第4話 男装妖狐の誕生譚

 男装の麗人・宮坂京子の過去を話す。そう言った米田先生がまず用意したのは、一枚のポートレートであった。普通の写真よりも倍ほどの大きさがあるそれは、クラスの集合写真だ。二年前、要は宮坂京子が中学二年の頃の写真だという。

 米田先生は、中学二年から三年にかけて、宮坂京子の担任を受け持っていたらしい。中学教師が高校生の教鞭も受け持つのか……一瞬面食らったトリニキであるが、教員免許の仕組みを思い出して密かに納得していた。中学の教員免許を取得していれば、高校生も教える事が出来るのだ。


「宮坂さんはこの子ですわ」

「えっ……」


 米田先生が指さす「宮坂京子」の姿に、トリニキは思わず驚きの声を上げていた。二年前の宮坂京子の姿には、今の中性的で奇妙に蠱惑的な風貌は見当たらなかったからだ。もちろん顔つきなどには十分に面差しがあった。

 だが――写真に写る彼女はのだ。きちんと女物の制服を身にまとい、はにかんだような笑みは無邪気な少女のそれである。


「驚かれるのも無理はありません」


 トリニキの戸惑いを察したかのように米田さんが告げた。その声音はやはり昏かった。


「元々宮坂さんは……大人しくて物静かな女子生徒だったんです。特段自分が女性として産まれた事を疎むような事もありませんでしたし、その、男性についても……」


 米田先生は途中で言葉を濁した。それから、小さく喉を動かしてから意を決してその言葉を告げた。


「宮坂さんはしまったんです。中学二年の夏に降りかかったから」

「事件、ですか――」


 事件。米田先生の言葉にトリニキは思わず身構えた。余程の事があったのだろう。そう想像するには十二分に過ぎる物だった。

 米田先生は少し逡巡していたが、それでも意を決して言葉を紡ぎ始めた。


 妖狐、狐娘として振舞う宮坂京子であるが、実際には彼女は純血の妖狐ではなくて半妖だった。父は稲荷の眷属を務めた事もあるほどの優秀な妖狐であり、その父に人間の母が惚れこんで結婚したという事であったらしい。母である人物は若い頃の職業もあり、お洒落や身だしなみ、そして女らしく振舞う事に心を砕くような節が強かったという。また、妖狐を夫としているためなのか、三人の子供――宮坂京子は末娘であり、一回り以上年の離れた兄が二人もいた――がいるとは思えないほどに若々しくもあった。

 前述の通り、宮坂京子はむしろ内気で物静かな少女だった。しかしそれは、彼女の境遇を思えば特段おかしな事ではなかった。末っ子として二人の兄――彼らは兄と言うよりもむしろ第三、第四の保護者のように振舞っていた――に可愛がられていた事、一人娘として両親から扱われていたのだから。特に母親は、父親の容貌を受け継いだ京子を女と見做し、やはり女の子らしく育てようと腐心していたという。これは想像でも何でもなく、かつて京子が述懐していた事でもあった。元より母は女優を目指し、何より妖狐の美貌がある種の世渡りの武器になるのだ、と。

 そしてその母の言や教育方針を、宮坂京子は消極的ながらも受け入れていた。と言うよりも、末っ子で温順な気質だったがために、逆らうという考えそのものが無かったのかもしれない。今はもうそうした考察は詮無い物ではあるのだけれど。


 さてそんな宮坂京子であったが、事件が起きるまでは特段クラス内で問題を起こすような生徒ではなかった。同年代の生徒たちと接する事にはやや物怖じする節はあったものの、その穏やかな性格は積極的にトラブルを引き起こすようなものではもちろんない。

 そうそう目立つ生徒ではないが、趣味である執筆や詩の作成に力を入れる様な生徒だった。やや内気だったので交友関係は少なかったものの、それでも同じく大人しい生徒たちとは打ち解けていたようでもあった。むしろ教師に打ち解けて懐いていた節もあった。そうした意味でも、宮坂京子は人嫌いでもないし人見知りが強いわけでもなかった。また、自身が女性である事を疎んだりしていた訳でもなかったのだ。


