第38話 トリニキと悪妖怪、それぞれ企む
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梅園六花は、先程遭遇した塩原玉緒の分身(本体ではなく分身だと言ったのは、宮坂京子だった。六花には違いは解らないが、京子には解るのだろう)と共に班員たちが集まる所へと急行していた、厳密に言えば、巨大狐と化した分身の背中に京子と六花でまたがる形だ。更に言えば、六花は六花で本来の姿に戻った上で飛んでいこうとしたのだが、京子に捕まり、腕の中に抱えられてしまったのだ。
雷獣としての六花の本来の姿は、実はそれほど大きいとは言い難い。体重的にも見た目の大きさ的にも柴犬とほとんど変わらない。確かに、普段は人間の少女の姿に擬態しており、ライオンのごとき巨体を誇る獣形態も持ち合わせている。しかしそれらは変化術によるものに過ぎないのだ。
従って、中型犬サイズの雷獣姿に戻った六花を、人間が抱える事も物理的には可能なのだ。もちろん、六花が暴れずに大人しくしていれば、の話であるが。不本意とは思いつつも、六花も京子の腕の中で大人しくしていたのだ。
「悪妖怪が僕たちのすぐ傍に現れて、腹立たしく思って気が立っているのは僕にも解るよ」
六花のピンと立ち上がった耳の片方に、京子が静かにささやきかける。風を切る音が通り過ぎつつも、彼女の声はしっかりと聞き取れた。六花はだから頷き、もう一方の耳を動かして聞こえている事をアピールしてやった。
「だけど、だからこそ少しでも体力を温存した方が良いと、僕は思っているんだ。賀茂さんたちにも疑われて追い回されて……それだけでも梅園さんだって疲れたんじゃない、のっ」
問いかける京子の声に、奇妙な抑揚が付いた。分身狐の身体が大きく揺れ、またがっていた京子がバランスを崩しかけたためだった。前方につんのめり、ついで抱えていた六花の身体を圧迫しかけた。と言っても、人間に近い身体の京子(と言っても質量は六花の五倍以上はあるのだが)がつんのめったくらいで押しつぶされる程六花もやわではないのだが。
「ごめんね梅園さん。大丈夫だった?」
「ん、アタシは平気さ。そんな易々と潰れちまうほどアタシはヤワじゃねぇよ」
「それなら良かった……」
言いながら、京子は六花のフワフワした毛を撫でていた。時に王子様のようだと称される京子であるが、六花の毛並みを撫でる彼女は、子供のような無邪気な笑みを見せていた。
「……それにしても梅園さん。君ってばフワフワの見た目のわりに、案外筋肉質なんだね。フワフワの下はカッチカチだからびっくりしちゃった」
「そりゃあそうだとも。なんてったってアタシは雷獣なんだからさ!」
※
再び視点はトリニキに戻る。正体を現した悪妖怪・芦屋川葉鳥とにらみ合う形になっていた。葉鳥はすぐには動かなかった。彼女は周囲を睥睨し、余裕たっぷりの笑みをトリニキたちに向けていたのだ。
「何処かの退魔師連中が、うちの可愛い可愛い弟分をしょっ引いてしもうたらしいんや。でも、よくよく考えたらうちは縁もゆかりもないJKに擬態しとったからな。その娘の姿をちょいと借りて、それで弟分の解放を交渉しようかと思ってたんやけど……言うても中々世の中上手くいかへんなぁ」
「そんなのは交渉じゃない! 単に人質を取って恐喝しようとしていただけだろう!」
いけしゃあしゃあと語る葉鳥に対し、トリニキは思わず吠えていた。
もちろん、彼女の身勝手な言動に怒りを覚えていた。しかし、教師として腹を立てていたのか、退魔師に近い人間として憤っていたのか、そもそも人間として道理にもとる事だとして激していたのか、トリニキにはよく解らなかった。
生徒らがおののいて恐怖の声を上げたり、塩原玉緒がトリニキをいさめる声が遠くから聞こえる。彼らは異変と危険を感じて葉鳥から遠ざかっているのだろう。それならば安心だと、トリニキは思い始めていた。
にやにやと笑う葉鳥に対し、トリニキはだから一歩、二歩と歩を進めていた。
「いや……人質を取るのが戦略というのならばそれでも良い。だがそれならば、この俺を人質にしろ。他の生徒らには手を出すな。それなら構わんよ」
トリニキもまた、満面の笑みを浮かべながら葉鳥を見つめ直した。
自分が人質になる。このトリニキの発言は、何も自己犠牲のみで成り立った発言ではなかった。要するに、トリニキ自身も策略を持っていて、それゆえの発言だったのだ。ともあれ、葉鳥を確実に仕留めるために、敢えて葉鳥の人質になる事を選んだだけである。
だが当の葉鳥は笑みを消し、真顔でトリニキの様子を窺っている。もしかして、懐に忍ばせた護符――使い魔召喚の札の存在に気付いたのだろうか。
「それにしてもなぁ、先生って言うのは実に御大層なお仕事やなぁ。有事の折には、そないにしておのが身を挺して生徒を護ろうとするとは」
葉鳥はただ、ニヤニヤしながら言葉を吐き出しただけだった。お前なんぞ歯牙にかけていない。そもそも何故お前のいう事に従わねばならないのだ。その目にはしっかりとそう書かれているのをトリニキは感じ取ってしまった。
「だけどな、そないして言うたからってはいそうですかと従うとは――」
「――そうですよ鳥塚先生。いくら教師だからと言っても、やみくもにおのれの身を犠牲にする事ばかり考えてもならないのです」
凛とした声が鼓膜を震わせる。かと思うと、対面にいた葉鳥が唐突に横っ跳びを行ったのだ。何かが飛んできて、その何かをかわそうとしたかのように。
葉鳥が先程までいた所には、茶色い大蛇のような物がのたうっていた。いや、大蛇と思ったのは無造作に放たれた荒縄だった。その先端には細長く両端が尖った石が括りつけられており、また護符の類も貼り付けられている。妖怪を捉えるための魔道具の一種である事は明らかだった。
トリニキはゆっくりと振り返り、荒縄の先を視線で辿った。
その先にいるのは、仁王立ちする米田先生その妖だったのだ。
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