第5話 狐娘、こっそり相談する
二時間目と三時間目の間に挟まった休み時間。宮坂京子は教室を去ろうとする米田先生の許に駆け寄った。もちろん、米田先生に相談したい事があったからだ。
実を言えば、京子は今晩米田先生の部屋に泊まりたいと思っていた。だが、きょうび未成年(これは人間だけではなく妖怪でもそうだ。もちろん半妖もだ)を勝手に家に招き入れる行為が非難される行為である事は、場合によってはそれで米田先生が罰せられる可能性がある事も解っている。元より米田先生が断る可能性ももちろんあった。
だがもしかしたら、今宵泊めて欲しいという京子の申し出を、米田先生が頷いてくれる可能性とてあるかもしれない。米田先生は万事抜かりなく物事を処理できるから、京子を部屋に泊めた事も明るみにならないようにしてくれるかもしれない。しかし……期待と罪悪感と緊張が入り混じるのを感じながら、京子は米田先生に声をかけた。
「米田先生。少し、ご相談したい事があるんです」
「どうしたのかしら、宮坂さん」
問いかける米田先生の眼差しは、気づかわしげで優しげな物だった。ついつい気まずくなった京子は、思わず「相談と言っても、大した事では無いんですけどね」と前置きしてしまう。
「実は私……いえ僕は、今晩一人で留守番しないといけなくなってしまったんです。まぁ、母は夜遅くに帰って来てはくれるんですが。それで、夕食とかは自分で用意しないといけなくなってしまって……」
直接泊めて欲しいと言わなかったのは、京子の中にあるなけなしの理性が歯止めをかけたからだった。普段は特に何も思わないが、おのれの生真面目さが今回ばかりはやけに忌まわしく感じられた。
「お料理を、夕食を作るのが、宮坂さんはちょっと心配なのね?」
京子の内心に気付いたのかどうかはさておき、米田先生が質問を投げかけてくれた。穏やかな笑みをたたえる米田先生に対して、京子は頷いていた。本当は、もっと別の事を言いたかったのに。心の中でそんな事を思いながら。
「大丈夫よ宮坂さん。一から作るのが心配だったら、レトルトとか缶詰とかも活用して、それで夕食って事にしても良いんだから、ね。もちろん、毎回そんな食事だと栄養も偏ってしまうでしょうけれど、たまになら大丈夫でしょうし」
「……」
いかにも米田先生らしい返答だと、京子はまず思った。デキる女性と言った雰囲気の米田先生であるが、流石に彼女も何でもできる訳では無い。家事や日常の細々としたところは、どうしてもアバウトになってしまう。それが米田先生の言だった。
もっとも、そんな事で米田先生の評判が落ちるなどと言う訳では無い。カッコいいイケメン教師である事には変わりないし、そんな米田先生でも苦手な事があるという事実は、特に女子生徒の心を勇気づけるものだった。
もちろん、京子も米田先生の姿に勇気づけられている生徒の一人である。だが、今回に限っては米田先生の言葉は期待外れだったのだ。何と言うか、もうちょっと親身になって欲しいし、もう少し京子の事情に踏み込んでほしかった。身勝手な願いであると解っていても、そんな風に思ってしまったのだ。
「あの、米田先生!」
京子はだから、意を決して声を上げたのだ。
「本当は、料理の事とかはどうでも良いんです。一食くらい抜いたって死にませんし、そもそも僕も妖狐なので、多少は食い溜めできますからね。私が、僕が本当に不安に思っているのは、一人で留守番する事なのです」
米田先生の眼差しが変化したのを、京子は目ざとく感じ取った。米田先生が何も言わないのを良い事に。彼女はそのまま畳みかける。
「もし、もし僕のこの状況を憐れに思ってくださるのなら……今晩、僕を先生のお部屋に泊めてください。迷惑をかけないようにしますので」
ごく自然に行われた上目遣いは、京子自身の心の揺らぎによって潤み始めていた。特段計算して行った仕草ではない。末っ子で、面倒見のいい兄らに構われて育ったがゆえに、京子は甘えるのが得意なのだ。麗しく凛々しく振舞っている裏では、甘えん坊な甘ったれな本性が隠れている事を、京子はきちんと知っていた。
米田先生はというと、京子の申し出を聞くやその表情が一変した。今まで浮かんでいた憐みの念が霧散し、ただただ冷徹に京子を見つめているだけである。
「ごめんなさいね、宮坂さん」
そして口に出したのは、明確な拒絶の言葉だった。柔らかくも、決然とした響きに、京子は尻尾を震わせた。
「あなたが不安に思っている事とか、あなたがもし先生のお部屋にやって来ても、お行儀よく振舞ってくれる事は先生にも解ってるわ。
だけどね、先生の部屋には有事の際に発動する
前職の事もあるから、
「もしかしたら、宮坂さんが部屋に足を踏み入れただけで、トラップが発動してしまうかもしれないわ。サイコロステーキみたいに細切れになってしまったり、串刺しにされてしまっても大変でしょう?」
「え、あ……はい……」
大変、というレベルではない話を聞かされて、京子はただただ頷くのがやっとだった。いかな妖怪の血を引いていると言えども、細切れどころか串刺しになっても京子はお陀仏だろう。妖怪は妖力が多ければ首が飛んでも死なないというが、それこそ五尾や六尾以上の妖力の持ち主でないと難しい芸当だ。
そもそも自宅に対妖トラップを仕掛けるのは良いが(?)、やはり効果が物騒過ぎる。何のかんの言いつつもお嬢様育ちだった京子には、米田先生の部屋にあるトラップの話は、相当過激な物だった。
結局のところ、京子は米田先生の部屋に泊まる事は断念したのだ。細切れトラップのインパクトが大きすぎて、当初の目的が頭から吹き飛んでしまった、と言った方が正しいかもしれないが。
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