第19話 ニキとスケバンと入部届

 着替えると言って教室を後にした六花を見送ったトリニキは、その足で園芸部の部室に向かった。私立の中高一貫校と言う事もあってか、部室棟も中々に立派な物である。

 トリニキの母校にも部室棟はあるにはあった。だが簡素な造りのものに過ぎず、それこそ安アパートの集合体のような物だったのだ。

 あやかし学園のそれは、トリニキの母校である高校どころか、大学の敷地内にあった物よりも立派でしっかりとした作りである。それこそちょっとしたデザイナーズマンションのようだった。

 園芸部はこの中を根城にしているのか。トリニキは生唾を飲み、意を決して部室棟へと足を踏み入れた。大の大人でありつつも、少しだけ気後れしてしまっていたのだ。


「初めまして鳥塚先生。鳥塚先生が、今年からこの園芸部の顧問になってくださるんですね。あ、私は堀内桜花と申します。高等部二年で、現在は園芸部の部長をしております」

「堀内さんだね。ご丁寧にありがとう。言うて僕は副顧問になるけれど……よろしくね」


 部室内にいた生徒はわずか三名だった。男子生徒が一人と女子生徒が二人である。その三人の中で、最年長であろう女子生徒が、こうして園芸部を代表してトリニキに自己紹介してくれたのだった。

 桜花の動きにつられ、思わず握手まで交わしてしまった。堀内桜花は見た所普通の人間とほとんど変わらないように見えた。しかし、極端に体温が低いらしく握った手の平はやけにひんやりとしていた。それから、用心深くカーディガンを着込む袖の合間から、産毛代わりに生えている緑色のものがちらりと見えたのだ。

 結局のところ、桜花も純粋な人間では無くて半妖であった。母親に当たるのが桜の精であるとの事。であれば園芸部にいるのもおかしな話ではないなと、トリニキは密かに納得もした。


「鳥塚先生は、確か珍しい経歴をお持ちと言う事でしたよね。受け持つ学年は違いますが、私たちの間でも有名でして……」

「確か、鳥塚先生って元々はサラリーマンだったんだよね!」


 ひっそりと微笑む桜花に続き、もう一人の女子生徒が無邪気な様子で言い放つ。妖狐であるその少女は、狐色という狐そのものの尻尾を左右に揺らしていた。


「厳密には予備校の講師だったんだ。まぁ、お給料をもらって働いていたから、サラリーマンには違いないけれど」


 でも確かに、珍しい経歴なのかもしれないね。どんぐり眼でこちらを見つめる妖狐の少女や、小ぢんまりと座る人間の男子生徒を見やりながらトリニキは呟いた。教師の多くは、大学ないし大学院を出てすぐに教師になるという事なのだから。もちろん社会人経験のある教師もいるにはいるが、全体としては少数派であるらしい。


「それに鳥塚先生の御実家は、術者を輩出なさっている家系でもありましたよね。私、そちら方面でのバイトも嗜んでおりまして、そこでもお話を聞いた事がありまして」

「いやはや、術者として優秀なのは両親や兄たちですよ。僕にはそう言う才能は無かったので、塾講師として生計を立てていたのです」


 そこまで言ってから、トリニキはハッとして口をつぐんだ。またしても大人の事情を子供たちに話そうとする悪癖が首をもたげた事に気付いたからだ。

 この癖は予備校講師だった頃の癖でもある。当時は悪癖だとは思わなかった理由は二つある。トリニキも若かったし、相手が浪人生だったからだ。浪人生は大学進学を心に決めている者たちであり、少なくともこの学園に通う生徒らよりもオトナだった。だからむしろ、トリニキの雑談は役に立つとすら言われていたのだ。

 だが、あやかし学園には小学校から上がって来たばかりの子供も在籍しているのだ。若い子は無邪気に子供の世界を楽しんでほしい。そんな風にトリニキは思い始めてもいたからこそ、大人の事情を話す事は悪癖であると思い始めてもいたのだ。