 その宮坂京子に事件が降りかかったのは、中学二年の夏休みの事だった。部活のミーティングを終えて、学園を出て一人で帰宅しようとしていたその時に、事件は起きた。


「――宮坂さんは地元の若い男たちに攫われたのよ」

「そんな……」


 これまで流暢に語っていた米田先生は、一度言葉を詰まらせてから苦々しい口調でそう言った。トリニキは男の身ではあるものの、彼女の言葉に殴られたような衝撃を受けていた。宮坂京子の名誉のために米田先生は詳細は口にしてはいない。しかしトリニキとて子供ではないから、おおよその事は察しがついた。若い男が女性を……少女を拉致すると言ったら理由は大体定まって来る。だがそれにしても、妖怪の間でもそうした事があるなんて。


「犯人はやはり妖怪だったんですか」


 トリニキの問いに米田先生は頷いた。実行犯であった若者は下級の鬼や白猿、そして玃猿かくえんさえもいたそうだ。その面々を聞いてトリニキは思わず身震いをした。全てが全てと言う訳ではないが、いずれも女を攫う事で定評のある妖怪ばかりだと悟ったためだ。無論鬼や白猿や玃猿が全て、そうした犯罪行為に手を染めるわけではない。

 だが――宮坂京子を彼らが拉致したというのは……トリニキが蒼ざめながら思案に暮れていると、米田先生はかすかに笑みを見せながら言葉を続けた。


 幸いな事と言っていいのか、宮坂京子は拉致されたものの無事だった。着衣に乱れも無く……のちに検査を受けたのだがそこでも特に何もなかったという事であった。

 しかしながら、事件の全容を探るのは難航した。被害者である宮坂京子自身の心の傷を考慮し、踏み込んだ事を聞けなかったという事ももちろんある。だがそれ以上に、加害者であった妖怪たちへの取り調べが出来なかったという事が大きかった。

 事件が露呈し宮坂京子が保護された時、マトモに意識を保っていた加害者は一人としていなかった。現場の状況からして、宮坂京子が決死の反撃を行ったのであろうと思われたが……その件は正当防衛として処理されて明るみにはならなかった。

 加害者については、今も錯乱しサナトリウムから出られない者もいれば、意識が戻らずチューブに繋がれている者もいるという。とはいえ彼らは元々からして半グレグループに出入りしていたような輩であり、今回の件も自業自得であると見做されて顧みられることは少ないのだが。

 のちにその彼らに指示を出したのが、宮坂京子と同じクラスだった人間の少女であるという事が判明したのだった。大人しいのに男子たちに人気のある彼女が疎ましかった。半妖で血が穢れているという事を知らしめたかったのだ――妖狐に祟られるという妄想を抱き半ば錯乱しながら、彼女はそう述懐したのだった。


「――そう言う訳で、あの事件を機に宮坂さんは変わってしまったわ」

「そういう事だったんですね……」


 トリニキはゆったりとした口調で呟き、米田先生から聞いた事を脳内で反芻するのがやっとだった。少なくとも、あの事件より宮坂京子がおのれの女性性を、いっそ女性である事を疎むのが何故であるのかは解ってしまった。


「鳥塚先生。宮坂さんには気を付けてくださいね」


 宮坂京子について思いを馳せていたトリニキに対し、米田先生がはっきりと告げる。トリニキの身を案じるような、宮坂京子を憐れむような、複雑な表情だった。


「宮坂さんは自分が女性である事を疎み、そしてそれ以上に男性を憎んでいるはずです。もちろん鳥塚先生があの犯人と同じだとは申しませんし、彼女だってその事は解っているはずなのです。ですが……あの事件があってから彼女には九尾の末裔と親交を深めているという噂もありますし……」

「お気遣いありがとうございます」


 気を付けるべき生徒は雷獣娘だけではないみたいだな。トリニキはひとまずそう思うのがやっとだった。

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