第33話 対決! 雷獣娘vs狐娘
「梅山七怪、だと……」
決闘が開始したのを見届けていたトリニキは、宮坂京子が繰り出した分身を見て思わず呟いた。封神演義や西遊記を耽読していた事もあるトリニキであるから、梅山七怪がいかなる妖怪なのかは知っている。
もしかしたら、生徒らの中には梅山七怪を知らぬ者もいるかもしれない。それでも一目見ただけで、梅山七怪の仰々しさ・恐ろしさは解るはずだ。何せむくつけき獣や蟲の本性をその面に露わにし、更には首から下は隆とした体躯の鎧武者なのだから。
分身術と言えども戦闘能力の高さが見え隠れしているようでならなかった。
「随分と大掛かりな術ですね、これは」
隣に控える今宮先生は、相変わらず呑気な様子で会場に視線を向けるのみである。
「宮坂さんが変化術を筆頭とした妖術を得意とする事は僕も知ってます。ですがそうだったとしても、彼女であれば搦め手を使うはず。あの分身たちは火力が強そうには見えますが、その分不安定そうでもありますね」
蛇の道は蛇、そして狐狸の道は狐狸という物なのだろうか。冷静に解説する今宮先生の姿を眺めながら、トリニキはぼんやりと思った。
「ご主人様も形振り構っていないのでしょうね」
「なっ……君はっ……!」
ふいに隣――今宮先生がいる方とは反対側だ――から声が上がり、トリニキは驚いた。そして声の主の姿を網膜で捉えたがために、トリニキの驚きは深まった。
声の主は誰あろう塩原玉緒だったのだ。のっぺりとした、それでいて抜け目無さそうな面立ちは、嫌でも印象に残っている。但し、銀黒色の四尾は顕現させずに隠しており、ワイシャツにスラックスと落ち着いた衣裳ではあったが。
それでもトリニキは戸惑いうろたえた。塩原玉緒は京子の分身、それも京子の手から離れて動くタルパやイマジナリーフレンドのような存在だった。自身の意志を具え、それでいて宮坂京子の願望に従って動く。その上強大な力の持ち主と来ている。トリニキが警戒するのも無理からぬことだった。
「ああ、警戒しないでください鳥塚先生。生徒の皆様には僕の姿は見えないようにしています。それに僕はそもそもご主人様の闘いぶりを見届けて……有事の折に動くためだけにここにいるのですから」
トリニキが何か言う前に、塩原玉緒は手で何やらジェスチャーを交えながら弁明した。四尾を隠しているせいか、その物言いや言動は年相応の若者のそれにしか見えない。前に会った時に感じた禍々しさや妖しさは感じられなかった。
「ええ、ええ。僕はこの度の決闘には……二人の勝敗の行方には関与しませんよ。ご主人様が僕の介入を望んでいませんし、僕自身もご主人様の問題だと思っていますからね」
そこまで言うと、塩原玉緒はふう、と息を吐き乾いたであろう唇を湿らせていた。梅園六花を幻術でもって玩弄した存在とは思えぬような、妙な意味で若者らしい振る舞いだった。
「それにしても、ご主人様が力押しで乗り切ろうとなさるとは……確かに梅園さんはお強いでしょうけれど……」
塩原玉緒はそこまで言って、京子たちに視線を投げかけていた。物憂げな表情に見えたが、トリニキはついぞ声をかける事は無かった。
それよりも勝負の行方が、特に六花が大丈夫かどうかが気になってならなかったのだ。
※
牡牛のごとき恰幅の良い将軍の一人が、双角を振りかざしながら金色の玉を吐き出した。六花を狙って放たれたものであるが、もちろん六花は身をひねって回避した。高エネルギーを保有しているであろうそれは、一瞬であるが軌道を逸れた六花を追尾しようとしていたようだ。しかし途中で小刻みに震え、元々の軌道をたどるしかなかった。
着地場所を探る六花の口許に笑みが浮かぶ。威力が凄まじくとも、当たらなければどうという事は無いんだよ! 口には出さずに六花はそう思っていたのだ。
六花は雷獣であり、特に戦闘の才に長けている。稲妻よりも遅い攻撃を回避する事など訳ないのだ――攻撃の魔の手が伸びていると、解っていれば。
その六花の瞳が大きく見開かれる。着地しようとしていたおのれの胴に、しなやかな腕が巻き付いていた事に気付いたからだ。
振り仰ぐと腕の主がいた。
「チェックメイトだな、お嬢ちゃん」
六花を捉えた耳元で囁く。声はやや低く、何処となく粘着質な物を感じさせた。それはもしかしたら、声と共に感じた生臭い息のせいかもしれない。
