第13話 稲妻のごとし噂の広まり

 野柴珠彦の一世一代の告白劇が終わった丁度その頃。半妖で男装を嗜む狐娘の宮坂京子は、南棟にある部室で優雅にティータイムを楽しんでいる最中だった。

 部室にいるのは文芸部の活動があるからに他ならない。風紀委員の活動に勤しむあまり幽霊部員になってしまった京子であるが、それでも節目の折には部活に顔を出さねばならない。彼女はそう思っていたのだ。往時のように、もはや創作への意欲が無かったとしても。

 部室の空気は二分されていた。宮坂京子を受け入れ傅く雰囲気と、彼女から距離を置き、半ば無視しながらも自分たちの活動を進める雰囲気である。ちなみに後者は文芸部の大多数である。宮坂京子の同級生のみならず先輩も存在しており、要は変貌する前の彼女を知っている面々と言う事だ。一方、仔犬のように京子の傍に侍り、まめまめしく傅こうとする女生徒たちは文芸部員ですらない。外様であるはずの彼女らは、宮坂京子目当てでここにいるのだ。美少年と言っても遜色のない美貌と、それでいて無垢な乙女を脅かすような雄の獣性を持ち合わせはしない。いつわりの美少年たる宮坂君に彼女らは心酔していたと言っても過言では無かろう。

 断っておくが、宮坂京子は女子たちを魅了したり操ったりしているつもりは特に無い。妖狐だからとて皆が皆そんな力を使えるわけでは無い。よしんば使えるとしても、京子はその能力に頼るつもりはなかった。

 だからおのれの許にやってくる少女たちは、純粋に宮坂京子を慕い、心酔している者たちばかりなのだ。同年代の……或いは年下の少女たちに傅かれるようになる事が当たり前と感じるようになったのはいつの事だろうか。

 別に京子は彼女らを利用するつもりはない。ただ、自分を慕って集まって来るには、彼女らを護らねばとも思っていた――獣性丸出しのオスたちや、それに文字通り尻尾を振って媚びるメスたちから。

 そんな訳で、大勢の少女たちで構成されるこの部室には、独特の不思議な空気が醸成されつつあった。奇しくも文芸部が女子のみの部活であり、更には宮坂京子目当てでやって来る者たちもまた、少女たちばかりだったからだ。


「宮坂様! た、た、大変なのだっ……!」


 丁度その時、一人の少女が息を弾ませながら京子の許に駆け寄ってきた。余程慌てているのか、スカートの背後では太い縞模様の尻尾がブルンブルンと揺れている。愛嬌のある、何処となくたぬき顔の少女は、実は妖怪化したアライグマだったのだ。中等部に所属しているので、宮坂京子の後輩にあたるのは言うまでもない。


「どうしたんだい」


 黒々とした瞳でアライグマ少女を見つめながら、京子が静かに呼びかける。彼女の落ち着き払った様子や冷静さは、アライグマ少女の動揺ぶりのために一層際立ち、京子をより優雅に魅せていた。

 それはさておき、アライグマ少女は丸い瞳をくりくりと動かし、やおら口を開いたのだ。


「あのっ! スケバンの雷獣高校生が、妖狐の男子とくっついているのを見ちゃったのだ!」

「何だって……!」


 ここで宮坂京子の表情が一変した。その姿は私以外も見ていたのだ、スケバン雷獣はとっても高飛車だったけどカッコよかったのだ……のだのだと語り続けるアライグマ少女の言葉は、もう京子は聞いていなかった。半ば彼女を押しのけるような形で部室の窓辺に向かっていたのだ。南棟の窓は中庭に面している。しかも部室は三階に位置するから、中庭の様子ははっきりと俯瞰できるのだ。

 窓辺から下界を見下ろした京子は、眼下に広がる光景を目の当たりにして思わず息をのんだ。

 スケバン雷獣こと梅園六花の姿を見つけ出すのは容易かった。様々な毛並みの獣妖怪がいると言えども、輝くような銀髪は嫌でも目立つからだ。アライグマ少女の言う通り、六花の傍には一人の男性生徒が侍っている。相手が妖狐の少年である事は、ズボンの先からふんわりと伸びる尻尾を見れば明らかだ。狐色のふさふさした二尾を、彼は具えていたのだから。

 そしてその少年には、宮坂京子も見覚えがあった。


「野柴君……どうして……」


 窓枠に添えた右手がかすかに震える。京子の口から漏れ出たのは、意外にも弱弱しく儚げな、少女そのものの声だったのだ。裏切られた――梅園六花に寄り添いながら中庭を闊歩する野柴を見、そんな感情が何故か沸き上がって来ていた。

 野柴珠彦の事は京子も良く知っていた。それどころではない。中等部でも二度ばかり同じクラスになっていたくらいなのだ。その時――まだ京子が何者も疑わぬ少女だった時は、無邪気に彼の事を友達だと思っていた。あの頃の野柴は大きな仔狐のような物だったから。活発で、遊び好きで、それでいて色恋には無縁。今でもそんな少年だったのだと京子は勝手に思っていたのだ。

 瞳を動かしながら、今一度中庭を睥睨する。六花と野柴は連れ立って中庭を立ち去ろうとしていた所だった。六花の面にも野柴の面にも、晴れやかな笑顔が浮かんでいる。

 野柴が六花を自分の女にしたとは思えなかった。あの雷獣娘は、生半可な事では屈服しないはずだ。力も強いしそれ以上に意志の強そうな女だった。まだ顔を合わせて間がないものの、京子とてそれ位は看破していたのだ。

 であれば結論は一つである。六花が野柴を自分の男にしたという事であろう。


「新任の鳥塚先生に飽き足らず、純真だったはずの野柴君まで誑かすとは……」

「わわわっ、宮坂様が焦ってるのだ! これは学園のピンチなのだ」

「ラス子ちゃーん。まだ宮坂君は何も言ってないのさ。ラス子ちゃんが早とちりして、明後日の方向に進んじゃった事もたくさんあったんだからさぁ、ここは落ち着いて様子を見ようよぅ」


 泥棒猫のメス猫が。喉元までせり上がって来ていた言葉を、幸いにして京子は口にする事は無かった。彼女の背後で女子生徒ら――もちろん京子を慕っている少女たちである――が、言葉を交わすのが聞こえていたからである。

 何だ、君たちか。心配していたんだね……普段通りの優しげな笑みを浮かべながら、京子はアライグマとフェネック妖狐の少女の方をゆるゆると向いた。


「あの雷獣娘については君たちは何も心配しなくて良いんだよ。幸か不幸か、彼女と僕は同じクラスなんだ……ふふふっ、あの娘が何か仕出かしたなら、直々に僕が手を下す事にするよ。風紀委員としてね」


 二人の少女は何か言いたげに互いに目配せをしていたが、京子に対して何か言う事はついぞ無かった。

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