第35話 トリニキ、事情を知る

 牧野の言葉通り、塩原玉緒は班員たちの傍にいた。そして彼は、牧野に手を引かれてやって来たトリニキを見るや否やすぐに駆け寄ってきたのだ。トリニキがやって来たことを喜んで近付いたという感じではない。むしろトリニキの出現に驚き当惑し、それでも語るべき事があると意を決して近付いたと言った風情だった。

 塩原玉緒の態度については思う所はあったが、トリニキとしては都合のいい展開でもあった。元より玉緒に事情を聞こうと思っていたからだ。

 厳密に言えば、玉緒は京子が作り出した分身であり正式な妖怪とは言い難い。だがあやかし学園当局では彼の事を妖怪の職員として扱っている。普通の妖怪と同じく彼自身の意志でもって動き、尚且つ当局と対立していないからだ。

 トリニキ個人の意見としても、塩原玉緒の事は信頼していた。初対面で見られた胡散臭い言動もなりを潜め、中々に真面目な青年であると解ったためである。


「あ、鳥塚先生」

「塩原君!」


 手を引いていた牧野(彼女は案外力が強かった。妖怪ならばよくある事だ)から解放されたトリニキは、そのまま玉緒の両肩を掴んでいた。いささか性急な動きだっただろうか。指越しに伝わる肩の筋肉やその奥にあるしっかりとした骨格を感じながら、トリニキは思った。

 玉緒は抵抗するでもなく大人しくじっとしていた。その顔は正面を向いていたが、目を泳がせていた。戸惑い、どうにかトリニキの追及をやり過ごそうとしている事は明らかだった。


「梅園さんと宮坂さんが班行動から外れてしまったんだ。塩原君、君は二人が何処に行ったのか、何をしているのか知ってるはずだ。君が知っている事を、俺に教えてくれないか」


 肩を揺すらんばかりの勢いでもってトリニキは質問を投げかけていた。

 正直に言うと、妙におどおどした様子の塩原玉緒に対して、トリニキはかすかな苛立ちを感じていた。何でお前が臆病者みたいな顔をしているんだ。お前は胡散臭くて人を喰ったような態度を取っていたが、実力もあって堂々としていたんじゃあないか、と。

 胡散臭さと得体の知れなさを身にまとう、不遜ながらも堂々とした青年。トリニキの中にある塩原玉緒のイメージはまさにそうした物だった。

 そしてそのイメージは、彼と初めて出会った時に感じたものが、未だに心に刷り込まれてもいるのだ。今でこそ穏和な好青年として振舞っている玉緒であるが、トリニキの脳裏にはあの春の夜の光景がくっきりとこびりついている――グロテスクにまくれ上がった八重椿の花を弄び、妖しく微笑むその姿が。

 トリニキは確かに、塩原玉緒の事を得体の知れない相手だと思っていた。だが心の奥底で、そんな彼に畏敬の念を抱き、更に強者であると見做してある種の期待を抱いていたのかもしれない。

 そうでなければ、しおらしく戸惑う玉緒に対して苛立ちなど感じはしなかっただろうから。


「せ、先生……」


 トリニキに呼びかける玉緒の声は、思いがけぬほど弱々しい物だった。トリニキに肩を掴まれているのは潤沢な妖力を持つ若妖怪でも無ければ、不敵に胡散臭い九尾の末裔でもない。ただただ未熟な若者でしかなかった。

 この時になって、トリニキはようやく自分が苛立ちを抱えていた事に気付いたのだった。よく見れば、他の生徒たちの視線もトリニキに注がれていた。それでも何も言わなかったのは、もしかしたらトリニキの気迫に圧されていたからなのかもしれない。

 生徒たちの視線に気づいたトリニキは、少しばかり落ち着きを取り戻した。教師として、大人として落ち着いた振る舞いを行うべきだと思い直したのだ。

 玉緒の肩から手を離し、少し距離を置きつつトリニキは問いかけた。早口にまくしたてないように、単語の一つ一つを意識しながら言葉を紡ぐ。

 

「あのね塩原君。僕も……先生も学園に来てから日が浅いんだけど、それでも梅園さんや宮坂さんが、校外学習の場で勝手な行動をするとは思っていないんだ。

 それに塩原君。君は何のかんの言いつつも宮坂さんの分身で、だからこそ宮坂さんが何処に向かったのか、何をしようとしているのかは解っていると先生は思っているんだ。

 だから教えてくれないかな。宮坂さんが何処で何をしようとしているのか、をね。もちろん、梅園さんが何をしているのかも一緒に解れば良いんだけど」


 ゆっくりとした口調で言い終え、それからトリニキは玉緒を見やる。玉緒は僅かに表情をこわばらせていたが、観念したように息を吐いて口を開いた。


「……ご主人様は、いえ宮坂さんは梅園さんを助け出すために班行動から離脱したんです。どうやら、梅園さんがあの悪妖怪ではないかと退魔師たちに誤解されたようでしてね」


 畜生、なんてこった……! 玉緒の口から事情を聞き出したトリニキは、思わず心の中で毒づいていた。もちろん、周囲にいた女子生徒らもこの話に驚いたのは言うまでも無かろう。

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