シーズン2:嵐を呼ぶ? 校外学習

第1話ツツジで繋がる朝の一幕

「それじゃ、行ってきまーす」


 スケバン雷獣・梅園六花の朝は妖並の物である。目が覚めるのは多少早いのかもしれないが、だからと言ってその分早く登校するわけでもない。あやかし学園に編入してから既に一か月近く経つ。学園へ向かうルートは近道や裏道も含めておおよそ把握していた。それに雷獣だから、いざとなれば空を飛んで移動するという手段を取る事だってできる訳だし。

 しかしそれ以上に、六花は家族とのふれあいを心から楽しんでいた。特に――幼い弟妹である野分と青葉とのふれあいを、だ。

 だからこそ、学校に向かうこの瞬間は六花にとっては少しだけ憂鬱だったのだ。可愛い弟妹達、野分と青葉にしばしの別れを告げなければならないためだ。今日だって、野分も青葉も名残惜しそうに姉の姿を見ているではないか。


「行ってらっしゃい、おねえちゃん……」

「おねえちゃん! 早くかえってきてよね!」

「行ってらっしゃいませ六花お嬢様。さ、野分お坊ちゃまに青葉お嬢様も、保育園に行く準備をしましょうね」


 弟の野分はおずおずとした様子で、妹の青葉は元気よく六花を送り出そうとしていた。野分と青葉はこの一月で五歳になっていた。人間で言えば二、三歳ほどであるが、既に性格の差ははっきりとしたものになっている。

 その二人をなだめるように撫でているのは使用妖の飯綱美咲である。野分たち兄妹とその姉である六花の面倒を見てくれる、姐やみたいな存在だった。見た感じでは六花より少し年上にしか見えないが、彼女については姉のように慕っていた事もあり、実の所六花も頭が上がらない節はあるにはある。


「サキ姉も何時もありがと! 三人とも気を付けて、な!」


 今一度挨拶をすると、六花は元気よく家をあとにしたのだった。


 通学路を辿る六花の目に映ったのは、咲き誇るヒラドツツジの花々だった。元より大ぶりな花であるのだが、色調も紫に近い濃いピンクであるから尚更目を惹く。

 それにしても、今年はいつもよりも早く花をつけたのだなぁ。もはや緑の葉が視えぬほどに咲いているツツジの花に六花はそんな事を思った。

 ツツジの花は五月にようやく満開になると言われているが、温暖化の進むご時世ではそうでもないらしい。

 六花はそれから、花の根元にある蜜の事を思い出した。もちろん朝食は登校前にきちんと済ませている。しかしそれはそれ、これはこれなのだ。

 ツツジの蜜なんて実家にいた時以来だし、たまには良いかな。ふとそんな事を思い、一歩、二歩とツツジの許へ六花は近付く。


「おはよう、梅園さん」


 そこで声が掛けられ、六花は思わず歩を止めた。振り返った先にいるのは学ラン姿の少女だ。春の終わりという事でそろそろ暑くなり始めた時期ではあるものの、彼女は上下とも黒づくめの制服をきっちり着こみ、しかも汗をかいている気配もない。白い頬は六花の存在を認めるや、ほのかに赤味を帯び始めていた。

 この少女は宮坂京子という。六花と同じクラスに属する一尾の妖狐だ。厳密には母が人間なので半妖であるが、その振る舞いや使いこなす妖術は純血の妖狐と大差ない。


「お、宮坂さんじゃないか。おはよう。奇遇だな、こんな所で会うなんて」

「奇遇も何も、ここは通学路じゃないか」


 へどもどしながら口にした六花の言葉に、京子は頬を緩ませた。含みの無い笑顔である。


「お互いご近所同士だし、時間帯が合えば顔を合わせるのはそんなにおかしな事では無いと思うんだけどなぁ……それはそうと梅園さん。ツツジの花を見てたけどどうしたの?」

「ちっちゃい時にツツジの蜜を吸った事を思い出したんだ」


 六花が素直にそう言うと、京子は困ったように柳眉を寄せた。その態度は、まさしく生真面目な風紀委員らしい振る舞いだった。


「ツツジの蜜だって? 確かにあれは甘いって僕も聞いた事はあるけれど……やめておいた方が良いよ。梅園さんが毒に当たっても気の毒だし、それにそんな事で炎上してしまっても大変だからさ」

