第35話 決着そして二人の和解

 巨大な狐と化した宮坂京子と、これまたライオンともオオヤマネコともつかぬ獣の姿に変じた梅園六花の闘いは、純粋な肉弾戦へともつれ込んでいた。

 はじめこそ両者こそ術らしい術を使ってはいた。京子は火焔を噴き出して六花が近づくのを阻み、六花もこれを牽制し防護するために雷撃をまとわねばならなかったのだから。

 術の武器と鎧を互いに脱ぎ捨てた事にはいくつかの理由があった。互いに牽制しあったままではらちが明かず、そもそも術を行使し続けるには消耗し過ぎていたのだ。だからこそぶつかり合う事になった。

 躍りかかってきた京子が体当たりを仕掛ける。六花はこれを回避せず、前足と尻尾を使って受け流し、右前足で京子に殴りかかった。京子の瞳が驚きに見開き、大げさなほどに後ずさる。

 大げさな動きとは裏腹に、大してダメージは入っていないであろう事は六花も解っていた。これは両者の体重差によるものだ。実を言えば、六花の方がうんと軽かったのだ。細身とはいえ人間の女性ほどの重さは京子にはあるだろう。一方、六花の本来の姿は確かに獣であるが、その大きさは柴犬よりやや小さい程度に留まっている。体重も十キロ弱であり、人間や半妖に較べれば格段に軽い。

 ともすれば五倍近い重量差が、京子と六花の間にはあったのだ。

 しかしだからと言って、自分が劣勢になるなどとは六花は思っていなかった。もちろん、妖怪とて体格差や体重差が物を言う場合もあるにはある。しかし、勝敗はそれのみで決まるほど単純なものではない。

 例えば猫は、おのれの二倍の体重の犬と互角の強さを保有するという。そしてその犬は、おのれの三倍の体重を持つ人間を打ち負かす事が出来るのだ。

 すなわち、猫に近い体を持つ六花では、五、六倍の体重差のある人間や半妖など敵のうちに入らない。ましてや向こうは荒ぶっているとはいえ、妖術の使用で心身ともに消耗しているのだから。


 両者の取っ組み合いは、時に爪と牙をも用いた獣同士の闘いはものの数分で収束した。肩口の辺りに雷獣パンチを受けた京子は、ヒィーッと悲鳴を上げ、そのまま耳を伏せてへたり込んでしまったのだ。はずみで横向きに転がってもいる。

 腹を波打たせて呼吸を繰り返すうちに、その姿が変化していく。巨大な狐の姿から、普段見慣れた半妖少女の姿に戻っていたのだ。大きな傷もなく、特別頑丈な造りの運動着の上着が若干ほつれている程度である。

 しかしそれでも、乱れて無造作に額や頬にかかる黒髪や、物憂げな瞳こそが彼女の心境と状況を如実に物語っていた。

 獣の姿でそれを見下ろしていた六花も、術で人型に変化し直した。


「おめでとう梅園さん。僕の負けだ。君は僕に勝ったんだよ、梅園さん……」


 京子は首をもたげると、たどたどしい口調で言葉を吐き出した。

 そうか、アタシの勝ちなんだな?

 事実確認のための六花の言葉に、京子は応じる事はなかった。言いたい事を言い切ったであろう彼女は、そのまま静かに失神していたからだ。目を伏せたその面は、思いがけぬほどあどけなく、そしてそれこそ憑き物が落ちたような、何処か満ち足りたような表情でもあった。

 横たわる京子の傍に伸びる影に、何かが入り込んだ気がした。だが次の瞬間には救護班らしき面々に六花たちは包囲され、それが何だったか考える暇などは無かった。


 決闘が終わった直後に、宮坂京子と梅園六花はそのまま保健室へと連行された。命に別条がないように取り計らわれた決闘と言えども、京子は意識を失ってしまったのだ。保健室の教諭に看てもらうのは当然の事であろう。

 ちなみに六花は特に変わった様子はないが、やはり念のために看て貰うという形となったのだ。

 そして宮坂京子が担架で運ばれている時には、既に塩原玉緒の姿は忽然と消えていた。もっとも、彼の存在に気付いたものは少なかったので、騒ぎ立てる手合いはいなかったけれど。


「……本当に、お騒がせして申し訳ありませんでした」


 二人が保健室に連行されてから十分余り。トリニキは保健室に赴いていた。その数分前に京子が目を覚ましたので、来訪しても大丈夫であるとサカイ教諭から許可を頂いたところでもあったのだ。

 ベッドに身を預けていた京子は、トリニキの姿を見るなり半身を起こし、居住まいを正して謝罪したのだ。静かに、それでも凛とした気配を崩さずに告げる京子の姿は、まさに可憐な少女そのものだった。

 ちなみに六花は多少の打ち身があったという事でやはり大事には至ってないらしい。しかし身体が火照ったらしく、冷却シートを額に貼って丸椅子に腰かけていた。もしかしたら、彼女も京子を心配していて、目が覚めるのを見届けようと思っていたのかもしれない。


、先生方にも梅園さんにも迷惑をかけたと思っているんです。今回の決闘でもご心配をおかけしたでしょうし、それよりも前だって……」


 京子はそう言って手を組んできつく握りしめた。彼女のその横には、いつの間にやら仔狐が一匹侍っているではないか。大きさは猫の仔ほどしかなくて、銀黒色の毛並みに覆われた一尾だった。

