そんなに強くない
「姉ちゃんはさ、どうして前髪切んないの?」
「……ちょっとね」
純粋無垢な目をした弟の疑問に、姉である私は曖昧に笑って誤魔化すしかなかった。
仕方ないじゃないか。
私は自分が嫌いなのだから。
そして互いが互いの愛を憚らず公言していて、自他ともに認める美人夫婦だ。
そんな二人の間には、三人の子宝にも恵まれている。
三人とも親の七光りに漏れず、若干5歳にしながらも、ゴールデンのドラマに出演していた。
だが、その中でも異彩を放ったのが、長女である"
エンドロールに名前が流れた時には、視聴者の誰もが困惑したが、その演技は折り紙付き。海外で活動する著名な演劇団体がオファーを出したという噂があるほどだ。
しかし、それから約8年間、中学二年生になるころには、彼女の名前はテレビから遠ざかっていた。
ただ、最近は休眠期間に入り、今は勉強や恋を楽しむ時期なんだろうと、世間は解釈した。
子役ながらに、世界中にファンを生んだ彼女を、誰もが心待ちにしている。
「いや、誰があんな世界に帰りたいと思うんだが……」
相変わらず的外れな記事を書く三流記者、そう子供のころから評価していたが、記事のコメント欄には思いのほか共感が集まっていた。
『
そこまで読んで、ブラウザを閉じる。それでもどこにやればいいか判らない怒りに任せ、手にもったスマホをクッションに向かって投げつける。
「――本名なんだよ、クソが……」
ぼよん、とスマホが跳ねたのを見届け、呻くように呟いた。
それが私の名前だ。
初めて生まれた子供にフィーバーしてしまった私の両親から、思考能力という物が消え去ったらしい。
意味は聞いて驚いた。なんせ”可愛いから”だそうだ。
その時小学四年生にして、親のセンスを疑った。
私に存在するアイデンティティは少ない。
有名ドラマに出演し、世間を魅了した役者。
前髪がありえない程長い、厭世的な子供。
始めて名前を読み上げられる時、必ず浴びる好奇の視線を嫌がる変な娘。
これだけで、私を説明する語彙は終わる。
でも、私はそれを望んでいた。
久しぶりの家族全員での夜ご飯に、それは終わった。
「
「
両親が同時に似たようなことを言っている。
けれどその言葉に、耳を貸すつもりは毛頭ない。
どうせ判るはずなんて、ないんだから。
「確かにお姉ちゃん、その髪だせぇよ」
「お姉ちゃん、人の話は聞かなきゃだめだよ……」
「「「「どうしてそんなに髪を伸ばしているの?」」」」
「あんたらが、こんな馬鹿みたいな名前を付けたからだ!!」
散々自己嫌悪して、胃の中も全部吐き出して、どれだけ悩んで。
どうして? なんでそんな無責任な発言が出てくるんだ。
「今まで私がどれだけ笑われたと思ってるんだ! 初めてのクラスで、名前を読み上げられた時の目線を知らないから、そんなこと言えるんだ! 昔、子役なんてやってたから、次の瞬間には、馬鹿にされながら質問って名前の罵倒が飛んでくるんだよ! これも全部!」
そのまま両親に襲いかかろうと、机に脚をかけたとき、彼らの顔を見た。
何を言っているのかわからない。そんな顔だ。
言葉を尽くしたのに、1mmも理解されていないのだ。
「もういい……」
そう言い捨て、
「うーん……あの娘も反抗期なのかしら」
「なのかもな……なんにせよ、見守るか」
「……姉ちゃん、怖かった」
「うん……」
「
そういって、父は、二人をぎゅっと抱きしめた。
「「わーい!!」」
何も持たず飛び出した
両親に見つかることを恐れていた。
何度も、マンションの出入り口を気にしているのは、それが理由だ。
それ以外に、ありはしない。
そのまま30分は待った。
扉が開くことはなかった。
「そんなに強くないんだよ……」
「しかしな、
「けどね、
「「お姉ちゃんは、自分の名前を気にしすぎなんだよ!!」」
その日以降、
自分の名前にコンプレックスを持つ子供
両親は両方とも人気タレントで、非常に美形。
顔は受け継いでいるが、その剛毅さは受け継げなかった。
校則違反を叱られようとも、前髪を出来る限り伸ばし、他者と関わらないようにする。
それを咎められても、森鴎外の子供たちを引き合いに出される。
妹と弟にも、鼻で笑われる。
「どうして、そんなことで悩んでいるの?」
違うんだよ。
私は、そんなに強くない。
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