第10話 妖怪たちの恋愛事情

 朝のショートホームルームはサクッと終わってしまった。昨日の朝とは異なり、誰かが遅れて教室に入ってきたり、それについて別の誰かが糾弾したりするようなアクシデントは一切起きなかったためだ。

 普通の人間に純血の妖怪。そして両者の血を受け継ぐ半妖。生まれも種族もてんでバラバラな生徒たちは、しかし化け狸である今宮先生と、人間であるトリニキが運営するホームルームの内容に大人しく耳を傾けていた。

 その中に梅園六花や宮坂京子がいたのは言うまでもない。六花の方はトリニキと目が合うと笑顔――スケバンらしからぬ、茶目っ気たっぷりの可愛らしい笑顔だった――を向けたのだが、ただそれだけだった。

 平和に物事が過ぎていったから僥倖。そう言いたかったトリニキであるが、素直にそう言い切れない状況でもあったのだ。

 その要員たる白い封筒を指先で摘まみながら、トリニキは静かにため息をついた。妖狐である野柴少年がしたためたラブレターである。もちろんトリニキとてこれをずっと保持しておくつもりはない。と言うかショートホームルームの間に、彼を呼びつけて返しておこうと思っていたくらいだ。だがショートホームルーム自体が滞りなく終わってしまい、その暇をトリニキは見出す事が出来なかったのだ。

 もちろんこれは、担任である今宮先生や、他の生徒たちを責める案件ではない。トリニキの呑気さや迂闊さこそを責めるべきだろう。


「ふーむ」


 脇に置いた封筒を眺めつつ、トリニキはゆっくりと息を漏らした。本業であるテストの答え合わせに着手し始めたからである。入学式・進学式は昨日終わったばかりなのだが、高等部の生徒らは一年生から三年生まで学力テストが控えていたのだ。

 僕が高校生だった時は、入学式が始まって数日はもうちょっとまったりしていたはずだけれど。そんな事を考えても詮無い話である。郷に入っては郷に従え。生徒らとは立場が違うと言えども、その格言をトリニキはもちろん知っているのだから。

 そしてこの学力テストは、編入生である梅園六花も受けているはずだ。スケバンとして振舞い、昨晩も釘バットを振るっていた彼女の学力たるやいかなるものなのか。トリニキはほんの少し好奇心を抱いてもいた。

 鳥塚先生。おのれに呼びかける声を聞き取ったトリニキは、思わず赤ペンの動きを止めた。顔を上げて周囲に視線を彷徨わせる。声の主はすぐに見つかった。金髪の妖狐たる米田先生だった。

 トリニキは少しだけ居住まいを正し、米田先生に頭を下げた。梅園六花や宮坂京子の事を教えてくれたという事もあり、トリニキは彼女に敬意を払っていたのだ。

 さてその米田先生の視線は、トリニキが脇に置いた封筒に向けられていた。


「これってもしかして……」

「うちのクラスの生徒がしたためたラブレターらしいんですよ」


 米田先生が何か言い終える前に、トリニキは封筒の正体を明かしていた。早口ながらも声のトーンは落とした。慌ててはいたものの、あんまり大事にすべきではないという理性がトリニキの中できちんと働いたのである。

 あらあらまぁまぁ。品の良いご婦人、特にマダムのような声を上げて、米田さんは片頬に手を添えていた。若々しい見た目にはそぐわない動きではあるのだが、何故だか彼女の動きはごく自然なものに見える。


「そうなのね。もう春だしちょっと浮かれちゃう子もいるものね」

「良いんですか米田先生?」


 米田先生は、生徒がラブレターをしたためていた事について特に強く言及する素振りは見せなかった。その事にむしろトリニキの方がうろたえたのだった。今度は声を抑えきれずに、何事かと思った教師たちがこちらを振り向いている。

