第28話 のんびりとした午後の一幕

「大丈夫なんすか梅園さん。昨夜倒れて、それで今朝は病院に通ってたって話だけれど」

「だーいじょうぶだよ。ほら、アタシをよく見てみな。元気そのものじゃないか」


 昼休み。六花の傍らにはクラスメイトである妖怪たちが何人かそれとなく集まっていた。一番六花の傍にいて、気遣わしげに声をかけてきたのはやはり野柴である。

 野柴の目は恐ろしいほど澄み切っている。純粋に、素直に六花の様子を案じているであろう事は明らかだった。

 確かに心配されるのは無理からぬ話でもある。実際問題、六花も午前中までは元気がなかったのだ。頭はぼんやりしていたし、胃の腑の中にも重苦しい物がわだかまっているような、そんな気分だった。

 それはやはり、塩原玉緒との遭遇による精神的ショックのためだったのだ。情けない話ではあるが。塩原玉緒は何かをしたわけでは無い。それでも、彼の妖気が六花の身体にへばりついていると知って、気が動転してしまったのだ。

 しかし、今はそうしたショックや気だるい気分から既に脱出していた。鳥塚先生たちとの話し合いを経て、塩原玉緒がおのれに危害を加えないであろう事を知ったからだ。のみならず、宮坂京子とぶつからねばならない事も確認できたわけであるし。

 そんな訳で、六花の気力は普段通りに蘇っていたのである。妖怪とは精神的な部分で体調や強さが左右される事があるので、その辺りはやはりおろそかには出来ない。

 ただ一つ困る事があった。持参した弁当で放課後まで足りるかどうか、である。塩原玉緒の脅威にさらされたと思い込んでいた六花は、朝方も食欲が落ちていたのだ。そう言う状況であったから、美咲が持たせてくれた弁当も、普段よりもあっさりとした軽めの物だった。

 だが今は気力が五体を巡り、元気そのものに戻っていた。もちろん食欲も戻っている。

 足りなければ後で購買のパンでも買ってあてにしよう。それまでに売り切れていたらその時はその時だ。

 野柴や天狗少女の愛宕の様子をちらと眺めてから、六花は箸を進めたのだった。


『第九十二条 決闘法

 本法は本学園にて認められている決闘法に関する法規である。なお、下記の法規を破った場合処罰が下る。処罰に関しては補記を参照のこと。

一、決闘は双方の合意によってのみ許可される。

 肉体的、精神的並びに金銭的な脅迫によってなされたものは無効とする。

二、決闘を希望する生徒は、担任及び副担任に相談のこと。上記二名にて決闘の正当性が認められた場合にのみ、理事長並びに第三者による審議がなされる。

(以下、六法全書のごとき法規が二十六項目にわたって続いている)』


「決闘に関する法規、多すぎィ!」


 放課後。学園内にひっそりと建てられた書庫の入ったトリニキは、思わず声を上げてしまっていた。教師からは第二図書館とも呼ばれているこの場所は、実は生徒は立ち入りを許可されていないエリアでもあった。

 と言うよりも、教師の立ち入りさえも制限が掛かるような場所でもあったのだ。


「……どうされましたか?」


 三十分の時間制限にて入館していたトリニキの許に、狗賓天狗の女性が近づいて来た。神谷というこの女天狗は、浜野宮理事長の秘書兼第二図書館の司書を務めていた。もっとも、教師ではない彼女の事については、トリニキも先程知ったばかりなのであるが。


「あ、ああ。すみません神谷さん」


 間の抜けた声を出しつつも、トリニキは一も二もなく頭を下げた。神谷女史の地位もさることながら、彼女自身のオーラに対してもトリニキは平伏していたのだ。

 そもそも狗賓天狗は、天狗の中でも地位が低いという。それでも、鴉天狗にして大天狗と互角の力を持つ浜野宮氏の秘書の座を護っているのだ。凡百の狗賓天狗ではない事は明白な話だろう。


「実はですね、僕は決闘法について調べていたのです。校則みたいなものだろうかと思ったら、かなり事細かに法規が記されていたので、それで驚いてしまいまして」


 法学部出身であるならば、この法規を見ても驚かずに涼しい顔でいられるのだろうか。理学部出身のトリニキの脳裏に、そんな考えがふわりと浮かび上がった。

 ややあってから、神谷女史の片眉がピクリと動いた。


「鳥塚先生は決闘法についてお調べだったのですね」


 ええ。直截的な言葉にトリニキは素直に頷いた。自分もまた、包み隠さずに直截的に話さねばならない。そう思いながら。


「もしかすると、僕が受け持っている生徒たちが決闘を行うのかもしれないのです」

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