横目で相手を確認する。やはり優男ではあるが、ねちっこそうな雰囲気を具えていた。
「
絞め落としてやるよ。男の手の甲に鱗が浮かぶ。六花を抑え込まんとする腕の力は先程よりも増したようだった。だが六花は慌てなかった。
「糞蛇が、気安く女の腰に手を回しているんじゃねぇ――!」
土星と共に、六花は雷撃を勢いよく放出した。蛇男の身体が強張るのを感じ取り、そのまま鳩尾めがけて肘鉄を喰らわせる。もちろん雷撃を伴ったままで。
胴に絡まる腕の感触が無くなったのを確認し、そのまま雷撃を鞭状に振るう。向こうが梅山七怪を繰り出すのならば、アタシのこれは雷公鞭だ。そんな事を思う六花は、そのまま雷の鞭を将軍の一人に振り下ろしていた。暗雲の残滓をそこここに伴っていた将軍である。
やたらと黒光りする鎧が特徴的なその将軍は、大蜈蚣の姿を一瞬晒し、そうして脆くも消え去った。
「――蛇と
六花は唇を湿らせながら呟いた。おのれを捕えようとした蛇男と呉竜とかいう大蜈蚣の化け物がいた所には、それぞれ護符が落ちているだけだった。決闘が始まった時に、宮坂京子が護符を七枚放っていた事を、六花はこの時思い出していた。
件の護符には各々名前が書かれてあるのだが、名前を記したであろう墨は、単なる墨汁というにはやや赤褐色を帯びているようでもあった。
「宮坂さん……あんた自分の血を使ったな?」
六花は片眉を吊り上げて思わず京子に問いかけていた。護符に文字を書きつけるのに使ったであろう墨汁には、かすかに血の臭いが混ざっていたのだ。
さて問いかけられた京子はというと、何かの印を組みその場から動かぬままに頷いた。口角が僅かに上がり、あどけなくも禍々しい笑みがその面にふわりと浮かぶではないか。
「残念ながら僕はか弱いお嬢様らしいからね。普通のやり方じゃあ強い分身を出す事が出来ないんだよ。それに血液が、古来より呪物として効力を発揮するって事は雷獣の梅園さんなら知ってるでしょ?」
三方より――残った兵のうち、白猿と狼の二体の将軍は京子を護るべく左右に控えていたのだ――迫りくるまやかしの兵を受け流しながら、六花は無言のままだった。血液が呪物や護符として用いれば強力な効果を発揮するであろう事は、もちろん六花も知っていた。
特に雷神などは、血液や汚物でその身を汚されると一時的に神通力を失うという。雷獣は雷神とは別物であるという風説もあるにはあるが、それでも無視できない話である。特に強大な力を持ち、雷神への信仰心の篤い雷獣であればなおのこと。
理論的な話はここまでにしよう。正直なところ、梅園六花は宮坂京子の決闘への執念に一瞬とはいえ戦慄を覚えたのだ。妖術の媒体として血液が強力な力を発揮すると解ったとしても、果たしてそれを実行する者がどれほどいるだろうか。しかも京子が使ったのは自身の血だという話だ。
猪八戒によく似た猪の将軍の振るう馬鍬をとんぼ返りで躱していた六花の瞳に、京子の姿が映り込む。印を組むその額には脂汗が滲んでいるが、それでも素肌を見せぬように体操服を上下ともきっちり着こんでいる。
体操服に隠された素肌には、血を絞り出すための傷があるのではないか。その考えが脳裏にとりつくや否や、あたかも自分が貧血になったかのような錯覚を抱いた。実際めまいめいたものを感じても何らおかしくない。将軍たち、梅山七怪の攻撃を全て回避できたわけでも無いのだから。
「雷獣が神性を抱くケダモノである事は、宮坂さんだって知ってるだろう?」
雷撃で将軍たちを牽制しつつ、六花は京子に語り掛ける。見た目こそ梅山七怪は恐ろしげではあるが……それでも六花はおのれに勝機ありと踏んでいた。分身は術者のイメージに依存する。奇しくもそれは、梅山七怪にも当てはまっていたのだ。或いは京子は気付いていないのかもしれないが。
「良いか宮坂さん! 雷には浄化の力も宿っている! あんたの執念もそれで電気分解されるかもしれないな」
六花が叫ぶや否や、稲妻が六筋ほぼ同時に落とされた。それらがそれぞれ五体になった梅山七怪と、本体である宮坂京子を狙ったものである事は言うまでもない。
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