第2話 編入生は雷獣娘

 一年二組の担任は、今宮と名乗る狸妖怪の男性だった。教員としてのキャリアを積んだベテランであるというそうだが、見た所穏和そうな好青年に見えた。

 或いはベテラン教師であるから、却って若く見えるのかもしれないとトリニキは密かに思った。教師と言うのは生徒と触れ合う事で若さを貰える事もあるらしいのだから。


 さてそんな今宮先生にカルガモよろしくくっつく形で一年二組の教室にトリニキは足を踏み入れることに相成った。生徒たちは着席し、入って来るトリニキたちにお行儀よく視線を向けていた。だからだろう、空席がやけに目立ってしまったのは。しかもその空席は教壇の端の列であり、前から数えた方が早い所に位置していたのだから。

 一体誰の席だろう……トリニキは思わず思案顔になってしまった。あの時米田先生はあれこれ教えてくれたのだが、不登校の生徒がいるという話は特にしていなかった。であれば体調不良か何かであろうか。

 新学期早々体調不良と言うのも何とも言えない物であるが、そうなっても致し方ない部分もあるだろうとトリニキは思っていた。春を迎えていると言えども、むしろ春だからこそ天候は不安定であるし寒暖差も激しい時がある。大人よりも神経が繊細な生徒たちであれば、微妙な気候の差で体調を崩す者もいてもおかしくは無かろう。

 もちろん、気候の変化で大人も体調を崩す場合はある訳だし。


「せんせーい。編入生の子はまだですかぁ?」


 そんな事を思っている丁度その時、生徒の一人が声を上げた。誰が休んでいるのだろう。そう思い始めていた瞬間にである。ナイスタイミングとしか言いようがなかった。

 そしてここで、今不在なのは編入生の梅園六花であるのだとはっきりとした。もしかしなくても、生徒たちの間では誰が欠席なのか解っていたのかもしれないが。或いは、編入生だからまず教師が彼女を迎え入れ、そして生徒たちに紹介するという段取りではないかと彼らは思っていたのかもしれない。

 トリニキが様子を窺うと今宮先生は困ったように眉根を寄せただけだった。


「梅園さん、だよね……彼女は通常通り登校すると親御さん、いや保護者の方から聞いていたんだけどね。ああでも、このままじゃあ彼女は初日からちこ……」


 遅刻になってしまう。今宮先生は全て言い切る事は出来なかった。教室の引き戸が乱暴に開けられ、闖入者が堂々と入り込んできたからだ。

 いや、闖入者などとはとんでもない話だろう。威風堂々と入ってきたのは制服に身を包んだ一人の少女、要はあやかし学園の生徒だったのだから。もっと言えば彼女こそが一年二組への編入生、雷獣娘の梅園六花なのだろう。

 今宮先生の言葉が途絶えた教室の中では、一瞬だけどよめきがほとばしり、それも間もなく静かになってしまった。梅園六花であろう少女は、ただ教室に入って来ただけだ。だがたったそれだけの事でその場の空気を掌握してしまったのである。

 それが彼女の意図する所であったのか、偶然の産物に過ぎないのかは定かではないが。

 これが雷獣の女の子か――副担任として教室にいるトリニキもまた、梅園六花の姿に気を取られた一人だった。雷獣は人間への関心が薄い種族であると言われている事もあり、その事がまた彼女への関心を向ける要因となっていた。

 しかし、梅園六花の容貌そのものもまた、人の目を惹くのに十二分すぎた。妖怪たちが共存する社会で生きているトリニキであるから、生徒が黒髪黒目でなくても今更驚いたりはしない。だがそれでも、所々金色や淡い水色に輝くような銀髪や明るい翠眼は余りにも特徴的だった。勝気そうな表情と癖のあるショートカットのためにボーイッシュな印象を抱くものの、概ね端麗な面立ちの美少女と呼んでも差支えは無かった。

 そしてセーラー服越しにも解るメリハリのある体型が、彼女は女であるという事をこれでもかと主張していた。豊かな胸を重たげもなく揺らしながら歩く彼女は、しかしおのれの抱える女性性に気付いていないようだったが。むしろ、鞭のように細長い二尾を自慢げに揺らし、おのれの強さを誇示しているかのようだった。学園に通う少女ながらも既に二尾。下手を打てば米田先生と互角かもしれないという事だ。

 さて梅園六花はと言うと、教師を差し置いて皆の注目を浴びている事すら気にも留めず、空いている席に腰を下ろした。傍らに放るようにしておかれた鞄が床に着地し、間抜けな音を立てている。


「梅園さん……だよね?」


 思わず質問を投げかけたトリニキに対し、六花は目をすがめつつこちらに視線を向けた。彼女の面に広がっていたのが笑顔であると気付くまでに、多少の時間を要したが。


「そうだよ先公。先公だからアタシの事だってきちんと把握しているかと思ったんだけどね……ま、この後自己紹介があるんだろ? その時にきちんと自己紹介するからさ」


 六花はそれから、呆れたようにため息をついた。


「遅刻でも何でも付けて貰っても構わない。だがその……アタシだって好き好んで遅刻した訳じゃあないんだよ。ちょっと向こうから絡んできたやつがいてな、それで遅れちまったんだよ……」


 絡まれたから登校するのが遅れてしまった。その言葉にトリニキと今宮先生は顔を見合わせた。梅園六花にまつわるきな臭い噂、という物が脳裏をよぎらなかったと言えば嘘になってしまう。

 だが着衣に乱れはないし、彼女が襲われて大変な目に遭ったという訳では無さそうだ。それにしてもどのように進めるべきなのだろう。今宮先生にそこはゆだねた方が良いのだろうか。


「梅園さんだったっけ。そんな、絡まれたって事を遅刻の免罪符にするのはどうかと思うけれど」


 少年めいた凛とした声がそう言ったのは、まさにトリニキが次の出方を窺っている丁度その時の事だった。

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