第12話 スケバン雷獣 タンカを切る

 未だ春の浅い昼下がり。幼い六花は遊び疲れ、縁側でこちらを見守る母の許に戻っていた。お転婆な娘をしっかと抱きとめ、その背中や尻尾を愛おしそうに撫でさする母は……他ならぬ梅園家の女当主だった。


「ねぇお母さん」

「どうしたの、六花」


 ふとある事を思いつき、母の腕の中で六花は声を上げた。この時の六花はまだ幼く、人間で言えばようやく四、五歳ほどの幼子だった。それでも彼女は知っていた。母の立場を。そしていずれは長女である自分が、その母の地位を受け継ぐであろう事も。

 それに当たり……と言う難しい事を、幼子が考えていた訳でもない。それでも六花には母に聞きたい事があった。


「お母さん。お母さんはどうしてお父さんを選んだの?」


 あらぁ……母は驚いたように目を丸く見開き、それからゆるりと微笑んだ。慈愛に満ちたその笑みは、確かに貴族の笑みと呼んでも差支えなかろう。母の柔らかな手は、いつの間にか六花の頭を優しく撫でていた。庭で咲き誇る、椿のしっとりとした香りが手の平から漂っていた。

――あの時母が何と言ったのか、それはもう思い出せないし、もう二度と母に聞く事もできない。幸せが何たるかを考えた事もないほどに幸福だった日々。過ぎ去ってしまいもう取り戻せない日々の一幕に過ぎないのだから。

 今では六花の記憶の中に残るそれらは、もう六花の許には戻ってこない。幸せな日々も、当主だった母も、母が好んでいた椿の木々たちも。


 さて現状に話を戻そう。色事に疎い六花ではあったが、流石に眼前の妖狐が自分に片恋を抱いている事は解ってしまった。だからなのだろう、在りし日の一幕を思い出してしまったのは。


「付き合ってくれと言っても……野柴よぉ。お前は妖狐だろ? だったら妖狐の女子をカノジョにしようとかとか思わないのか? クラスにだって妖狐の女子なら六、七人はいるだろうに」


 言っている傍から、六花の脳裏にはクラスメイトとなった妖狐の少女たちの姿が浮かんでは消える。集団生活と仲間の和を好む妖狐らしい、概ね大人しくて気立ての良さそうな狐娘ばかりだった。まぁ宮坂京子とかいう半妖の女狐は例外ではあるのだが。

 見れば野柴とてそんなに粗暴そうな感じの狐ではない。自分よりも同族の娘らの方がよほど彼女には相応しいのではないか。六花はそのように思っていたのだ。


「同族の方が良いと仰るなんて……やっぱり梅園さんはお嬢様、なんですよね?」

「なっ……」


 疑問と確信を織り交ぜた野柴の物言いに、六花は柳眉を寄せてたじろいだ。昨日の自己紹介でも、六花はおのれの出自については特に言及していない。せいぜい叔父夫婦とその子供らと共に暮らしていると言った位である。だというのに、目の前の少年は六花の出自を言い当てようとしているではないか。翠眼を大きく見開いていると、野柴は無邪気な笑みと共に言い添えた。


「梅園さん。やんごとない貴族の方たちほど、で恋愛とか結婚とかをしたいって思うって昔から相場が決まってるっす。でも……俺ら庶民妖怪はね、気が合えば違う種族であってもくっついちゃうんですよ。この学園にはそんなカップルもいるし、それこそ半妖だって学園にはわんさかいるんすよ。うちのクラスだったら宮坂さんがそうっすね」


 野柴の言葉には一理ある。クルル、と猫のように喉を鳴らしながら六花は静かにそう思っていた。付き合うならば雷獣の男。自分と互角の力量か、それ以上の力を持っていれば言う事は無い。狐狸のような別種の妖怪はもちろんのこと、人間の男もお呼びではない。六花の中にはそうした恋愛観があった。だがそれは、ある意味母から受け継いだ思想である事には変わりはない。

 翻って叔父である三國はどうだろうか。彼は純血の雷獣であったが、鵺の月華と結婚し、二人の子を設けていた。確かに別種同士の夫婦ではある。もっとも、鵺と雷獣は近縁種であるし、二人もその辺りは特段気にしてはいなかったが。