 だが、それすら気にならない程だった。何せ米田先生は、宮坂京子がああなった理由についてトリニキに教えてくれた張本人だったのだから。


「表向きは不純異性交遊は――まぁ不純同性交友でも同じですが――学園の方では取り締まっておりますわ。ですが、完全に恋愛を禁じている訳ではありません。あくまでも両者の合意があり、尚且つ節度を保った関係であるならば不健全でも何でもありませんからね」


 そう言って米田先生は、トリニキに向かって笑みを作った。ごく自然な笑顔の筈なのに、愁いを覆い隠すような作り笑いに見えてならなかった。

 その後トリニキと米田先生は、生徒らの、妖怪と人間と入り乱れた学園内での恋愛模様について意見交換を行った。厳密には、トリニキは自身の学生たちのあるべき恋愛観やかつて自身が学生だった時の恋愛状況を開示し、その上で米田先生から学園内での状況を教えてもらうという物であったのだけれど。

 結果としてトリニキが知り得たのは、妖怪たちの恋愛も概ね人間と変わらない物であるという事だった。要するに気になった相手にそれとなくアプローチし、受け入れられたら交際するという、ごくごくシンプルな物である。現代の風潮に従って生きている事が多い妖怪たちであるが、しかしだからこそなのか、こうして敢えてラブレターをしたためる者も多いのだそうだ。とはいえその辺りは、人間も大差ない所ではないか。そのようにトリニキは思っていた。と言うのも、電子書籍元年の狂騒とその顛末をトリニキは知っているからだ。

 ヘーセー二十二年だか二十三年に、この国には電子書籍元年とやらが海の向こうからやって来だのだ。やれ紙の書籍は絶滅するだの全てが電子化されるだの言われたのだが、それから十二年余り経った今日においても、紙の書籍は絶滅していない。もちろん電子書籍は少しずつ浸透してはいる。それでもまだ紙の書籍を愛用する者が多いのも現状だ。そもそも前職の予備校でも現職のこの学園でも、紙に印字された教科書を用い、ペーパーテストを実施しているではないか。


 それはさておき米田先生の話には、当たり前だが興味深い話も一点あった。

 妖怪たちの間では、異種族恋愛・異種族婚もしばしば発生するという点である。まぁ考えてみれば当たり前の話だ。それこそ半妖の宮坂京子などは、妖狐と人間の異種族婚の果てに生じた存在なのだから。更に言えば、雷獣である梅園六花の叔父は、雷獣ではなく鵺を妻とし、二人の子供を設けているではないか。

 無論これらは妖怪たちの妖力のなせる業である。それでも分類学的に別種の生物同士の間に健康な子が生まれ、彼らも子孫を残せる。その事をトリニキが感慨深く感じてしまうのは、やはり彼が生物学を学んだ身であるからだろう。

 ともあれ今回は妖狐の少年が雷獣の少女に懸想したのだ。それ以上でも以下でもない。


「米田先生。実はこのラブレター、梅園さんにあてたものらしいんですよ」


 そうだったんですね。裏返した封筒の名前を見た米田先生は、それこそ少女のような弾んだ声を上げていた。


「梅園さんってば、とっても元気のある娘でみんなびっくりしていたってお話でしたけれど、そんな彼女に片想いしちゃった子もいるんですね」

「ま、まぁ……そういう事なんでしょうね」


 米田先生の言葉に、トリニキは何故か言葉を詰まらせてしまった。梅園六花の笑顔が脳裏に浮かび、さも自分が彼女に恋をしているような錯覚を抱いたからであろう。教師たる自分が、易々と女生徒に恋をしてはならない事は解っているというのに。

 だが――男として、梅園六花に惹かれる気持ちは解らなくもなかった。愛くるしい風貌だからというわけでは無い。日頃はいっそ闊達で粗暴にすら見えるかもしれない。だが、ふとした拍子に無邪気な笑みや物憂げな様子を見せるのだ。その部分そのギャップに野柴珠彦も魅了されてしまったのだろうか。

 次の休み時間に野柴君がやってきて、ラブレターを回収すれば良いのに。トリニキは取り留めも無くそんな事を考えていたのだった。

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