出世欲

 私の上司は、凄い人だ。

「おぉ、Aさんじゃないか!」

「これはこれは、Xさん! 五年ぶりでしたかね⁉」

「いや、三年前だよ! ほら、Y国でパーティーに呼ばれたとき!」

 そのまま二人は、過去の思い出話に華を咲かせ始める。またかと、私は呆れる程繰り返された話の流れに思わず嘆息した。



 私の上司はとにかく人脈が広い。もしかして、世界で一番上手いんじゃないかと思うほどだ。現に今、私たちは会社に命じられ新規顧客開拓の為、に来ている。そして、いつものように取引先の相手は顔見知りだった。

 

「え⁉ いきなり新規顧客の営業に行くんですか⁉」

「そ、あの人いるから問題ないと思うけど、とりあえず経験だから」

「そんなこと言ったって、海外も入ってるんですよ⁉」

「まぁ、誰が言っても一緒だからガンバレ~」

 

 そういって私の上司は、入社して研修期間を終えただけの新人の私にこんな難しい仕事を任せた。最初こそ戸惑いの方が大きかったが、同期の嫉妬の目線を向けられたことに気づいた時、もしや私は会社に期待されているのかと内心で喜び始めた。もしや、いきなり出世コースに乗ったんじゃないと浮かれていた。しかも敏腕と謳われるAと一緒に仕事が出来るなんて、今風は私に吹いている、そう錯覚するのに時間は必要なかった。


 しかし、Aが全部何とかしてくれるといった上司の言葉は、本当に文字通りだった。隣接している三カ国にお邪魔して、全て新たな新規開拓の事業の提案の筈だった。一から関係を作る、それの難しさはこの業界では常識な事を私は知っていた。だから、出発前日まで、出来る限り企画書の粗を潰したり、相手の文化を知らない間に踏みにじらないよう、必死に現地の勉強を重ねたりした。だが実際、全くかかわりのない会社なのに、出てくる担当者は全て、Aの知り合いだった。○○のパーティーで知り合った、××の観光地で縁があった、△△とは家族が世話になった。


 その関係地も、相手の出自も、年齢でさえ、Aには関係ないようだった。その縁を駆使し、あっと言う間に懐に潜り込んで契約を成立させる。

 ただただ経験を積ませるためにやったのだと、その時初めて気が付いた。それどころか、寧ろ面倒な海外業務を新人の私に体よく押し付けたのではないか。そうした現実が突き付けられている事に落ち込んでいる中、いつの間にか、Aさんと取引先のXさんは熱く抱擁を交わしていた。

 

「よしっ! じゃあそれを200口注文してやろう!」

「取引成立だ! よしX! 久しぶりに飲みに行くぞ!」

 そうして私がうじうじと悩んでいる間に、取引は成立してしまった。そして、二人は上機嫌に肩を組んでいる。今はまだ昼だというのに、このまま居酒屋にでも突撃しそうな雰囲気さえ醸し出している。

「あっ、そうだ。新人君はホテルに戻っても大丈夫だよ。あとは俺だけでもなんとかなるし」

 そういってAは、手を振っていつものように退室を促した。

 Aはいつもこうだ。私に接待をさせまいと、適当な場所で私を追い出す。普通なら仕事が早く終わって、自由時間となれば喜ぶだろう。しかし、私はもっと上を目指したいのだ。

 ――何の結果も残せないまま帰国するなんて、ごめんだ。

 

「――いえ! 私もXさんのお供をさせてください!」

 その発言に驚いたのか、AとXは面食らったように互いの顔を見合わせた。そして何やらヒソヒソと話し出したかと思えば、二人は同時に私の肩を掴む。

「酒の席に何人いようが構わんよ、嫌と言っても逃がさんからね……」

「ふふ……久しぶりに活きが良い新人が俺の元に来たんだ。余り可愛がり過ぎないでくれよ……」

「え、ちょ――」

 私は、虎の尾を踏んでしまったのかもしれない。


 

「だってAさんばっかり頼られてずるいじゃらいですか、私ももっと役に立ちたいんですよ、そもそも上司にこの仕事を任されたときには私がどれだけ嬉しかったと、それなのにAさんの知り合いがすっごい多いせいで私の出番ないし――」

「全く新人君の言う通り、そもそもAは一度出会ったと思ったら、すぐに消え、そして幽霊のようにたまにふらっと現れるなんて、そもそも僕は君の事をどれだけ心配したか――」

 

 AとXに連れられ、私たちは地元の居酒屋に行った。そしてAは当たり前のように店主と顔見知りで、酒を何杯かサービスしてくれた。三人でジョッキをぶつけ合い、一口飲んだ時には遅かった。サービスされた酒は度数が強く、私とXはあっという間に酔った。


「Xさんもそう思いますか⁉ さぁAさん! どうやって築いているのか教えてもらいましょうか!」

「そうだそうだ! 教えろ!」

 接待の体は既に消え失せ、私たちはAに絡み酒をしていた。

「別に大したことじゃないよ、同じ経験をすれば誰でもできるよ」

 そういって、またしてもAははぐらかした。そうだ、この人は社内の人にも教えてくれないのだ。いつもならばいい子ちゃんとして大人しく引き下がるが、今はアルコールが入ってる、うがぁと言いながらAに聞いた。

「じゃあ! 私にもその経験を積ませてくださいよ! 忍耐とかなら自信ありますよ!」

「――本当に厳しいよ?」

「別に良いれす! 私出世したいんです!」

「――じゃあ、教えてあげるよ」

 そうして、最後にため息が混じっていたものの、私はAから教えを乞う事を約束させた。

 

「はい、これ本社から送らせた辞令だから目を通して」

「――はい? なんのことです?」

 そしてすっかり酔いも冷めた翌日、帰国の飛行機便を待っている時に上司から一枚の紙を渡された。

「昨日お前が取引先の前でぐでんぐでんに酔っぱらった時に言った言葉覚えてるか?」

「――えっと……はい、覚えてます……」

 一瞬にして蓋していた昨日の痴態を思いだす。今思えば失礼なんて言葉じゃすまされないほどの行動をした気がする。

「それで俺が会社にかけよって、お前の人脈づくりの手伝いをさせてやったから目を通せ」

 どこか怒気を孕み有無を言わせぬ口調でAは言った。これ以上の機嫌を損ねないよう急いで渡された紙を開く。


『辞令:Z国に赴き新規顧客を10件開拓せよ。任期1年以内』

「よかったな。ここで己を鍛えてこい」

 Z国、そこは非常に治安が悪いことが有名で、観光客の二人に一人は犯罪に巻き込まれるという。口ぶりから察するに、そんな場所で一年を過ごせというのか。

「てわけで頑張ってこい。じゃあな~」

 そういってAはチケットを私に押し付けた。そこには『Z国行』と書かれた、飛行機のチケットだった。

「え、嘘ですよね! こんな酷い社内文書見たことないから悪戯ですよね! ごめんなさい取り消させて下さいいいいいい!」

 

 私は泣きながらAの後を追った。

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