第34話 雷獣は振るい妖狐は吼える

 六花の放った六筋の雷撃は、二人の戦況を残酷なまでにあぶりだした。トリニキはそう思わざるを得なかった。

 梅山七怪ばいざんしちかいも、もう残っているのは僅かに三体のみだ。

 残ったのは分身たる小猿を用心深く配置する白猿の将軍、その反対側で京子をそれとなく護衛する狼の将軍、そして恰幅がよく黄金色の飛び道具を吐き出した水牛の将軍だけだった。

 更に言えば、水牛の将軍などは雷撃に耐えるのがやっとだったと言わんばかりの雰囲気を見せている訳だし。

 博学ゆえに教えたがりな老妖怪たちによると、白猿の将軍・袁洪えんこうと狼の将軍・戴礼たいれいはどちらも梅山七怪の長であると伝わっているそうだ。しかも彼らは主だって闘うのではなく、宮坂京子の護衛を主に行っていた。だからこそ、六花の猛攻を涼しい顔で持ちこたえたのではないか。そんな風にトリニキは推理していた。ちなみに将軍たちの名が判るのは、萩尾丸や気ままに巡回していた浜野宮理事長に教えてもらったからだ。

 と、水牛の将軍・金大昇きんたいしょうがよろめきながらも歩を進めた。もちろん六花に向かっている訳だ。にじり寄る様な金大昇の動きは、しかし数歩ほどで止まってしまった。六花の手から伸びた雷撃の鞭が、金大昇を討ち取ったのである。京子が梅山七怪を繰り出したかと思えば、六花は雷公鞭らいこうべんで迎え撃ったという事か。呑気にトリニキが思っているうちに、六花の雷公鞭は更に二度振るわれる。

 その時にはもう、白猿も狼も斃されて護符に戻っていた。


「――いやはや、梅園さんは本当にお強いんですね」


 トリニキはついつい声を漏らしていた。教員として、決闘に臨む生徒のどちらかに肩入れするのは良くない事だと解っていた。それでも眼前の光景には嘆息せずにはいられなかった。六花はしかも、肌を上気させ息を弾ませてはいるものの、まだまだ余力は十分残っているように見受けられた。


「見た目だけではなく、実質的に火力も強かった梅山七怪を、ああも事もなげに全員討ち取ってしまうとは……」


 呟きながら、トリニキは今度は京子に視線を向けた。彼女の顔は蒼白く、それでいて額には脂汗が滲んでいる。見開かれた瞳は驚愕に染まっていたが、それでいて何処か憑き物が落ちたような気配さえあった。


「違いますよ鳥塚先生」


 短くぴしゃりと言ったのは、化け狸の今宮先生だった。のんびりおっとりした彼であるが、その顔には困ったような笑顔が浮かんでいる。


「確かに梅園さんは闘う事を得意としていますが……宮坂さんが梅山七怪などを繰り出した所で、事は僕たちも大体予想していたんです。

 そもそも僕たち狐狸であったとしても、分身を作り出し操るには相当な気力と精神力を消耗するのです。梅山七怪などと言った強くて、それも数の多い者を操るとなるとその負荷は相当なものですよ」


 それこそ二尾や三尾であっても音を上げてしまう物だ――今宮先生の言葉に耳を傾けつつ、トリニキは京子を見やる。六花は二尾だが、京子は一尾に過ぎない。


「桃太郎の配下である三匹の獣ですとか、強力な妖怪や幻獣でも哮天犬やフェンリル一体のみを分身として繰り出していれば、或いは戦況は異なっていたかもしれません。ですがそれでも……頑張っていると思いますよ」

「君ら狐狸妖怪の操る幻術は、電流で全てを見通す雷獣には特に相性が悪いみたいだもんねぇ。宮坂さんが苦戦するも無理からぬことだよ」


 いつの間にやら萩尾丸がふらりと立ち寄り、今宮先生の言葉に同意しているではないか。トリニキはそんなやり取りを聞きながら、隣に佇む塩原玉緒にふと視線を向けた。彼は真剣な表情のまま会場を食い入るように眺めていた。

 よくよく考えれば、塩原玉緒もまた京子の分身の一つである。こうして彼がいるという事は、彼を顕現させるために京子が妖力やら気力やらを消費し続けているという事なのだろうか。或いは自律式の分身であるから、そっちの消費は考えなくても良いのだろうか。