「先生になる前の話はさておき、僕も大学では生物を先行していたからね。植物専門では無かったけれど、園芸部の皆に役に立てたら嬉しいな」

「先生。園芸部は幽霊部員もいますし、ゆるーくまったり出来れば僕はそれで充分です」

「やっぱり鳥塚先生も園芸部とか生物部出身だったんですかー?」

「ううん、先生はバトミントン部だったよ。中学にはバトミントンは無かったから、テニス部だったんだけどね」

「テニス部だったら先生もモテモテだったとか?」

「ははは、流石にそんな事は無いってば」


 いつしかトリニキは園芸部員に囲まれ、取り留めも無い会話を交わしていたのだった。春の夕暮れ時と言う事もあり、和やかで牧歌的なひとときだった。


 四人だけでの和やかな空気に終止符をもたらしたのは、やはり外からやってきた存在によるものだった。と言っても、ドア越しから聞こえる足音と、ドアをノックする音しか耳にしていないから、誰なのかは解らないが。

 誰かしら。不思議そうに小首をかしげたのは部長の桜花である。


「糸山さんたち、とは違うわね。あの子たちだったらノックなんてせずに入って来るもの」


 糸山さん、と言うのは園芸部に所属している幽霊部員の一人である。名前から勘の良い人は察するかもしれないが、絡新婦の少女である。他には夜雀とか蟷螂の妖怪などが幽霊部員として存在するらしい。


「はいはい、どちら様ですか」


 桜花は立ち上がり、少女ながらも何処か所帯じみた声音と所作でもって部室のドアを開けた。


「あっ……」

「うそ……」

「おや……」


 開いたドアの向こう側にて仁王立ちする彼女を見たトリニキたちは、思わず声を漏らした。遠路はるばる(?)園芸部に足を運んだのは、雷獣娘の梅園六花だったのだ。着替えてくるという文言通り、学園指定の体操着を上下しっかりと着込んでいる。左手に学生鞄ともう一つ大きめの袋を抱え込み、右手には入部届を携えていた。


「高等部一年の梅園六花だ。ええと、園芸部の拠点はここで良いんだよな?」

「ええ、こちらが園芸部の部室ですわ、梅園さん」


 桜花は六花の乱入に恐れおののく事は無く、むしろ笑顔で彼女を迎え入れている。それから流れるように、桜花は自分が園芸部の部長である事を六花に伝えたのだ。穏やかそうな堀内さんに粗雑な振る舞いをしないだろうか。トリニキは少し不安になったが、それは杞憂だった。六花は堀内桜花こそが、この部室のあるじであると認識したようであったから。

 やや改まった様子で、六花は桜花に入部届を差し出す。だが桜花は僅かに首を振り、視線をトリニキに向けた。


「梅園さんも随分と気合が入っているわね……でも私も生徒だから、貴女の入部届を受け取ってもどうにもできないの。入部届なら鳥塚先生に渡すと良いわ。今年から園芸部の副顧問になってくださったそうだから」

「あ、確かにそうだったよ堀内先輩」


 六花にしてはやや丁寧な口調でそう言うと、今度はトリニキの方に向き直った。六花は人懐っこそうな、それでいて少し申し訳なさそうな笑みを浮かべ、迷わずトリニキに入部届を差し出したのだ。


「鳥塚先生。アタシは園芸部に入部するからさ。入部届を受け取ってくれよ」

「即断即決なんだね、梅園さん」


 トリニキの言葉に、六花は笑顔のまま頷いた。


「叔父貴も若い頃は貸農園で稼いで財を成したって言うからね。それにアタシ自身、植物とかも大好きだからさ。中庭の椿も綺麗なのが色々揃ってて、本当に見ごたえがあったよ。

 実は着替えたら真っ先に部室に来ようと思ったんだ。だけど運動部の勧誘とか、アタシ自身を追っかけるアライグマの妖怪とかがいて、そいつらを受け流したり撒いたりしている間にこんな時間になっちまって……」

「良いんだよ梅園さん。先生たちは大丈夫だから」


 六花の笑みが僅かに曇ったのを見たトリニキは、ひとまず大丈夫だと彼女に言って聞かせた。

――かくして、梅園六花は園芸部の一員と相成ったのだ。この時彼女は用意していた折り畳み式のシャベルを組み立てて部員たちを驚かせたり、堀内部長からガチ勢だという事で有望だと見做されたりしたのだが、それはまた別の話である。

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