを救出したときに、妖怪警察たちに図らずも顔を合わせる事になってしまったからなのかもしれない。

 そんな訳で、六花が俯いていたのは単にスマホを弄っていたからに過ぎない。

 え。スマホの画面を見やった六花は僅かに驚いた。スマホは圏外であり、だからなのか電話繋がらなかったのだ。

 奇妙だと思って公園の内部を探ってみる。そこで彼女は、この公園が結界で外部と隔絶されている事を悟った。結界が貼られた理由、結界術の使い手について考えなどしない。悪事を隠蔽するために結界術を使うなどと言う事は、犯罪者であればまず考える事だから。

 従って、六花は知らず知らずのうちに閉じ込められた事になるのだ。六花自身は、戦闘能力こそ高いものの結界術の心得は無い。結界を展開する事も、展開された結界を解除する事もできないのだ。

 しかしそれでも、六花の心は恐怖に冒される事は無かった。結界の解除が出来ずとも、術者そのものを打ち倒せば結界は解除されると知っていたからだ。それに合法的に暴れられる。少女を助けるという大義と、野蛮な妖怪連中を相手に力を振るう事が出来るという愉悦――知らず知らずのうちに、六花の身体は歓喜に打ち震えていたのだ。


「はははっ。そうか、あんたらいかにも遊び好きだもんなぁ」


 スマホをしまった六花は、顔を上げるや否やそう言った。男たちの様子に注意を払いながら、荷物をそっと足許に置く。購入した食材が野菜類で良かったと思いながら。これが卵だとかお惣菜だったら目も当てられない事態になる訳だし。

 それから手首に巻いている護符を弄る。数珠のような護符が姿を変え、釘バットが顕現した。アステリオス――雷光の名を、そして幽閉されていた牛頭の王子の名を冠するそれは、まさしく六花の得物でもある。


「良いぜ、アタシもあんたらの遊びに付き合ってやるよ――に付き合いきれるかどうか、それだけが心配だけどなっ!」


 釘バットを構えた六花は、高笑いと共に牛鬼たちに向かっていった。きっとケダモノのような笑みを浮かべているのだろう。そのような考えがぼんやりと浮かんだ。


「クソっ……何て強さなんだ……」


 十数分後。地面に転がされた牛鬼はそう言い捨てると、恨めしそうな視線を六花に向けたまま倒れ伏した。そしてこれが、六花が遊びで打ち負かした妖怪男の最後の一人だったのだ。

 ほぼほぼ無傷で勝利を掴んだ六花だが、その面には既に興奮の色は無い。雷獣の性ゆえに向かってくる相手をのしている間は確かに興奮してはいたし、ある種の楽しみがあるにはあった。だが途中から、疑問と違和感が脳裏に沸き上がり、六花はそれに囚われてしまったのだ。無論それは最後の一人を平らげた所で解消されてはいない。むしろ膨れ上がっているくらいだ。

 目をすがめ、公園の周囲を今再び探知する。

 もちろん、強大な力を持つ妖怪であれば、使い手が倒されてから結界が解除されるまでにタイムラグが発生する事もあるという。しかし今回はそのケースでは無かろう。少女をかどわかし無体を働こうとした妖怪共は、に過ぎない六花に打ち負かされる程の力量しかなかったのだから。

 こうしておびき出された事そのものがである。六花はそのように考え始めていた。すなわち黒幕はまだここにいるのだ。結界術の真の使い手であり、この茶番劇の脚本家は。


「……あのぅ」


 か細い声が六花の耳の届く。縛り上げられて転がっている少女が六花に呼びかけていたのだ。愛らしく、さも無害そうなその面には控えめな笑みが広がっている。


「助けてくれてありがとうございます。このひとたちは全然知らないひとなんですけれど、急に私の事を捕まえて、それで……」


 こうなったに至る境遇らしきものを、聞かれもしないのに少女は喋り出していた。六花は醒めた目でそれを眺めていた。少女らしきの力を推し量っている所でもあったし、このナニカの言葉が台本通りの台詞をなぞっているだけだと解っていたからだ。

 そんな六花の考えを知ってか知らずか、少女は言葉を続けた。


「お姉さん。折角なのでこの縄を解いてください。このままだったら身動きが出来ないので」


 少女は身をくねらせ、さも不自由そうな姿を六花に見せていた。最初に見た時のように、憐れだという感情はもはやなかった。少女は、いや少女に擬態したナニカこそが、六花をこの公園に閉じ込めたであると既に解っていたからだ。


「縄を解けだって? その前に公園に張った結界を解きな」


 六花の言葉に、少女の動きがぴたりと止まった。琥珀色の瞳には、驚きと関心の色が混じっている。


「ていうかさ、アタシだって忙しいんだよ。そんなときに、テメェの都合でに付き合わせるとはどういった了見なんだよ。しかもご丁寧に可愛い女の子なんぞに化けやがってさ」


 ――ふいにそんな言葉が浮かんできたのだが、六花はそこまでは口にしなかった。

 黙って話を聞いていた少女は、身を震わせて笑っていた。その姿は未だに可憐な少女の体裁を保っているが、その表情はもはやいたいけな少女のそれではない。


「ははは、無理やり付き合わされたみたいな物言いだけど、君だって随分とノリノリで遊びとやらに興じていたじゃあないか。そうだろう、雷獣の梅園六花さん」


 やけに男性的な物言いで言い放ったかと思うと、縛り上げられていた少女の姿がゆるゆると変質していった。子供の頃に何度も見たクレイアニメのように。

 数秒後、少女に擬態していたナニカはその本性を六花に晒していた。

 それは六花よりも三つ四つばかり年長の、妖狐の青年だった。男性向けのチャイナ服に身を包んだその体躯はややずんぐりとしており、腰から伸びるのは銀黒色の毛並みで、しかも四本もある。

 彼は難なく立ち上がると、のっぺりとした面に笑みを浮かべて六花を見つめていた。粘着質で何となく癇に障る笑顔である。


「それにしても大したものだね。途中からとはいえ、ちゃんとこれがであると読み取れるなんてさ」


 虚構。四尾の青年は事もなげにそう言った。既に公園には倒れ伏す妖怪連中はおらず、ただただそこには散りかけた椿の花や不自然に裂けた木の枝などが散らばっているだけなのだから。

 化かされたのだと、ここで六花は悟った。

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