第6話 雷獣娘の思いがけぬ提案

「だから言わんこっちゃない」


 職員室へと去って行く米田先生を見送っていると、耳元で囁き声が聞こえてきた。声の主が誰なのか。それは確認するまでもない。京子に忠実過ぎるほどに忠実な分身・塩原玉緒だったのだから。

 京子が学園にいる時は、何処かで教員の手伝いを行ったり雑事を請け負ったりしているか、京子の影の中に潜り込んでいるかのどちらかである。だというのに、玉緒は京子のすぐ傍に姿を現していた。

 玉緒の顔には呆れの色がありありと浮かんでいる。兄らが時折京子に見せる表情にそっくりだ。元より京子は、玉緒に兄としての役割を望んでもいた訳だし。


「ご主人様だって、本当は米田先生がああいう事は心の中で解っておいでだったのではありませんか?」


 玉緒の言葉に、京子はすぐには答えなかった。その代わりとばかりに、玉緒の尻尾の先に生えた毛を、何本か引っ張ってむしり取ったのだ。単なる八つ当たりである。玉緒はしかし痛がらなかった。そして奇妙な事に、京子の尻尾の先にかすかな痛みが走ったのだ。強い痒みにも似た、苦痛よりも不快感の方が上回る奇妙な感覚である。


「そんな事をしても無駄ですよ。僕は元よりあなたから分離した存在なのです。だから、どうやら僕の受けたダメージなどは、ご主人様にも多少なりとも返って来るみたいですね」

「知らないわよ、そんな事」

「そりゃあそうでしょうとも。今まではご主人様が僕に攻撃する事もありませんでしたし、僕も僕で、誰かから攻撃を受けないように頑張ってきましたので」


 京子が微妙な表情を浮かべていると、玉緒は澄まし顔のまま続ける。


「まぁご主人様。そんなに不安がらないで下さいませ。留守番すると言っても、僕も付いていますので。僕も料理は苦手ですが、簡単な物なら作れますし」


 タマが一緒にいても、それって独り芝居じゃあないの。京子は反射的にそう思ったが、それを口にする事はついぞ無かった。それよりも先に玉緒の姿が薄れ、溶け込むようにふっと消えたからである。そしてその直後に、授業開始を示すチャイムが鳴り響いたのだ。憤然としながらも、京子は教室に戻るほかなかった。


「なぁ宮坂さん。表情がさえないけれど、なんか悩み事でもあるのかい?」


 昼休み。気まぐれに食堂で持参した弁当を食べようとしていると、隣に陣取った雷獣少女の六花に声を掛けられた。六花はこの日弁当を持参していなかったらしく、盆に載せたきつねうどんを手にしていた。盆の上にはきつねうどんだけではなく、蒸しパンやらフルーツオレやらも載っていたが、その辺りはスルーしておいた。雷獣は代謝が高く、獣妖怪の中でも大食漢の傾向が強いのだ。それは六花とて例外では無かろう。


「……今日は家に誰もいないから、一人で留守番をしないといけなくなったんだ」


 自分が今思い悩んでいる事について、自分でも驚くほどに素直に口にしていた。普段の彼女であれば、あるいは問いかけた相手が六花で無ければ、うまい具合にはぐらかしていたのかもしれない。しかし京子は口にしてしまった。素直に口にしてしまうような何かを、六花は持っていたのだと思う事にした。


「まぁまぁ梅園さん。ご主人様はああは言っていますけれど、僕も付いているので別に問題は無いんですけどね」

「タマってばまた出てきたのね……」


 六花が何か言う前に、塩原玉緒がまたしても姿を現して口を挟む。寂しがらずに京子と玉緒の二人で留守番をすれば良いというのが彼の意見であるらしい。と言っても、京子にしてみれば今ここで玉緒に登場してほしいと思っていた訳でもない。解決策を欲しかったわけでもないし、そもそも自分は六花と話しているのだから。

 玉緒は京子の願望を基にして出来た分身ではある。しかし彼の行動すべてが、京子の意にかなう訳でもない。むしろ玉緒も玉緒で独立した自我を持ち合わせているから、京子と意見がぶつかる事もままあった。もう一つの人格が分離し、実体を伴うようになったものだから、致し方ない事なのかもしれないけれど。

 六花は二人のやり取りをさほど気にしてはいないらしかった。きつねうどんなどの載ったトレイをテーブルに置くと、京子の方をじっと見つめた。気づかわしげな表情だった。


「一人? で留守番とはちと心細いよなぁ。でも宮坂さんの所って、お母さんとかお兄さんたちとか色々いたんじゃあなかったっけ。てかさ、宮坂さんの所のお母さんは主婦だって、前に聞いた事があるんだけど」

「母も兄たちも父親も、今日は色々と用事とかが重なって、家を空けないといけなくなったんだよ」


 妙に力強い口調で、京子は問いに応じていた。


「……本当は、お母さんは僕に少しだけ気を遣ってくれて、『もしも不安だったら、私は用事をキャンセルするわ』とも言ってくれたんだ。だけど、僕も二年前からこんなだし、お母さんはその事でちょっと辟易しているみたいだから、不安だなんて正直に言えなかったんだ」

「それで、留守番できるから大丈夫って言っちまったんだな」


 京子はまたも頷いた。六花の浮かべている表情や口調のニュアンスは気にしない事にした。そして表情筋が動き、自嘲的な笑みが浮かぶ。


「そうだよ梅園さん。笑いたかったら笑っても良いよ。十五にも、高校生にもなって一人で留守番するのが怖いだなんて、さ。笑えるでしょう?」

「いや、アタシは笑わねぇよ」


 六花はそう言うと、じっと京子を見つめた。輝くような翠の瞳は真剣な光を宿している。それでいて、何処か慈しむような雰囲気をも持ち合わせていた。


「アタシらはまだ子供なんだからさ、一晩とはいえ親がいなければ寂しく思ったり、不安に感じるのは仕方ない事だよ。

 それに実を言えば、アタシだって叔父貴たちから離れて学校に通っているのは、ほんの五、六年前の事さ。それまでは叔父貴の会社に入り浸って、そこで遊んだり春兄から勉強を教えて貰ってたんだよ。叔父貴がアタシを引き取ったのは、それこそちみっこい幼獣の頃の事だったし……」


 京子の口から嘆息とも驚きの声ともつかぬものが漏れた。六花が叔父夫婦に引き取られている事は知っていたが、中学校に通う前の事はほとんど知らなかったからだ。と言っても、妖怪たちの中には初等教育を受けずに親元で教育を受ける場合も珍しくないという。六花もそういうタイプだったのだろう。


「あ、すまんな宮坂さん。何か自分の事ばっかり話しちまったな」

「良いよ別に……」


 京子の言葉に、六花は今一度笑みを浮かべた。湿っぽい笑みではなく、明るく晴れやかな笑顔である。見ているうちに、こちらにも元気が伝わってくるような笑顔でもあった。


「なぁ宮坂さん。一人で、いやまぁ塩原玉緒とかも憑いているみたいだけど、ともかく留守番するのが嫌だったらさ、今日だけでもアタシの家に泊まったらどうかな? 部屋もいくつかあるし、今日は叔父貴も月姉も早くに帰ってくるみたいだからさ」


 そして満面の笑みを浮かべながら、六花はそんな提案を京子に寄越したのだった。

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