第11話 狐の恋と樹下の告白
結局のところ、野柴珠彦は昼休みに職員室の入り口にやってきた。(職員室には現在入室できないから、生徒に呼ばれた教師は職員室の外で応対せねばならないのだ)但し彼単体ではなくて、一人の女子生徒も伴っての話であるが。もちろん梅園六花ではない。珠彦と何となく似た面立ちの、妖狐の少女だった。彼女は野柴鈴花と名乗った。高等部一年一組に属し、珠彦の従妹であるとの事。似た面立ちであるのも当然の話だった。
「先生……持っていたのに返してくれないなんて、先生がそこまでイケズだったとは思いませんでしたっす」
敬語なのか砕けているのか判然としない口調で告げ、珠彦はやや恨めしそうにトリニキを見やった。テストのタイミングにラブレターなど仕込んだりするなよな……トリニキは内心そんな事をぼやきつつも、素直に珠彦にラブレターを返却した。
「ごめんね野柴君。先生もちょっとタイミングが掴めなくって、ヤキモキさせちゃったかな」
「大丈夫っすよ。梅園さんは食堂か何処かでお昼を食べてるみたいだし、その間にもう引き出しの中に仕込んでおこうかなと思ったっす」
野柴君。トリニキは珠彦の顔をしっかと見据えながら呼びかけた。どうしても、彼に聞いておきたい事があったのだ。
「君は梅園さんの事が気になっているんだよね。それってどうしてかな?」
問いかけるトリニキの脳裏には、梅園六花の姿がふっと浮かんだ。スケバンであるという点を除けば、男子の目を惹くような容貌である事はトリニキも解っていた。少女ながらもメリハリのあるしっかりとした身体つきであるし、愛くるしさと繊細さを持ち合わせた美貌の持ち主でもある。
珠彦も、或いはそうした所に魅力を感じたのだろう、とトリニキは推測していたのだ。
さて珠彦はと言うと、思案顔でしばし視線を彷徨わせ、たっぷり数秒ほど経ってから口を開いた。
「近寄りがたそうだけど、本当は優しいお嬢様なんじゃないかなって思ったんすよ」
「……そうか。そうだったんだね」
嘆息と共にトリニキは言葉を漏らしていた。優しいお嬢様。珠彦の六花への評価に素直に驚いていたのだ。見当違いであると思ったわけでは無い。むしろ逆だ。スケバンとして突っ張っている姿の裏側に、彼女の繊細さや秘められた優しさがあるのではないか。トリニキはそのように思っていたからだ。
見かけに惑わされずに、その事に気付いた珠彦は慧眼の持ち主だ。眼力もある。そのように思い始めてもいた。
「健闘を祈るよ、野柴君」
「そんな、先生にそんな事を言われるとむず痒いっす」
「それじゃ、そろそろ行こっか」
従妹であるという鈴花に促された珠彦は、未だ気恥ずかしそうな表情を浮かべつつも、そのまま教室へと戻っていった。
六花は珠彦のアプローチにどのように応じるのだろう。トリニキとしてはそこは気になる所ではあった。ラブレターによる告白が生徒間のいざこざを引き起こしてはたまったものではない。そんな教師目線の懸念もあるにはある。
だが――ラブレターを貰った位で六花が狂犬のごとき様相を見せはしないだろう。そのような思いもまた、トリニキの中にあるにはあった。それはやはり、あの夜の六花の姿をトリニキは知っているからそう思ってしまうのかもしれない。或いは単なるトリニキの願望に過ぎないのかもしれないが。
もっとも、六花が穏便に事を進めてくれたとしても、珠彦を受け入れるか否かは別問題であろう。年長者(あくまでも精神的な意味である。妖怪である珠彦と六花の方がトリニキよりも実年齢は上なのだ)としてトリニキはそう思っていた。弟妹の面倒を見なければならない。そう言った時の表情を思い出せば、彼女が色恋に容易く陥落するような娘ではない事は明白だった。
――がんばれよ野柴少年。もしかしたら君にとって残念な結末になるやもしれないが
ともあれ、トリニキは珠彦を密かに応援し、変にいざこざが生じぬよう願う他なかったのだ。
※
『梅園六花様。どうしても貴女にお伝えしたい事がございます。お時間があれば放課後に中庭まで来てください』
放課後。六花は自席の引き出しに入っていた封書を携えて中庭とやらに向かっていた。差出人は野柴珠彦であるとの事。
一体アタシに何の用があるって言うんだ……差出人の顔は思い浮かんだものの、六花の心中にあるのは純粋な疑問だった。相手の顔と名前がすぐに合致するのは、六花のある種の特技でもあった。雷獣だからと言う事もあるだろうし、誰がどのような相手なのか、自分の味方になりうるか否か、見極める事が大切だと知っていたからだ。
昨日の様子を見るに、野柴はそんなに荒っぽい生徒では無さそうだ。確かに若干はしゃいだり快活そうな様子は見せていた気がする。しかしそれは普通の男子生徒の範疇に留まっており、常識的な良い子に過ぎなかった。
果たし状の類なら何度も貰った事がある。分を弁えないアホどもにリンチされかけた事も、それこそ女である事を目当てに襲おうとした輩もいるにはいた。
だが、この封書の文言にはそうした禍々しさは無かった。筆圧が強く文字が所々歪んでいる部分はあるにはあるが。
「椿か……まぁ春だもんな」
吹奏楽部の練習やら運動部員の掛け声をバックグラウンドミュージックとして歩いているうちに、六花は相手の指定した中庭に辿り着いていた。生徒らが歩く所は煉瓦が敷き詰められているが、その脇には種々の草木が植えられている。
その中でも椿の花が六花の目に留まったのだった。八重咲のピンクの花もあれば、近縁種の山茶花によく似たぼってりとした赤味の強い花もある。
根元に丸ごと落ちた椿の花を見た時、六花は僅かに胸の痛みを感じた気がした。落ちる首になぞらえた不吉さを思っての事ではない。あのまま静かに朽ちていく事を思うと切なくなっただけだ。
折角整美委員になったんだ。あの辺も片づけるべきだろうな。六花はそう思う事にして気を取り直したのだった。
「来てくれたんすね、梅園さん」
弾んだ声が耳朶を打つ。ラブレターにて自分を呼びつけた野柴珠彦は目の前にいた。狐色の尻尾は期待に揺れ、のみならずプロペラ回転を行っていたのだった。
「わざわざこんなものまで用意して……一体アタシに何の用だい?」
「好きです梅園さん! 僕と……僕と付き合ってください……!」
珠彦の感情の発露に、六花は僅かに首を傾げた。これは詳しく話を聞く必要がある。ある意味絡まれるよりも七面倒な事になったのではないか。
眼前の妖狐の少年の気持ちをガン無視して、そんな事を思い始めていたのだ。
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