「確かに、宮坂さんの言葉にも一理あるよな」


 生真面目な、それでいて気づかわしげな京子の言葉に六花は素直に納得し始めていた。


「アタシは雷獣だから多少の毒なんざ怖くないけれど、流石に炎上は避けたいからね」


 六花はそう言って、照れたようにその顔に笑みを浮かべた。思っている事が顔に出てしまい、もしかしたらいびつな表情になっているのかもしれない。

 アタシはさ、これでももう真面目に暮らそうと思っているんだ。直後に放ったその言葉は、世辞でも社交辞令でもなく本心からの言葉だった。元より六花は貴族の子女である。今は訳あって本家を離れ叔父夫婦の許に身を寄せているが、いずれは正式な次期当主として返り咲くつもりだ。それが叶わなかった場合は、叔父の組織を受け継ぐという未来もあるにはある。

 いずれにせよ、六花は将来を約束された身分なのだ。しかもこの度あやかし学園に高等部から編入する事になったのも、元々通っていた中学校での素行の悪さが目立ったからに他ならない。

 それらの事を踏まえ、六花は学園に馴染み、真面目に学生生活を送ろうと密かに思っていたのである。


「ともかくありがとう宮坂さん。ははは、やっぱり風紀委員だけあって、学園の外でも色々と気を配ってくれているんだな」

「そんな風に言われると恥ずかしいよ、梅園さん……」


 今度は京子が照れたような表情を浮かべる番だった。風紀委員という単語を使った所に、六花は特に深い意味を持たせているわけでは無い。ただ単に事実として言及しただけだ。

 だが京子はそうは思わなかったらしい。風紀委員である彼女は、かつて六花の事を学園に混乱をもたらす異分子として密かに敵視していたのだ。その事を思い出し、気恥ずかしく思っているのかもしれなかった。

 京子が目の敵にしていた事について、六花は実の所もうほとんど気にしていなかった。先日行った決闘でケリがついたと思っているからだ。学園内公認での決闘では六花が勝利を収める結果と相成ったのだ。敗北した京子は素直に負けを認め、六花への敵愾心も潔く捨て去っていた。そして今は同じクラスの友達として、こうして六花に接してくれているのだ。

 本当は梅園さんと友達になりたかったのかもしれない。決闘が終わった直後に京子はそんな事を言っていたが、果たしてそれは真実だったのだ。今でも彼女は男装の麗人として振舞い、そして一定の気位の高さを周囲に保つ事は出来ている。しかし六花の前では懐っこい仔犬や甘え上手な妹のような態度が見え隠れする事があるのだ。実際京子は末っ子で兄らとは歳が離れているという事だから、妹みたいな性質というのはあながち間違いでは無いのだが。

 同級生なのに弟分や妹分になってしまうとはこれ如何に。そんな風に六花は悩んだりする事は特に無い。六花はしょうもない事についてあれこれ深く考える性質では無いし、そもそも六花は長姉である。妹分や弟分の面倒を見るのは好きな性質だから、六花も六花で満更でも無いのだった。


「あー、それにしてももうすぐ連休だよなぁ。と言っても、アタシらは学生だから連休は祭日だけになるんだけど」


 ゆったりと歩を進めながら、六花は思った事を口にしていた。ツツジの花から連想していくと、やはりどうしても連休に突き当たるのだ。


「梅園さんってば、もう連休の事を考えているんだね。でもちょっと気が早いと思うんだけど……」

「気が早いって何でさ? 連休の前に何かあったっけ?」

「梅園さん。連休前には校外学習があるんだよ」


 校外学習。言い含める様な京子の言葉に、六花は視線を彷徨わせ軽く思索にふける事となったのだった。

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