第16話 狐娘は用心深い

 さて再び六花たちに視点を戻そう。米田先生の不穏な発言やその後の教師陣の動きは確かに気になっていた。だがそれでも、観光地を巡るべく既にカラスマ公園を後にしていた所だったのだ。

 実は何処へ向かうかは特に考えていない。そこまでがっつり考えるべし、と先生たちも言ってはいなかった。もしかすると、臨機応変に行き先を考えるという事こそがある意味校外学習の狙いなのかもしれない。

 とはいえ、六花もクドクドとあれこれ考えていた訳ではない。別に何処かに行けだとか、何処かに向かうべきと命じられているようなイベントでは無いのだ。であれば気の向くままに流れに任せるのも乙であろうと六花は思っていた。

 特に今は、小規模なグループとはいえ団体行動の真っ最中である。しかも隣にはしっかり者として定評のある宮坂京子もいるではないか。彼女が何かと取りまとめ、行き先などを決めてくれるだろう。

 そんな風に考えていたからこそ、六花は気軽な様子で京子の方を振り仰いだのだ。


「なぁ宮坂さん。是非ともここに向かいたいとかさ、そんなのってある? もう決まったのかな?」

「え……」


 六花の問いかけに対し、京子は不明瞭な声で応じるだけだった。瞳を丸く見開いて、京子は六花をまじまじと見つめている。その瞳には驚きの色が濃く滲んでいた。

 或いは自分が間の抜けた表情を浮かべていると思ったのだろう(別に、六花はそんな事は思ってはいないのだが)。京子はふいに顔を赤らめて、一旦六花から視線を外した。こちらに視線を戻した時には、気まずそうな表情の上に取り澄ましたものを貼り付けていたが。


「ああ、ごめんね梅園さん。少し考え事をしていてぼんやりしていたんだ。あはは、僕とした事がうっかりしていたよ」


 宮坂さんって本当に真面目な娘だよな。軽い口調ながらも半ば恥じ入るように告げる京子の姿を見やりながら六花は思った。

 それに実は、京子がただぼんやりしているだけではない事にも、六花は半ば気付いてもいたのだ。きっと彼女は、米田先生が口にした事についてあれこれ考えており、それをぼんやりしていたと表現したのだろう。米田先生に会って事情を聞き出した位だとか、そもそも何か妙な事が起こらないか。そんな考えや懸念が京子の心の中にあるのかもしれない。


「だーいじょうぶだって。誰だって、ぼんやりしたり物思いにふけったりする事はあるんだからさ。あれだろ、米田先生の事でも考えてたんだろう?」

「梅園さん!」


 京子の小さな叫びの後に、他の班員たちも目配せしながら口を開く。子羊のごとき大人しく妖怪的に無力な彼女ら(というか人間も混ざっているのだが)もまた、米田先生が口にした不審者云々の話について若干不安に思っているらしい。

 もっとも、話題はそれだけではなく京子が米田先生に想いを寄せている事についても多少は言及していたが。京子の片想いは、外様だったはずの六花でも容易に察せられるほどである。他の生徒らには周知の事実であってもやはりおかしくは無かろう。


「ああごめん。そう言う意味じゃないってば。そう言えば少し前に、米田先生に会ってあの話の事について詳しく聞きたいって言ってたもんな。米田先生の事って、十中八九その事だろ」

「そりゃそうさ。米田先生はリスクマネジメントとか護身術の心得がおありだけど、無闇に僕たちを不安がらせるような妖じゃあないから……」


 米田先生は護身術どころかバリバリのアタッカーの気配すらするのだが。そんな事をふと思った六花ではあったが、ここは空気を読んで指摘はしなかった。


「宮坂さん。そんなに不安がらなくても良いじゃないか。米田先生があんな話をしたからと言って、必ずアタシらが怪しい連中にぶつかるという訳でもないし。

 それにまぁ、変なのに出くわしたら、その時はその時でアタシがどうにかしてやるよ。その間に、宮坂さんは他の連中を連れて逃げれば良いから、さ」

「そう言う問題じゃあないでしょ、梅園さん」


 皆を安心させようと微笑んだ六花であったが、効果は芳しくなかった。その証拠に、京子などは湿っぽい声で六花を嗜めているではないか。

 京子の口調は概ね中性的な物であるが、時々こうして少女らしい物言いをする事もある。どうやら少女らしい口調の方が素であるらしい。


「梅園さんが強い事は、私も、じゃなくて僕も十二分に知ってるよ。だけど、君ひとりでどうにかするなんて、そんな……」

「ああ、全くもってご主人様の言うとおりだよ。梅園さん、君の強さなどは、所詮同年代で抜きんでている程度に過ぎないんだからさ」


 京子が全て言い切らぬうちに、青年の声が少し離れた所で聞こえてきた。のみならず、声の主も六花たちから数メートルばかり先に佇んでいる。

 慇懃で不遜な物言いをした青年は塩原玉緒その妖だった。学園内を巡回する時のように、ワイシャツとズボン姿である。若干洒落た衣裳にも見えなくはないが。

 宮坂京子の分身でもあり、彼女をあるじと仰ぐそいつは、しかし京子に対しても呆れたような表情を見せていた。


「ご主人様。何かあったらこの僕が対処するから、それで構わないでしょ。そもそも僕はに出来たような物なんだ。それに僕の存在も公になっているんだし、僕に頼っても構わないんだよ?」


 塩原玉緒の行動原理は京子の身に危険が及ばぬようにする事である。元より彼は京子の「おのれの身を護る忠実な相手が欲しい」という願望によって生み出されたと米田先生たちは推測していた。であれば、京子の身を護ろうとするのはごく自然な事である。

 但し、精神年齢(?)は塩原玉緒の方が京子よりもやや上であるらしく、彼がむしろ京子に進言する事も多いようなのだが。もしかすると、それは京子が末っ子で、歳の離れた兄がいるという事とも関連しているのかもしれない。

 ともあれ塩原玉緒の存在に、生徒らは少しだけざわついた。と言っても、驚いたのは急に姿を現したからにすぎず、彼を警戒する者はいなかった。若干胡散臭い雰囲気は醸し出してはいるが、塩原玉緒自身はまぁ好青年だからだ。そこは根は善良な京子と共通しているともいえるだろう。

 さて京子はというと、こちらも驚いたように目を瞬かせてはいた。だが何か思いついたらしく、晴れやかな笑みをやにわに浮かべた。


「そうだったね。僕はタマを頼りにしても良いし、タマは私が頼ってくれるのが嬉しいんだもんね。それじゃあ一つお願い事をしようかな。とりあえず米田先生が今どこにいらっしゃるか探してよ。それならできるでしょ?」


 幼子のようにはしゃぎながら告げる京子に対し、塩原玉緒はしかし首を振るだけだった。


「頼み事ってそんな事ですか。米田先生の事なら、ご自身でお探しすれば良いでしょうに……ご主人様、僕は怪しいやつがいないかどうか探しに行きますね」


 玉緒はそう言って背を向けると、その場からふっと姿を消した。分身の妖狐らしい不思議な消え方である。

 京子はさも残念そうな表情で、塩原玉緒が消えた方角を眺めていた。しかし六花には、彼もまた米田先生に多少気兼ねしているのではないか。そんな風に思えてならなかったのだ。

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