二匹は陽に焦れて

 陽の光を浴びる事が好きだった。何も考えず水面を泳ぐだけで満足できた。友人と何気ない会話をすることで自分は満たされていた。


 けれどそれは、二度と叶う事はなく、過ぎ去ってしまってしまった現実だ。望まぬ願いに手を伸ばしても、詮無きことだと頭は理解している。だが、本能がそれを求めていた。憑りつかれた様に、玄関の扉を手をかける。


「熱い……」

 僅かに開けた扉の隙間から、夕色の光が漏れる。その光を浴びた個所は、燃えるような痛みが広がる。だが、その痛みこそ待ちわびていた物だった。きっと扉の向こうには、眩い黄昏の空に陽が沈んでいる筈だ。扉を更に開けて終わらせようと、もう一歩踏み出す、その時だった。


「――待って」

 背後から同居人の声が響く。その声色にはどこか諦めの声色が混じっている事に、男は気が付いた。


「――まだ、行かないで」

 喉奥から絞り出すように、男の袖をつまみながら、同居人は男を止めた。

「……あぁ、そうだな……」

 掴んだ手は弱々しく、少し腕を動かせば簡単に振りほどけそうなほどの力だった。しかし、自分は彼女の為に吸血鬼に成ったのだった。その選択肢は失われ、扉は閉じた。

「――ごめんね」

 二匹の間に再び唾棄すべき暗闇の幕が下り、部屋ごと二匹を包み込んだ。



 日に日に強くなっていく自殺衝動、それを止めるべく男は専門家に罹った。そう、吸血鬼の医者に。

 

「それは『陽焦れ』だ。こんな短期間に、二人目ってどうなってんだ……」

「……詳しく聞かせてくれ」

 思ったよりも早く、自分の行動に説明が付きそうだった。


「単純な話、君は戻りたいんだよ――人間に」

「……頭ではそんなつもりは無いが、体はそう言ってるなら納得だ」

 その説明を聞いて、男は冷静に自己分析を行った。そんな理由があるなら自分の身に起こった様々な事に説明が付いた。だが、何故か身構えていた医者は拍子抜けした表情をしていた。

 

「取り乱さないのか? 珍しいな」

「暴れた奴でもいたのか?」

「いたんだよ……まぁ、アンタは後天的に吸血鬼に成った奴だから、変わってんのかもしれないな」

 確かに人から吸血鬼になった連中は、皆プライドが高く、行動を否定すると激昂する奴ばかりだ。そういう意味では自分も当てはまっている。

 

「そもそも吸血鬼に成った奴らは全員変わり者だろう……違うか?」

「そりゃそうだがね。だが私から見たお前さんは、そんなタイプには見えんかったからな」

「――ここ最近の夢は、全て芝生の上に寝転んで陽を浴びることしか現れないからな」

 きっと何かしらの異常は起きている事は分かっていた。なら、覚悟は自然と決まるものだ。


「それで、対処法は無いのか? 有効な薬や、食事の方針とかは」

「……いいか、よく聞け」


 治療方法は存在しない。

 

 医者から告げられた言葉が頭の中で何度も反響する。病名が与えられれば、治療方法も付随するものだと思っていた。しかし、告げられたのは不可能という言葉。何とかしがみつく事が出きた藁をハサミで切られたような、そんな感覚だった。


 目的地を定めるわけでもなく、どこに向かっているか自分ですら判っていない。フラフラと徘徊をして気がつけば、男は自分が吸血鬼に成った場所にいた。

「どうすりゃいいんだろうな……」

 

 欄干に身を預け、眼下に広がる夜の町を眺めていた。人だった時から街の形はすっかりと変わってしまっていた。人ながら傲慢にも変わらないことを望んだのは、紛れもなく自分の意志だった。彼女の為にこの身を捧げたはずだった。

 しかし、その決意が揺らぎ始めていた。例えここから身を投げ出したとしても、自分に決着をつける事は叶いそうにない。

 

「手詰まりかな――」

「そんなことは無いよ」

 処理しきれない感情が、目からあふれ出す。それを手の甲で拭いながら整理をしようとした、その時だった。背後から同居人の声が聞こえてきた。

 

「どうやってかは……聞く必要はないな」

「君と私との思い出の場所だからね。真っ先に思いついたよ」

 振り返った先には、不敵に笑う同居人がいた。しかし、纏う雰囲気は昨日までとは違っていた。それはまるで、。あの見境なく人を襲っていたあの時の様に。


「――何か、あったんだな」

 同居人はこくんと頷き、語りだした。

「……あの時、傍に立ってくれる奴なんて居なくていい、そう思ってた考えを変えたのは君だったよね」

「知ってる。だからあなたの隣を歩くため、僕が吸血鬼になった」

「そう、貴方を永遠へとしばりつける為、私が吸血鬼にした」

 そして僕らは、同居人として日々を過ごしている。毎日が必ずしも平穏ではない。けれど、共に歩けた時間は、紛れもなく幸福だった。


「――最近、私も夢を見るんだよ。太陽の下で君と日向ぼっこする夢」

「……もしかして」

 最悪の想像が頭をよぎる。あの医者が言っていた「一人目」。それは――


「そ、『陽焦れ』って奴だよ。君と同じ」


――だからさ、一緒に太陽を見ようよ。

 彼女の目は、地平線に隠れている太陽を睨んでいた。


 二匹は、腰を下ろし、肩を並べて空を眺めた。

「そういえば、この前、扉を開けるのを止めた理由はなんだったんだ」

「それはね、私と一緒に朽ちて欲しかったから、止めたの」

――永遠を生きさせようと、君を怪物にさせた責任を取りたかった。そう彼女は呟いた。

 

「……こちらこそ、人を捨てさせる手伝いをさせながら、勝手に手放してしまった」

  永遠を生きるパートナーに志願しながら、勝手に朽ちるのは許されないと思っていた。だから、この気持ちを悶々と抱え続けて、一緒に生きていければいいと納得させればよかった。けれど、彼女は共に朽ち果てようと言ってくれた。

 

 そして、その時はきた。夜の帳は上がり、朝がやってきた。


「ア、アア……」

 体がろうそくの様に溶けていく不思議な感覚を味わった。だが、不快ではなかった。崩れゆく体を何とか動かし、隣に佇む彼女の方をみた。同じことを考えていたようで、僕らは顔を見合わせ、ニコリと笑いあう。

 

 その二匹は、陽にその身を焦がして、消えていった。

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