 塩原玉緒じゃんか。六花は仔狐を見るやそう言った。恐れの念もこだわりもない、世間話でもするかのような口調で。


「宮坂さんが運ばれている時に、何かが影に入り込んだのをアタシは見たんだ。だけどそうか、あの時のはあんただったのか……」


 塩原玉緒と呼ばれた仔狐は何も言わなかった。だがばつの悪そうな表情で耳を伏せ、匍匐前進のまま後ずさって布団の奥へと消えていった。

 おのれの妖力やらエネルギー的な物を、塩原玉緒は京子に分け与えたのだろうな。仔狐姿の塩原玉緒を見たトリニキはそんな事を思った。通常、妖怪が別の妖怪に妖気を分け与えるのは危険な行為である。適合しない場合があるためだ。

 しかし、塩原玉緒は宮坂京子の分身であり、妖気はほぼ同じなのだという。であれば妖気の消耗が烈しく昏倒した京子に妖気を分けたとしても、毒になる事はあるまい。初めからこうなる事が解っていたからこそ、塩原玉緒はあの場に堂々と姿を現していたのかもしれない。トリニキはそんな事を思っていた。


「タマの、塩原玉緒の事でも迷惑をかけてしまったわ……」


 塩原玉緒。その名にはあるじである京子もまた反応した。彼が隠れた先を京子は見やっていたが、隠れた分身を探す事はすぐに諦めたようだった。トリニキにまず謝罪していた京子であるが、今回は六花に視線を向けていた。


「特に梅園さんには怖い思いをさせてしまったみたいですし……あんな事がとっても悪い事だって、私たちは知っていたはずなのに」

「気にしなくて良いさ宮坂さん」


 深刻そうな京子の言葉に対し、六花は歯を見せて笑っていた。


「あの時はアタシも少し気を張っていたからさ、家に帰って安心して、ついでに可愛いチビ共を見て、それで気が緩んだだけだよ。聞けば塩原玉緒ってやつも悪いやつじゃないって解った訳だしさ……」

「……梅園さん」


 六花の言葉を聞き終えた京子が、静かに彼女の名を呼んだ。その声には何とも言えない甘みが伴っている事にトリニキは気付いてしまった。


「私、ようやく本当の願いが解ったの。本当は、梅園さんと友達になりたかっただけなんだって」


 京子の声はやはり甘みを伴っていた。のみならず、暗い琥珀色の瞳も何処かトロリとしている。その眼の意味が何であるのか……アラサーであるトリニキには解ってしまった。

 六花はというと、流石にこの京子の言葉には驚いたらしく、丸い瞳を大きく見開いている。


「梅園さんには今まで辛く当たってきたかもしれないけれど……本当はね梅園さん。貴女の事が心底羨ましかったの。新しい学校で知り合いも友達もいないはずなのに明るく自然体に振舞っていて、それでいて皆を魅了するものを貴女は持っていた。

 それに……それに梅園さんは女の子である事にも縛られて無かったでしょ。その事が私には羨ましくてしようがなかったの……!」


 先程から、京子は少女めいた口調で話しかけているではないか。トリニキも既にその事に気付いていた。少女めいたというのは間違いであろう。宮坂京子は真実少女であるのだから。普段見せている優雅で中性的な男装の麗人の姿は、京子が作り上げた虚像に過ぎない。その事を今更ながらトリニキは思い知った気がした。

 宮坂さん……六花が呟いたのがトリニキの耳朶をくすぐった。


「身勝手な事だって笑っても構わないわ。うふふ、これまでの僕の……私の言動を見た上でこんな話をされれば腹を立てても可笑しくないもの。それでも、梅園さんが良ければ私と友達になって欲しいの」


 そう言うと、京子は何かを思い出したらしく一層笑みを深めた。


「大丈夫よ梅園さん。私は決闘に負けた身分です。だから梅園さんに服従する覚悟はできているわ。文字通り何でも……というのは難しいけれど、それでも梅園さんの言う事は聞くから、ね」

「宮坂さん! 決闘はそう言う意味でやる物じゃあ……」


 何でもするってめちゃくちゃ危険な言葉じゃないか……大人として世の残酷さを知っているトリニキは、京子に対して教育的指導を入れようとした。しかし、それに待ったをかけるかのように六花が口を開き、あからさまにため息をついてみせたのだ。


「全く、野柴君と言い宮坂さんと言い、お狐様は誰かに従うのが大好きなのか?

 良いか宮坂さん。アタシは別に手下を求めてこの学園に来た訳じゃあないんだよ。そう言えばあんたはさっき、アタシの言う事を聞くなんて言ってたよな。だったらさ……アタシなんぞにおもねったり媚びたりするな。宮坂さんはアタシの事を敵視していなくって、友達になりたいって事がもうはっきりしているんだ。だったらそれで良いよ」


 六花は思い出したように瞬きし、少し照れたように言い足した。


「それとさ、この学園での暮らしというか、雰囲気みたいなのも教えてくれたら嬉しいかな。言うてまだアタシも編入生で詳しくないし、女子からの意見って言うのもそろそろ欲しかったからさ」

「ありがとう梅園さん……本当に、貴女って素敵なひとなのね……」


 京子はそう言って微笑み、六花の手をおのれの両手で包み込んだ。

 トリニキはそれを見てひとまず安堵した。京子と六花が和解したその瞬間を、この目でしかと見届ける事が出来たからだ。

 若干京子の瞳が熱っぽいような気もするが、相手が六花だったら大丈夫だろう。何となくそんな気がしたのだった。


             私立あやかし学園 シーズン1:スケバン雷獣現る 完

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