 いずれにせよ、無言で戦況を眺める塩原玉緒の表情は暗かった。京子が追い詰められて劣勢になっているのだ。そんな表情になるのも致し方ない事のように思えた。

 そう思っていると、なんと塩原玉緒と目が合ってしまった。彼は残滓のような微笑みを見せると、唇を震わせながら呟いた。


「……いずれにせよ、ご主人様が望んだ事です。それを見届ける事こそが、僕にできる事なのです」


「――さーて宮坂さん。あんたの駒でありあんたの盾だった分身たちはいなくなった。どうするんだい?」


 雷撃の鞭で残った分身を打ち破ってからおよそ一分後。六花は幾分気取った様子で京子に尋ねた。分身を打ち破ってすぐに問いかけなかったのは、六花もまた英気を養うためであった。いかな馬力に自信のある六花と言えども、何度も雷撃を繰り出して消耗してしまったのだ。もっとも、あと少し決着をつけるだけの力ならば、数分も休まずとも絞り出せるのだが。何せ馬力のある雷獣なのだから。

 六花は臆せず、それでいて抜け目なく京子を観察していた。血走った双眸がきつく鋭くこちらを睨んでいる。まだまだ闘志は抜けきっていないようだ。だが血の気が失せた顔は唇までも蒼く、それでいて脂汗がそこここに滲んでいる。消耗が烈しいのは六花の目から見れば明らかだった。

 無論六花も多少は消耗している。だが京子はそれ以上に消耗しているではないか。それこそが勝負の分かれ目だと、六花は思っていた。

 決闘で勝敗が決まるのは、何も相手が戦闘不能になって倒れる事のみではない。その前に相手が投降すればそこまでなのだ。


「もう大体勝負はついたとアタシは思っている。だから――」

「何を言ってるんだい、梅園さん?」


 これまで無言だった京子が、六花の言葉を遮って口を開いた。少年めいたその声は妙におどろおどろしい。額から脂汗が伝うのも気にせずに、京子はただただ微笑んでいた。妖怪めいた、真の妖怪たる六花さえ気圧される様な笑顔である。


「梅山七怪がああも打ち破られるとは僕も予想外だったよ。だけど、僕がここで諦めるとでも?」


 京子の尻尾の毛がぶわりと拡がる。拡がった毛先からドロリとした妖気が放出されるのを六花は目の当たりにした。

 それとともに、京子の姿がゆっくりと変質していった。白皙の面は耳が伸びて尖り口許が裂けていき、鼻面が隆起して毛深くなっていったのだ。肌を見せぬようにと着込んでいた体操服の上に銀白色の毛並みが伸びあがり、ほっそりとした身体を獣臭漂う毛皮が覆っていったのだ。爪が湾曲し手先足先が丸まっていき、そうして変化は骨格にまで及んだらしい。

 数秒と待たぬうちに、宮坂京子の姿は四足歩行の獣に変化していた。銀白色の毛並みのそれが、狐である事は言うまでもない。もっとも、その体躯がアラスカンマラミュートやカラフト犬に匹敵するサイズである事に目をつぶれば、の話であるが。


「おぎゃああああ――!」


 ぞろりと生え揃う獣の牙と、血のように紅い口の中を見せつけながら京子は咆哮した。その声の大きさと甲高さのために、周囲の空気が震えるような錯覚さえ六花は抱いた。狐の啼き声は何もコンコンやコャーンなどと言った可愛い物だけではない。ギャーッと啼く事もあるし、赤ん坊のような声で啼く妖狐もいるというではないか。


「お上品なお嬢様かなって思っていたけれど、中々骨のある所があるじゃないか。ははは、そうだよな。そうでなきゃあ決闘なんざやろうって思わねぇもんな」


 京子は今や、口許や鼻腔から火焔を噴き上げている始末である。それが幻術であるのか、フェンリルのように本当に火焔を吹き出しているのかは六花には解らない。鬼気迫る京子の姿を前に、六花の心は歓喜と期待に打ち震えていた。


「そうだとも! やっぱりアタシらは妖怪で、獣だもんなぁ。そっちがその気なら、最後まで迎え撃ってやる!」


 言うや否や、六花もまたその身を獣のそれへと変貌させた。水色と金色にきらめく白銀の毛皮と、細長い二尾が特徴的な獣の姿である。狼ほどの大きさに膨れ上がっているため、猫に似た姿ながらも威厳と恐ろしさを保つ事が出来た。首周りの毛が長いので、たてがみを抱くライオンや高貴なオオヤマネコに見えるかもしれない。

 雷鳴そのものの咆哮をあげる六花の許に、狐姿の宮坂京子が躍りかかって来る。

 美少女妖怪の、二匹の若きケダモノの闘いはここからが正念場なのだ。

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