第15話 浮足立ちたるホームルーム

 梅園六花の弟妹達と世話係の妖怪メイドとの出会い。朝から思いがけない出来事に直面したトリニキであったが、学園の門をくぐるとその心も幾分落ち着いた。そして、下駄箱を見た時に昨日の事を思い出したのである。

 妖狐の少年である野柴珠彦が、梅園六花にラブレターをしたためたという事を。あの後どうなったのかトリニキは知らない。生徒らの答案の採点のために職員室に缶詰め状態になっていたからだ。もちろん、その時は生徒らも職員室には立ち入り禁止になっている訳であり、物理的に生徒と教師のやり取りが出来ないようになっていたのだ。

 もっとも、部活動は行っていたらしく、吹奏楽部の演奏の練習や演劇部の発声練習、或いは運動部の掛け声などはトリニキにもバッチリと聞こえていた。テストの当日にも部活動を行うというのはトリニキの学生時代とは微妙に異なっていた気もする。もしかしたら、教職員に妖怪がいるので、生徒の職員室への侵入対策がばっちり出来ていただけなのかもしれないが。

 それはそうと、テストの採点は中々に興味深い物であった。点数を含めた答案の記載内容で人となりが解る。予備校講師時代にトリニキはそのようなポリシーを培っていたのだが、それでもやはり生徒らの個性が浮き彫りになったのをはっきりと感じた。

 特筆すべきは、やはり梅園六花の成績であろう。流石に全教科高得点の優等生、と言うわけでは無い。百点満点中七十点台の科目もあるにはあった。しかし得意分野であろう数学は九十点台、理科に至っては一か所だけミスしたという好成績である。理系科目の成績が良いというのは理系女子としての特徴ともいえるかもしれない。しかし一番成績の悪い科目もそれなりの点数を確保しているのだから恐れ入る。少なくとも、自身が高校生だった頃よりも賢いのではないかとトリニキは思い始めていた。

――いやはや、メイドさんを従える程のお嬢様なだけじゃなくて、一定水準の学力を持つ才媛だったとは。見た目も可愛らしいから、そりゃあまぁ男子生徒も興味を持つよなぁ……スケバンなのが玉に瑕なのかもだけど。

 トリニキは頬を撫でながら、そんな風に梅園六花の事を思っていた。叔父譲りの暴れん坊だと思っていたらとんでもない。偏りがあるとはいえクラス内でも上位の学力を持つ才媛、しかも美貌と生まれの良さにさえ恵まれた存在でもある。

 これが世間で言う所のハイスペック美少女なのか……でも何か違うよな……トリニキは割と自由に六花の事についてあれこれと考察を巡らせていたのだ。

 と言うか飯綱と名乗ったメイドにそれとなくラブレター騒動について問い合わせれば良かったのかもしれない。今更ではあるが、そんな考えもトリニキの脳裏を通り過ぎていったのである。


 副担任と言う身分が楽な身分なのか否か、トリニキには未だに判断が着かなかった。今日からオリエンテーリングも交えつつ授業が始まるのだが、それでも朝のホームルームには今宮先生と共に教壇に立たねばならなかった。と言っても、教壇のど真ん中は今宮先生に譲り、トリニキは副担任らしく教室の隅っこにいるのが常なのだが。

 もちろん、ぼんやりと立っているだけではなくて、生徒らの様子に目を光らせておかねばならないのだが。場合によってはトリニキであっても教師として生徒に注意をせねばならないシーンもあるだろう。幸いまだそんなシーンには至ってはいないが、今宮先生に声を掛けられ、生徒らにひとことふたこと言わねばならない状況になった事はあるにはある。

 さて今回も今宮先生に業務連絡を任せ、トリニキはもっぱら生徒らの様子に注目していた。今や講師ではなく教師なのだから、生徒らをきちんと観察せねばならない。若教師らしくトリニキはそんな風に思っていたのだ。

 羊のように大人しい生徒らばかりである事は前日、前々日とそう変わりはない。しかし何処か浮足立っているような、そわそわしているような気配が全体から伝わってきた。

 レクリエーションを兼ねた遠足は四月下旬に予定されているから、その件で生徒らがそわそわしているとは考えづらい。

 そんな中で、トリニキが特に注意を払って観察していたのは、梅園六花と野柴珠彦の両名だった。それもこれも、野柴珠彦が梅園六花にラブレターを渡そうとした事を知っているからに他ならない。きっと珠彦はラブレターを渡した後、六花に対して何がしかの接触を図っているであろうから。

 やや身構えて二人の様子を観察していたトリニキであったが、珠彦も六花も特に変化はなかった。妙に落ち込んでいるだとか、表情が暗いと言った事は無い。珠彦が六花に無体を働いただとか、逆に六花が珠彦に何かをしでかしたという気配は無さそうだ。強いて言うならば、珠彦の方がやや表情が明るく、六花は少女ながらも泰然とした様子で今宮先生の話を聞いている、と言った所であろうか。

 ちなみに宮坂京子もまた真面目に話を聞いている生徒の一人であったが、六花や珠彦に時折視線を向け、含み笑いを浮かべているように見えた。あと、前列の生徒の一人がそわそわした様子で何度もトリニキや今宮先生に視線を向けていたのがやや印象的だった事くらいだろうか。


「……とまぁ、先生からの連絡は以上です。皆さんの方から何か連絡したい事はありませんか」


 その間にもホームルームは粛々と進み、今宮先生は〆の言葉として生徒らに質問を投げかけていた。

 生徒らはすぐに挙手して発言するなどと言う事は無かった。ただそれでも、今宮先生の言葉が湖に投げ込んだ石のような役目を果たしてはいたのだが。浮足立った生徒らの間で、さざ波のようなやり取りがにわかに浮かんだのである。


「あのさ、今宮先生に話すのが恥ずかしかったら、先生に話しても大丈夫だから。だから何かあったら遠慮なく言って欲しいんだ」


 引っ込み思案そうな生徒らに対し、トリニキの方からも提案を促す。するとどうだろう。最前列にいた生徒が、トリニキをしっかり見据えて口を開いたのだ。彼は確か相沢と言うはずだった。六花や珠彦のように妖怪ではなく、さりとて京子のように妖怪でもない。トリニキと同じく人間の生徒だったはずだ。


「……お昼の、いいえ一時間目の休み時間とかでも良いんです。ちょっと、うちのクラスの事で気になった事があって、それで相談したい事があるんです……」


 高校生にしてはやや丁寧な口調でもって、相沢はそう言ったのだった。

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