第9話 ラブレターはアオハルの至り

「アクシロヨ、アクシロヨォォォ!」


 トリニキの朝は早い。同居しているセキセイインコのマリン(オス)が早起きだからだ。そして起きた瞬間から、マリンはこうして人語をまねて、トリニキが起床するのを待ち続ける。天然のアラームと化したインコの出来上がりだ。

 ちなみにインコ類は仲間の行動を真似するという習性が本能的に備わっている。トリニキがマリンの飼い主として認められているかは定かではないが……少なくともマリンからは仲間判定が下っている事だけは明らかである。


「おはよう、マリン。今日も元気だなぁ」

「サッキカラオレノコト、チラチラミテタダロ」


 マリンの元気そのものの声を聴き、トリニキは顔をほころばせた。人間の声とは明らかに違う、ボイチェンを通したかのような声音と、独特のウネウネとした動きは人を笑いにいざなう物なのだ。ましてやトリニキはインコ類が好きなのだから尚更だろう。


「マリンってば相変わらずだなぁ……」


 そう言いながらもトリニキは手際よくマリンの世話を始めた。餌や水の交換の間にさり気なく放鳥し、マリンを部屋の中で遊ばせる。マリンは床の上をトコトコと歩き、室内に異常が無いか確認を怠らない。あまり飛ばないが、鳥類が飛び回るという事がそもそも偏見だったりするのだ。

(本当は餌の交換や籠の掃除を行っている時に放鳥したら危険なので、視聴者の皆様は真似をしないように! Byトリニキ)


「さ、マリン。籠に戻ろうね」

「ヤダ! ヤダヤダ小生ヤダァ!」


 全く何処でこんな言葉を覚えてしまったのだろうか……トリニキはちょっとため息をつきつつも、マリンが籠に戻るのを待った。と言ってもマリンも心得ている物で、ちょっとごねただけで数分後には鳥籠の中に納まってくれた。

 もしかしたら、トリニキとの会話を楽しんでいるのかもしれない。そんな事を思いながら、トリニキは今度は自分の支度を進めたのだった。


 教師としてのトリニキの朝も早い。朝のSHRは八時三十分から始まるが、生徒たちとてその時間ギリギリに到着していれば良いなどと言うわけでは無い。少なくとも五分前・十分前には登校し、着席している事が求められていた。もっとも、部活の朝練がある生徒はもっと前に登校していても何一つおかしくはない。

 ましてやトリニキは生徒ではなくて教師である。教室に集まる生徒たちを指導し、生物を含む理科の授業を行わなければならない身分であった。従って相応の準備は必要なのである。

 昨日は雷獣娘が遅刻していたのだが、実はトリニキも職場にやって来るのがやや遅かったのだと一人で反省していた。やはり予備校講師のような考えでは通用しないのだ。あの夜エナジードリンクを飲みながら、トリニキはそのように思っていた。

 ちなみに今回トリニキが学園に到着したのは七時十五分ごろだった。それでも生徒たちの声がしたので面食らってしまった。だがすぐに運動部が朝練をしていたのだと思い直した。運動部が朝早くから練習を行う事は、文化部に所属していたトリニキも一応は知っている。


「それでは鳥塚先生。そろそろ僕たちも教室に向かいましょうか」

「そうですね」


 午前八時十五分。職員室での打ち合わせが終わり、担任を持つ教師たちはそれぞれ担任のクラスへと向かった(もちろん、教師の中には生徒指導という名目で校門の前に立つ教師もいたのだが)主たる担任である今宮先生が、副担任で未だ教師生活に目を白黒させているであろうトリニキに声をかける形で。

 さてそのようにして二人仲良く(?)教室へと向かって行った。ホームルームの時間が近づいている事もあり、廊下でも生徒たちの姿を見かける。彼ら彼女らは先生、先生と言いながら挨拶を返してくれた。何とも素直で可愛らしい子供たちである。

 トリニキはそのように若干心を和ませていたのだが……階段の裏手にある下駄箱の辺りで、不穏に動く影を発見してしまった。

 今宮先生。トリニキが声をかけると、今宮先生は不思議そうに首を傾げた。


「ちょっと気になる物を見かけました。僕は後で向かいますのでどうぞお先に」

「う、うん……」


 戸惑いながらも階段を上がっていく今宮先生を一瞥し、トリニキは早足気味に下駄箱の影へと向かって行った。廊下は走らないという鉄の掟は、もちろん教師にも適用されるのだ。

 トリニキが抱いた違和感の正体は、一人の男子生徒だった。厳密に言えばトリニキが受け持つ一年二組に所属する、野柴珠彦と言う妖狐の少年だ。

 さっきから彼はここで何をしていたのだろう……そう思いながらも、トリニキは野柴に声をかける事にした。濃いオレンジ色の尻尾は硬直したように伸びていたが、目の前に集中しているらしく、トリニキの存在に気付いていない。勘の鋭い妖狐らしからぬ振る舞いだった。


「野柴君おはよう」

「ひゃうっ!」


 ゆったりとした口調で話しかけてみたのだが、野柴は驚いて奇妙な声を上げてしまった。その声の大きさと高さは思いがけぬものであり、周囲の生徒も一瞬こちらを振り返るほどである。

 一体何に驚いているんだか……トリニキはそれでも笑みを浮かべながら言い足した。


「ごめんごめん。驚かせるつもりなんて無かったんだよ。別に取って喰う訳じゃああるまいし……と言うか妖狐の野柴君が人間の僕に驚くなんて」

「そ、そんな、先生だって急にやって来るんですから……」


 口早に野柴は言うと、そのまま立ち去ってしまった。トリニキの足許に、はがき大の紙を落としたまま。


「あんなに慌ててしまって……一体どうしたんだか」


 野柴が去っていった方を一瞥しながらも、トリニキは落とし物を拾った。それは一通の封筒だった。会社員が使うような細長い茶封筒などではない。長さと幅の差がより少ない、所謂洋形の封筒だった。封筒は白く、いっそ青白く見える程でもあった。

 これは後で野柴に届けないとな。しかしこれは一体何だろうか。ゆっくりと裏表を観察しながらトリニキは落とし物の正体を推測していた。中身を取り出してみる事は流石にしない。それは個人情報保護の観点からよろしくないからだ。

 だがすぐに、トリニキは落とし物の正体が何であるか察してしまった。事もあろうにそれはのだ。もちろん男子が用意したものであるから、ハートマークのシールが貼りつけられているなどと言った気恥ずかしい装飾が成されている訳ではない。しかし表側には「梅園六花様へ」とかなりはっきりと記されていたし、裏側にはご丁寧に野柴珠彦と差出人(?)のフルネームまで記載されていた。

 下駄箱にラブレターを仕込むとはたまげたなぁ。しかしこれ、どうすればええんや? しばしトリニキは周囲の事を忘れ、手元にあるブツをどうするべきか悩んでしまった。

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