第31話 妖怪娘は矜持を魅せる

 そうだとも! 短く叫ぶように応じたのは梅園六花だった。彼女の二尾はピンと立ち上がり、小刻みにゆらゆらと揺れている。興奮し、或いは喜んでいる事はその横顔を見れば明らかだった。

 よくよく六花を見ていると、感情のうねりでその二尾が動く事がままあった。尻尾の動きによる感情表現は、猫のそれと酷似している。雷獣と言う種族全体の傾向なのか、六花が猫に似た姿であるからなのかは定かではないが。

 にわかに忍び笑いが漏れるのが聞こえた。トリニキはその音に驚き、自分でも大げさだと思う程に反応してしまった。笑いを漏らしたのは萩尾丸だったのだ。


「貴女の保護者である三國君の事から存じていたけれど。梅園さん、あなたも立派に育ちましたね。三國君が養女としてあなたを引き取った時は、まだほんの仔猫だったのに……」


 見下ろすような萩尾丸の眼差しが、六花の身体に絡みついているのはトリニキにも明らかだった。六花が柳眉を寄せ、不愉快そうに萩尾丸を睨みつけている。彼女とて年頃の少女だ。彼女の反応は至極当然な物であるとトリニキは思っていた。


「何だいオッサン。アタシをじろじろ眺めまわしやがって。やらしい事を考えてるんじゃあなねぇだろうな」


 梅園さん……! 驚愕と恐怖に彩られた声がにわかに上がる。宮坂京子と今宮先生がほぼ同時に彼女に呼びかけたのだ。生真面目な京子はさておき、呑気な今宮先生まで声を上げるとは相当である。

 ところが、萩尾丸はけろりとした表情で受け流すだけだった。六花の暴言ギリギリの言葉も、今宮先生たちの驚きの声すらも。


「やだなぁ梅園さん。私が女の子などを相手に邪念を抱くだなんて思っているのかい? 年頃の娘さんがそう言うのを気にするのはまぁ自然な事なんだけど……むしろ僕は鳥塚先生の方が好みなんだけど」

「とばっちりー!」


 理事長や生徒の御前である事も忘れ、トリニキはついつい声を上げてしまった。人由来の天狗は男好きの個体が多いという話はトリニキも知っている。だがそれでも戸惑ってしまう物は戸惑ってしまう物なのだ。

 まぁその冗談は脇に置きましょう。理事長室に流れる微妙な空気を、今宮先生の一言が払拭してくれた。


「軽く説明しました通り、梅園さんと宮坂さんの両名は互いに決闘を望んでおります。その理由について正当性があるのかどうか。それを浜野宮理事長と萩尾丸様にご判断いただきたく思っている次第です」

「……二人が決闘するに値する理由がある。既に君たちの中ではそんな考えが組み上がっているのではないでしょうか」


 今まで無言を貫いていた浜野宮理事長がここで口を開いた。


「鳥塚先生のみならず今宮先生も生徒が決闘を持ち掛けるシーンに出くわした事は少ないかと思います。ですが、それでも決闘を行うに値しないと思ったのであれば、わざわざ私どもの前に出向く事は無かったのではありませんか。

 決闘を行うべきではないと判断を下すのは、教師単体でも可能なのですから」


 さて。一呼吸置いた浜野宮理事長の視線は、今は梅園六花に向けられていた。


「それでは諸君。何故君たちは決闘を望んでいるのか。それを聞かせていただきましょうか。そうですね……まずは梅園さんからどうぞ」


 浜野宮理事長に促されるや否や、六花の口から小さな息が漏れた。老齢の鴉天狗を前に、彼女は堂々とした態度を崩す事は無い。むしろそれどころか、翠の瞳は燐光のごとき輝きを灯しているではないか。


「決闘を求める理由。それはこの学園生活で安寧を勝ち取るためさ」

「安寧を求めるために決闘を選ぶ。そう言いたいんですね?」


 浜野宮理事長の問いかけには、いくばくかの皮肉が込められているように思ったのはトリニキの考えすぎであろうか。そして当の六花は、皮肉など意に介さないと言わんばかりに歯を見せて笑った。獰猛な獣の笑顔である。


