第39話 悪妖怪との闘いと驚きの結末

 教師だからと言っておのれの身を犠牲にしてはならない。そう言い放ってはいたものの、米田先生が臨戦態勢にあるのは明らかだった。

 もしかしたら、今回の校外学習も動きやすいジャージ姿で米田先生は参加していたが、こういった有事に備えていたが故の事なのかもしれない。トリニキは唐突にそんな事を思った。国語教師である米田先生は、教壇に立つときにはブラウスにパンツスーツ姿でキメていた事がほとんどだからだ。国語よりももっと教える事が得意そうな分野はありそうな気はするが……そこにツッコミを入れるのは野暮という物だろう。


「鳥塚先生! ぼうっとしていないで塩原君と一緒に生徒たちの安全を確保してください! あなたも術者の一族の者ですから、お解りですよね!」


 米田先生の口から飛び出したのは、叱責めいた言葉だった。普段の、穏やかな口調とはかけ離れている事に多少の驚きを感じたが、それでもトリニキは動いた。彼女の言葉には、有無を言わせぬ力が、聞いた者を物理的に動かすような力が宿っているように感じられた。妖狐はヒトを操る術も会得しているというから、大方そう言ったものなのかもしれない。

 尻尾が三本に増えた(芦屋川葉鳥がホールドしていて分身は、尻尾が基だったらしい)玉緒は、米田さんの許に戻ろうとしている。いち妖狐として加勢するつもりなのだろう。

 だが、米田先生はそれにも気付き、即座に手で制した。


「塩原君も、鳥塚先生のサポートをしてあげて。あなたは闘うには荷が重いわ」

「ですが……」

「――あなたが傷ついて倒れたら、あなたのあるじである宮坂さんがどうなるのかしら」


 米田先生の言葉に、玉緒はハッとしたような表情を浮かべた。

 あたかも独立した妖怪のように振舞っている玉緒であるが、その正体は宮坂京子の分身であり、彼女のもう一つの人格と言っても良い存在だった。トリニキも詳しい事は解らないが、塩原玉緒と宮坂京子は、精神的にリンクしている部分があるという。だから塩原玉緒を無理やり消そうとしたら、本体である京子が精神的な打撃を受ける危険があるらしいのだ。

 米田先生はきっとその事を懸念しており、だからこそ玉緒の加勢を断ったのだろう。そして玉緒も、未練げな表情を浮かべながらも納得したらしかった。

 トリニキはひとまず防護のための護符をばらまいた。それらは葉鳥や米田先生ではなく、生徒たちの方に向かって飛んでいき、彼ら彼女らの制服やかばんなどに貼り付いていく。玉緒も玉緒でそれを見届け、何がしかの術を展開しようとしていた。彼の事だから結界術の類であろう。

 そんな風に生徒らを誘導しつつトリニキたちが離れていくと、米田先生は改めて葉鳥に向き直る。やはり彼女が手にしているのは縛妖索だ。九尾の妖狐をも捕縛したという物騒な魔道具の名を冠してはいるものの、もちろん本物ではない。ただ、妖怪が抵抗できなくなる術などが織り込まれている事には変わりないのだが。


「それにしても、芦屋川家の御令嬢ともあろう方が、連続強盗魔の首謀者だったとは……世の流れとは哀しい物ですわね」


 遠く離れていても、米田先生の何処か哀しげな声ははっきりと聞こえてきた。鵺というのは今よりも昔に栄えた妖怪であると言われているが、まさかあの葉鳥が良家の令嬢だったとは。トリニキも少し驚いてしまった。


「はん、そんな古臭い話を持ち出してどないせいっちゅうねん。それ言うたら、あんたかて米田家のお嬢様やったんやろう? 動物上がりの野良畜生やったくせに、それこそええ身分ってやつやなぁ!」


 もっとも、米田先生の訴えは、悪妖怪に堕ちてしまった芦屋川葉鳥の心には届かなかったようだが。米田先生がまなじりを釣り上げ、縛妖索を繰り出す瞬間を、トリニキははっきりと目の当たりにしたのだった。


