透明色の蜘蛛
嫌われ者というのは、どんな場所でも周りに馴染むのが難しいと思う。
遠巻きやすれ違いざまに暴言を浴びせてくるだけならば上等。所有物を盗まれるくらいで済むなら許容範囲。それでも、流石に暴力を振るってきたら居場所を変えなければならない。
例え一時的には人に優しくできても、結局全員が裏切るのだから。
ジャイトという青年は、そんな考え方をする人だった。
しかし、そんな彼にも、唯一の楽しみと呼べることがあった。
「おーいジルコン、餌貰ってきたぞ」
「……お前は蜘蛛の飯は、野良犬の糞だと思っているのか」
「違うのかい!?」
自分の前に突如として現れた、蜘蛛のジルコンと会話することだ。
「ジャイト手前ェ! 盗った袋をさっさと返せや!」
「……だ、だから、盗ってないっ――」
反論の声は、口元目掛けて振るわれた足によって掻き消される。前歯にヒットした蹴撃は、ツララを折るようかのようにたやすく歯を折った。
同時に別の男から食らった拳は、腹にめり込み、内臓を揺らされた衝撃で、その場に血と一緒に吐瀉する。
「汚ぇな…… まぁ十分痛めつけただろ」
「だな、おいジャイト! 次同じことやったらこれじゃ済ませねぇからな」
流石に不味いと思ったのか、言い残して男たちは足早に去っていった。
――流石にこの町にはいられないな。
前歯を失ったジャイトはそう決めた。流石にここまでエスカレートすると、次から狙われるのは命だ。しかし、それに見合うだけの戦果は得た。
ジャイトは胸の内ポケットから袋を取り出す。あの暴漢が後生大事に持っていたものだ。今まで散々虐めていたツケだとして頂いたものだ。ただ、中身を知らずに盗んだから、傷が付いてないか調べなければならない、そう考え、袋を逆さにした時だった。
「その袋、私にくれないか」
不意に背後から声が聞こえた。もしや先ほどの男たちの仲間だろうか。慌てて袋をしまい節々に痛む体に鞭打ちながら、なんとか背後を見渡す。
「いや正確に言おうか。私は中身じゃなくて、その袋が欲しいんだ。住みかとしてね」
ジャイトの目の前にいたのは、透明な色の蜘蛛だった。
それが、ジャイトとジルコンの出会いだった。
透明な蜘蛛というのは、ジャイトが歩んできた短い人生の中でも、最も価値があるモノになった。最初こそ、こいつを好事家に売って大金を得ようとした。
「ジャイト、だから私は自分で餌を取れるから施しは必要ないのだ」
「だからってお前が朝起きたら死骸なってるなんてのは見たくないだよ。ほら、ゴミ箱にあったリンゴの種だ」
「……だから要らないと言っているのだ」
だが、ジャイトはまともに会話で腹を割って交流したのは、いつ振りか思い出せないほどには忘れる程度には久しぶりだった。
ジャイトはこの暖かい時間を手放すことが惜しくなった。なぜ目の前の蜘蛛には本音で話せて、周囲には話せないのだろうか。恐らくそれは、蜘蛛だからという結論に落ち着いてしまう。
ジルコンが人間だったとしたら、ここまでの交流は生まれなかっただろう。
「しかしさ、ジルコンって蜘蛛だよな?」
「少なくとも自分はそう自覚してるな。鏡で見た時も脚が8本生えてる節足動物だからな」
「なんか蜘蛛と喋っている感じがしねぇんだよな。お前は昔人間だったんじゃねえの」
「案外そうかもしれんな。まぁそうだとしてもジャイトよりは賢かっただろうがな」
「なんだと」
そんなくだらない話をするのが愛おしかった。
彼らは常に二人で行動した。一緒に仕事を探すときでも、飯を食っている時でも、盗みを働いてるときでも、二人は最高の相棒であり、良き理解者だった。
「結局、俺たち、死ぬまで一緒だったな……」
老人が病床の上でかすれた声で呟く。ジャイトは今では妻を設け、孫に囲まれて暮らしている勝者となっていた。
その陰には全てジルコンが隠れていた。人とのコミュニケーションの練習から、ちゃんとして定職の紹介、好きだと思ったあの娘の好みを調べてくれたのも、果ては淑女のエスコートの仕方を教えてくれたのも、全て蜘蛛のジルコンのお陰だった。
「だが、どうやら私はまだまだ死ねないらしい」
しかし、ジルコンは出会った当初の透明な身体を維持し続けていた。時が止まったかのような美しさに、長く付き合った友人としても嫉妬を隠しきれなかった。
だが、ジャイトの人生に豊かさを……
「一体お前の寿命はどうなってるんだよ…… もう――」
「ジャイト……」
そこまで言って、彼は息を引き取った。出会ってから50年の出来事だった。
蜘蛛の影が、老人にかかる。それは、徐々に大きく、牙を剥きだし始める。
「これでお別れだ……」
不定の大きさをした彼は、今しがた事切れた死体を、咀嚼する。
永遠の友に別れを告げる、最後の捕食だった。
「今までありがとう…… 我が友、ジャイトよ……」
気が付けば、蜘蛛は若者の姿をしていた。
生涯、男は、真の友と言えるものは蜘蛛しかいなかった。
だが、彼はその結末を満足に思っていた。
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