「平和や安寧を得るためには血みどろの争いも辞さない時がある。その事は理事長や萩尾丸さんの方がご存じじゃあないのかい?」

「梅園さん……」


 京子やトリニキのたじろぐ声すらも気にせずに、六花は歌うように続ける。


「あ、もちろん宮坂さんをボコボコに打ちのめしたいって言ってるわけじゃないんで安心してほしいんだ。だが彼女はアタシの事が気に入らないみたいでね。それでわざわざ手下を使って様子を窺わせたりしているんだよ」


 浜野宮理事長も萩尾丸すらも、六花の主張に黙って耳を傾けるだけだった。唯一動揺の色を見せたのは宮坂京子だった。白皙の面は一層蒼ざめ、しかし興奮のためか額や首筋に蒼白い静脈が浮き上がっている。


「初めのうちはさ、単に向こうが目の敵にしていたとしても別に良いかなって思ったんだよ。だけど今は違う。そろそろケリをつけないといけないと思ってるんだよ。そこで決闘制度があると知ったから、渡りに船だと思ってるくらいさ」

「梅園さん。貴女の主張はよく解りましたよ」


 浜野宮理事長は静かに告げた。獣性丸出しの笑みを浮かべる六花に対し、落ち着いた様子を崩さないままに。


「萩尾丸さんではありませんが、私も貴女の養父である三國さんの事を思い出しましたよ。ええ、彼は獣の流儀を体現するような妖怪でしたからね。彼の事を敬愛する貴女ならば、その考えをそっくり継承していてもおかしくはありますまい」


 そこまで言うと、浜野宮理事長の視線は宮坂京子に向けられた。


「それでは宮坂さん。今度は貴女の意見をお聞かせ願えますか」

「は、い……」


 たどたどしく返答する京子に対し、浜野宮理事長はさも優しげな笑みを見せて言い添えた。


「実を言えば、宮坂さんが何故決闘制度を利用する事になったのか。そここそが私の知りたい所でもあるのです。私は貴女自身だけではなく、貴女の兄君たちや父上の事も存じていますからね。

 それに宮坂さん。貴女自身は模範的な優等生であると、教師たちから聞き及んでおりました。ですから――」

「模範的な優等生、ですか」


 理事長の言葉を半ば遮る形で京子が口を開いた。当惑してはいるものの、その声はもう震えてなどはいない。


「優等生であるならば、羊のように大人しく学園生活を送るはずだと、理事長は仰りたいのでしょうか。そもそも、私が模範的な優等生と言うのはいささか過大評価に過ぎると思いますが」


 京子の物言いは流暢な物であったが、傍らで聞いているトリニキは彼女の物言いにいくばくかの違和感を抱いていた。もっとも、その違和感を考察する暇などは無かったのだが。


「ですがそうですね……私が梅園さんとの決闘を望んだ動機は、それこそ優等生のそれになるのかもしれません。私が決闘を望むのは、学園の秩序を護るためなのですから」

「へぇ……風紀委員の宮坂さんは、そんな事を思っていたんだな」


 京子の主張に反応したのは梅園六花だった。彼女は今や両手をポケットに突っ込み、半ば目をすがめながら京子を見つめている。銀色の二尾は蛇のようにうねっていたが、やがて先端の方で山なりにカーブを描き、そこで動きを止めた。


「編入生で外様のアタシとやり合う事で学園の秩序が保たれるってか。ははっ、アタシもそれだけ影響力があるとは思わなかったよ」

「スケバンだなんて野蛮な事をしている挙句、貴女は男の人にまで色目を使っているだろう。それで影響力が無いだなんてすっとぼけないで欲しいな」

「何だ。事ここに来て男の話になるのかい? ああそうか、野柴君の事で――」

「はいはい二人とも。理事長の御前だから今ここで争うのはやめようね!」


 顔を突き合わせて口論を始めようとした二人をいさめたのは、文字通り外様である萩尾丸だった。彼はわざわざ二人に呼びかける前に、手を叩いて注意を惹いたのだ。喧嘩をする猫に水をぶっかけるように。


「二人の意見は解りました。梅園さんに宮坂さん。続きは決闘制度で行うようにしましょうか」


 目を丸くする二人の美少女妖怪に対し、浜野宮理事長は目を細めながら続けた。


「ええ、ええ。私はあなた方の決闘を正当な物だと認めたのですよ」


 浜野宮理事長の口調は穏やかで、何処となく軽ささえ具えていた。しかしそれでも、二人の決闘を認めるという言葉には他ならなかった。

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