 トリニキは生徒らと共に避難してはいたが、ただただ逃げていた訳では無い。すなわち、他の教師や妖怪警察に連絡も入れていたのだ。葉鳥は今、米田先生と闘ってはいる。しかしその闘いが終わった時に、スムーズに彼女を捕縛してもらえるように、と。

 実のところ、トリニキは米田先生が勝利を収めるであろう事を信じて疑わなかった。というよりも、最悪の事態を考えなかっただけだ。考えたとしても、そこから目を逸らしていたと言っても構わないかもしれない。

 だがそれは、トリニキだけの問題ではなかった。生徒たちだって米田先生が勝つであろう事を信じていたし、塩原玉緒だって同じだった。もしかしたら、京子のもう一つの人格である玉緒は、京子と同じく米田先生に恋心を抱いていたのかもしれない。その件についてはまた別の話になるだろうが、トリニキはそう思いもしていたのだ。

 ともあれ、灰高が手配していた警備兵やら地元の妖怪警察やらが集まってきた頃には、二人の戦闘は既に終わりを迎えていた。

 だが――勝敗の結果はトリニキの望んだものとは真逆だった。要するに、芦屋川葉鳥の方が勝利してしまったのだ。米田先生は本来の獣姿に戻り、ご丁寧に縛妖索で確保された状態で葉鳥に抱えられている。


「そんなっ」

「米田先生、嘘でしょ……!」

「鳥塚先生、あんたも退魔師の能力を持ってるんですから、闘えばよかったんじゃないですか」


 驚き、当惑、落胆、そして罵声。それらの声が渦巻く中で、葉鳥は声高に笑った。


「おうおうおう、公権力の狗共もぎょうさん集まってくれたみたいですなぁ。市民の血税でもってご苦労な事ですわ。ま、大方うちを捕まえに来たんでっしゃろ。だけどなぁ、うちが何を腕に抱えているか、その節穴の目でもちゃんと見えてますやろ」


 狐姿ながらも米田先生には意識があった。葉鳥の言葉に呼応して、もごもごと暴れてはいる。しかしマズルの部分も縛られているため、言葉は出てこなかった。


「無駄な動きをしたら、この女狐の首をへし折るからな! それでもええんやったらかかって来んかいドサンピン共が!」


 妖質を取った葉鳥を前に、トリニキたちもタジタジとなってしまった。相手は連続強盗魔である。強盗と言いつつもその道中で人間や妖怪をも襲撃し暴行している経歴もあるという。下手に動けば米田先生の生命が危ないのではないか……

 そんな時、トリニキたちの間を黒い風が吹き込んでいった。


散々他妖ひとの姿を借りて好き放題やった挙句、妖質ひとじちを取って良い気になってるとは、いい歳こいた年増のオバハンの癖に何こっぱずかしい事をやってるんだよ!」

「ぎみゃっ、うぎゅうっ!」


 怒りを孕んだ少女の声が聞こえたかと思うと、葉鳥は奇妙な声をあげてそのまま仰向けに倒れ込んだ。倒れ込む前後にまばゆく光る物を見た気がするが、いかんせん展開が早くて何が起きたのか定かではなかった。

 葉鳥はいつの間にか変化を解き、倒れ込んだ場所で伸びていた。白い鵺という事であり、その姿は純白のレッサーパンダかネコ科動物に似ていた。その上には変化を解いた六花が、葉鳥を抑え込むように乗っかっている。手足や尻尾の先からは絶え間なく放電していた。雷撃をまとった体当たりを受けた事で、葉鳥をノックダウンさせたらしかった。


「鳥塚センセ! アタシの喧嘩っ早さも時には役立つだろ?」


 雷撃をまとったまま微笑み、尻尾を揺らす六花に対し、トリニキはただ微苦笑を浮かべるだけだった。

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