 しまった、と六花は奥歯を噛み締めた。庶民妖怪であるはずの叔父の許で暮らしていたにもかかわらず、その辺りに意識を向けていなかったとは。

 ともあれ、野柴を恋人にするつもりはない。それだけは伝えるつもりだった。断って恨まれるだとか、そう言った考えはない。よしんば逆上して野柴が襲い掛かって来たとしても、六花であればどうにでもなる。


「まぁ雑談はこれくらいにしてだな、そろそろ本題に入ろうか」


 はい……六花の言葉に野柴が短く応じる。妖狐と言うのは何ともしおらしい生き物なのだろうか。これではまるで羊のようではないか。

 ため息をつきつつも、六花は言葉を紡いだ。


「野柴。あんたはアタシに恋心だか何だかを抱いていて、だからアタシをモノにしたいと思っている。違うか?」

「そんなっ、梅園さん。お嬢様を……女の子をモノにするだなんて……そんな野蛮な言い方はないっすよ。カノジョになって欲しいって思ってるだけっす。それが早すぎたら友達でも構わないっす」

「友達にしろカノジョにしろ、逝きつく先は同じだろ?」


 六花はそう言って小首をかしげ、様子を窺った。野柴の瞳に映る六花の姿は、果たしてどのような物なのか。そんな詮無い考えが脳裏をふっとよぎった。


「――断る。アタシからの返答は以上だ」

「そんなっ……」


 野柴はかすれた声で呟き、大きく目を見開いている。どうして……理由を探ろうとする心もとない声が、野柴の口からまろび出ていた。

 このまま立ち去るのも酷という物かもしれない。仏心を抱いた六花は、僅かに表情を緩めて続けた。


「理由を知りたいかい? 野柴。それは初めからあんたも知ってたんじゃないかい。知ってるんだろ、本当はアタシが貴族のお嬢様だって事をな」

「…………」


 首を垂れた野柴はもはや何も言わなかった。王族に平伏する庶民のような姿を、編入生であり外様である六花に見せているのだ。

 強い男で無ければ、そして何処までも付いていく、それこそおのれと共に地獄の果てまで憑いて逝けるような相手で無ければつがいとして受け入れるつもりはない。色恋に疎い六花であるが、それこそが彼女の恋愛観だった。それだけは譲れない。


「アタシの素性はさておきだな。アタシ自身、闘いと血の纏わり憑くような暮らしに身を置いているような物なんだよ。アタシの夫、アタシのつがいになる男はな、そんなアタシに臆せず付いて行けるような奴でないとって思ってる。なぁに、その間にアタシが欲しくなれば、力づくで奪っても構わない。それだけ強いって事なんだからさぁ……そんときはそいつに身を委ねてやるよ」


 それだけの強さと覚悟があんたにはあるか。野柴を見下ろしながら六花は問うた。


「愛する女の道行きを何処まで付いて行く事の出来る覚悟。手に入れると決めたものは、たとえ何であれ――権力、地位、そして女だよ――手に入れるという気概と強さ。アタシが男に求めるのはそう言う事だ。

 そして野柴よ。あんたにはまだそれがないと思っている」


 野柴は再び顔を上げていた。だが何を言えばいいのか判らないと言った様子で、ただただ六花の顔を仰ぎ見ているだけだった。

 野柴は確かに、六花の眼鏡にかなうような少年ではなかった。だが――だからと言って粗末に扱うつもりはなかった。


「しかし……アタシに直接申し出た胆力は認めてやるよ。今のあんたを恋人にするつもりは無い。だけど、アタシの傍にいたければ傍にいても良いんだぜ。それこそ、友達としてな」

「ありがとう……ありがとうございます梅園さん」

「何、アタシはあんたを振ったんだぞ。なのになんで平伏するんだ。良いから頭を上げな。端くれとはいえあんたも妖怪だろ。そんな、易々と頭を下げるんじゃないよ」


 恋愛感情は抜きにして友達と言う関係でもやぶさかではない。好意と畏敬の念を野柴に抱かれてしまった六花であるが……まぁ良い結果になったと思う事にしていた。恨んだり腹を立てたりしたのならば相応の対処があるだろう。だが野柴の様子を見ればその必要もなさそうだ。

 それに、六花はまだこのあやかし学園に通学し始めてから二日しか経っていない。学園になれた生徒、それも同級生と親しくなれば、学園の内情を掴むのも早いだろう。

 そのように考えを巡らせていた六花は、自分たちの一連のやり取りが、多くの生徒に見られていた事に改めて気づいたのだった。

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